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12月18日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント* 

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12月18日パウル・クレー

12月18日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

クレーは主夫で料理上手、記録好きのマメな人だった!?

パウル・クレーはどんな人?

1879年12月18日~1940年6月29日 職業:画家・美術評論家
出身:スイス

 

同時代の画家で年齢が近いのは、

 

西洋美術

 

音楽少年から画家を目指す編

父親は音楽教師、母は声楽家、音楽一家に生まれたクレーは幼少の頃からヴァイオリンに親しみ、プロの演奏家としても活躍が出来るほどでした。

その一方で、絵画や文学にも興味がありますが、最終的には絵を選び、19歳のときにドイツミュンヘンにでて、美術学校に入学します。しかし、学校教育が全く合わなかったクレーは1年で退学し、イタリアを旅行してルネッサンスやバロック絵画や建築を見て学びます。

初期の作品は、セザンヌゴッホの作品から独自の道を模索し、銅版画や油絵などのアカデミックな方法で作品を手掛けています。模索していたときに、カンディンスキーフランツ・マルク、アウグスト・マッケに出会い、「青騎士」というグループを立ち上げます。

 

結婚編

27歳のときに結婚し、ミュンヘンで新婚生活を始めますが、無名画家であったクレーには経済力はなく、妻のリリーがピアノの教師をして稼ぎ、クレーは育児と家事をしながら、創作活動をしていました。

クレーは幼少の頃から日記をつけていましたが、息子を育てるための育児日記や家事をしていