6月18日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

6月18日エドワード・S・モース 誕生日

6月18日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

大森貝塚発見エドワード・S・モースはスケッチ上手

モースが生まれた1830年代は、名前がよく知られる人々が誕生しました。

外国に行きたがっていた吉田松陰が生まれたのが1830年、同じ頃のイギリスでは、チャールズ・ダーウィンが22歳(1831年)にして、航海に出ました。

蒸気船で水先人見習いとして働いていたことがある、『トム・ソーヤの冒険』の著者マーク・トウェインは1835年にアメリカで誕生しました。

日米修好通商条約の使節団としてアメリカに派遣された福沢諭吉が誕生したのも1835年です。幕末の志士で知られる坂本龍馬は翌年の1836年に誕生しました。

 

  • 1832年生まれ
  • 1833年生まれ
    • ダイナマイトの発見で知られるノーベルがスウェーデンで誕生
    • クラシック音楽三大Bの一人ブラームスがドイツで誕生
  • 1834年生まれ
    • 産業革命に疑問を抱き、アーツクラフト運動を推進したモリス誕生
  • 1835年生まれ
  • 1837年生まれ
    • 宮廷が合わず、生涯歩き回ったオーストリア皇后エリーザベト誕生

 

1838年生まれの人たち参考

羅列になってしまいましたが、日本を含む世界の時代感が少しだけお分かりいただけますでしょうか。この時代の世界共通テーマとして、「冒険・発見」がキーワードとしてあげられると思います。

 

エドワード・S・モースはどんな人?

1838年6月18日~1925年12月20日 職業:動物学者・考古学者
出身:アメリカ

大森貝塚を発見した人物として知られています。これを記念して、モースの誕生日である6月18日は考古学出発の日です。

またチャールズ・ダーウィンの『進化論』の体系を日本に紹介したのもモースと言われています。

モースは13歳の頃から、貝を集め標本を作っていました。生まれたのが西海岸に位置するポートランドであったことは、貝を集めるには有利ですね。収集したものがマニアックで、専門家が見学にくるほど、充実した内容でした。

集めるのは得意でしたが、勉強は不得意?または学校が合っていなかったようで、高校は入退学を繰り返していました。将来のことを考え、製図工として勤め始めますが長続きせず、趣味で集めていた貝の標本がきっかけで知り合った専門家のご縁で、21歳の頃にハーバード大学の助手の仕事にありつけました。

1863年 25歳 結婚

助手は、あまりお給与が良くないと思いますが、講演が得意だったので、その報酬でなんとか生活は出来ていたようです。

生活費は何とかなっても、研究費は別物ですから、29歳の頃に大富豪で慈善家であったピーボディに寄付を願いでます。

1871年 33歳 大卒ではありませんでしたが大学教授に就任

1877年 39歳 来日

1859年に発行されたダーウィンの『進化論』をもとに、研究対象を「腕足動物」に絞り、「腕足動物」が多く生息しているだろうと考え日本に来たわけです。

船が到着した横浜から、採集の許可を得るために新橋に向かう汽車に乗り、外を眺めていたときに、貝塚を発見します。着いて早々、許可をもらう前に発見してしまったわけですから、ラッキーですね。

発掘調査が行われ、発見されたのが大森貝塚です。調査の際に発見した縄文土器の網目模様を「cord marked pottery」と訳したことで、「縄文」という呼び名が定着しました。

文部省に許可を求めたときに、東京大学で指導してくれないか?と頼まれ、教授に就任します。開国して間もない明治初期の頃にやってきた外国人は宣教師が多く、大学教授としては専門知識がないことに、モースは疑問をもち、専門家に日本に来てもらうよう尽力しました。

1890年 52歳 生涯に3度来日し、集めた陶器や日本美術などのコレクションをボストン美術館に売却します。

1898年 60歳 日本に初の学会を設立するなど、日本の教育や研究現場においての功績を認められ、日本政府から勲章を授与されました。

晩年は、若い頃から30年以上書き続けていた日記とスケッチをもとに、日本についての本を発行するために執筆活動に専念しました。

 

 

87歳で生涯を閉じました。死後、1万冊以上の蔵書が東大に寄贈されました。

 

6月18日エドワード・S・モース

 

きっかけ:

利き手と反対の手、別々のことをしてみませんか?

モースは両利きであったため、左手で絵を描きながら、右手で文章を書いたり、別々のことが出来たというエピソードが残っています。スケッチがとても上手です。

 

関係はありませんが、1922年に王家の谷からツタンカーメンの墓を発掘した考古学者、ハワード・カーターが生まれたのは1874年、モースと同じように大学は出ていません。貝塚は縄文時代後期、ツタンカーメンの統治期間は紀元前14世紀頃、同時期とは言えませんが、時代は同じです。絵が上手なのも共通しています。

 

この時代の日本に来た好奇心旺盛な人々 参考

 

三ツ沢貝塚を発見したニール・ゴードン・マンロー

1863年6月16日~1942年4月11日 職業:医師・考古学者・人類学者
出身:イギリス

モースが来日して「大森貝塚」を発見した15年後、29歳で日本にやってきたのが、船医だったマンローです。横浜で医師として働き、三ツ沢貝塚を発見しました。モースとは誕生日が2日違い、年は25歳離れています。

 

考古学の造詣が深かったことから、医師として働きながら、発掘調査に熱心でした。69歳で北海道に移住し、医療活動を行う傍らに、アイヌ研究を行いました。

 

マンローは生涯に4度、日本で結婚しています。

最初の妻は32歳のときに結婚した13年下のドイツ人、女性は横浜で貿易商であった裕福な家の令嬢でした。2児に恵まれますが、1人は幼くして病死しました。

 

同時期に、横浜で研究の講演会を行った際に、来場者の一人であった旧氏族出身で英語を話せる日本人女性と知り合い、通訳をお願いします。この女性が2番目の妻になりました。最初の妻とスムーズに離婚するために、42歳で帰化し離婚、すぐに結婚します。女性との間には、女児1人が恵まれました。

マンローは大学で博士号を取得するにあたり、本国に一時帰国、再来日したときには、フラン人女性を引き連れており、妻と娘に関心がなくなり離婚。娘は成人してからフランスに絵画を学ぶために留学しますが、留学中に結核にかかり28歳で亡くなっています。

 

3番目の妻との結婚は51歳、横浜で貿易商をしていたスイス人の父親、母親が日本人というハーフです。妻の実家の財力を充てにして無料診断ばかり行っていたため、家計は火の車、浮気夫マンローに悩み、ヒステリックになった妻はマンローから「フロイトに治療してもらえ!」という心ない言葉とともに、三行半を下されます。女性は父親からもらった土地と家を売り、マンローがつくった借金を返済し、ウィーンに旅立ちます。

 

4番目の妻との結婚は74歳、看護学校を首席で卒業し、神戸の病院で看護婦長として働いていた女性をマンローが見初め、軽井沢、北海道に同行してもらい、個人秘書のような結婚でした。女性はマンローが他界したあと、軽井沢で看護婦をしながら生涯を終えました。

マンローは79歳で生涯を閉じました。

29歳で来日してから、一度は帰国していますが、40年以上日本にいたにもかかわらず、日本語が話せないので、マンローにとっての結婚は、身の回りのお世話+通訳が確保されるというすごく割り切った関係のようにみえます。

 

https://www.japanjournals.com/feature/great-britons/3752-neil-gordon-munro.html

 

アイヌと共に生きた男 ニール・ゴードン・マンロー 《後編》 [Neil Gordon Munro] - Onlineジャーニー
ジャーニーOnlineの英国の偉人/グレート・ブリトンズ特集では英国の歴史を変えた数々の偉人たち。彼らの人生に迫ります。

 

日本でもシュルレアリスム 古賀春江の作品

シュルレアリスムは、フランスの詩人アンドレ・ブルトンが1924年に『溶ける魚』という物語を刊行、その序文に「シュルレアリスム宣言」をします。その書物によってシュルレアリスム運動が広まりました。1920年代から第二次世界大戦後まで続いた美術運動の一つです。

日本でもシュルレアリスムは流行りました。代表的な画家が古賀春江です。

大まかな美術運動と画家一覧は下記です。シュルレアリスムを代表する画家、マグリット(1898-1957)は春江の4つ年下です。

西洋美術
ルネサンス ボッティチェリ(1445-1510)伊 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)伊 デゥーラー(1471-1528)独 クラーナハ(1472-1553)独 ミケランジェロ(1475...

日本の画家一覧は下記です。年齢が近いのは2つ年上の中川一政と、2つ年下の東郷青児です。

日本美術
狩野派 狩野永徳 1543-1590 長谷川等伯 1539-1610 琳派 尾形光琳  1658-1716 酒井抱一  1761-1828 文人画家 与謝蕪村  ...

 

古賀春江はどんな人?

1895年6月18日~1933年9月10日 職業:画家
出身:日本(福岡県)

クレー風な絵も多いですが、日本のシュルレアリスム作家として知られています。

竹久夢二セザンヌピカソマリー・ローランサン、パウル・クレーといった幅広い画家に影響されており、好きな世界が多いです。

 

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父親は江戸時代初期から続く福岡県久留米市にある善福寺の住職、春江の前に子供が3人いましたが、早世してしまい、50代になってから授かった一人息子だったので、過保護に育てられ、幼少期から病弱、室内で読書や絵を描いていることが多かったようです。

17歳 1912年 両親に反対されていたにもかかわらず、学校を退学し、絵画研究のため上京し、研究室に通います。翌年は水彩画の研究所に所属します。

東京で同居していた友人が自殺したことにショックを受け、情緒不安定になり、帰郷します。阿蘇山で投身自殺をはかりますが、地元の人に声をかけられ、思いとどまります。

久留米でよく知られていた文学少女と知り合い結婚の約束をします。女性は出戻りであった、春江は特定の仕事についていなかったなどの理由で両家の親は反対、結局、春江が寺を継ぐという条件で合意したようです。

21歳 父親が亡くなり、跡を継ぐために東京の大学で聴講生になり、その傍らに絵画を学びました。春江は画家になることを決意し、学校をやめ、父親を継ぐことも放棄します。我が道を行く感が半端ないです。

体の調子が悪く、精神的にも弱く、働けないため、妻は家計のやりくりに奮闘します。

絵は細々と描いていましたが、家計が厳しく、35歳頃に舞台美術の制作、装丁・挿絵の仕事を始め、この頃、川端康成と知り合いになります。

調子が悪いにもかかわらず、ヘビースモーカー、複数の女性と交際、梅毒にかかり、39歳で亡くなりました。

春江の入院費を工面したのは、川端康成でした。

 

日本と歩み続けたドナルド・キーンの生涯

1922年6月18日~2019年2月24日 職業:日本文学者・日本学者
出身:アメリカ

大学で中国人の学生と知り合ったのをきっかけに、漢字に魅力を感じます。

18歳の頃に、たまたま購入した『源氏物語』の英語訳に感動し、日本文学に興味を持ちます。

大学で日本語を学習していた学生から、「日本を研究している研究者が少ないのでオススメ」と聞いて、アメリカ海軍の情報士官として勤務する傍ら、ちょうど日米の開戦に伴い、海軍内にあった日本語学校に入学し、日本語の通訳官を務めました。

戦後、大学に戻り、修士課程を修了、その後博士号を取得し、31歳1953年に京都大学院に留学しました。

母校の大学で教授を務めながら、日本の古典文学を研究し、英語圏の人たちに紹介していましたが、2011年の東日本大震災を機に、日本国籍を取得し、日本に移住することを決意しました。

96歳で生涯を閉じました。

 

ポール・マッカートニーの『NEW』は時代の象徴

1942年6月18日  職業:ミュージシャン
出身:イギリス

ビートルズのメンバーで、ジョン・レノンとともに、多くの楽曲の作詞作曲を担当しました。ビートルズの解散、マルチに活動しています。

デビューから半世紀以上、第一線で活動し続けており、『ギネス世界記録』に「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」として掲載されています。

代表曲:

  • 『Hey Jude』
  • 『Yesterday』
  • 『Let It Be』
  • 『Michelle』
  • 『Uncle Albert / Admiral Halsey』
  • 『My Love』
  • 『Tomorrow』
  • 『NEW』

『NEW』の歌詞が、冒険精神に溢れています。

Don’t look at me
僕を見ないで
It’s way too soon to see
見るには早すぎるんだ
What’s gonna be, don’t look at me
どうするんだ、見つめないで
All my life
これまでずっと
I never knew what I could be
自分が何になれるのか知らずにきた
What I could do
自分に何が出来るのか
Then we were new
そして僕らは変わった

We can do what we want
僕らはやりたいようにすればいい
We can live as we choose
僕らは選んだ人生を生きることができる
You see there’s no guarantee
そこに保証はないけど
We’ve got nothing to lose
僕らは失うものもない

 

児童文学作家 クリス・ヴァン・オールズバーグの代表作

1949年6月18日 職業:イラストレーター・絵本作家
出身:アメリカ

代表作:

  • 『ジュマンジ』
  • 『ザ・スーラ』
  • 『急行「北極号」』
  • 『名前のない人』 訳:村上春樹
  • 『まさ夢いちじく』 訳:村上春樹

 

『ジュマンジ』、『ザ・スーラ』、『急行「北極号」』は映画化されています。全部冒険ものです。日本語版訳は村上春樹さんが多いです。

 

同年の1949年生まれの人たち 参考

 

6月18日 今日は何の日?365日のきっかけ

自閉症プライドデー

おにぎりの日

石川県中能登町の遺跡から、日本最古の「おにぎりの化石」が発見されたことを記念して制定されました。

6月18日はおにぎりの日で、おむすびの日は1月17日です。

海外移住の日

1908年6月18日、本格的な海外移住の第一陣781人を乗せた笠戸丸が、ブラジルのサントス港に到着したことを記念し、国際協力事業団が1966年に制定しました。

参考

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考古学出発の日

大森貝塚を発見・発掘したアメリカの動物学者エドワード・S・モースが来日したことを記念して制定されました。これが日本初の科学的な発掘調査で、日本の考古学の幕開けになったのが、「大森貝塚」でした。

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、6月18日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!

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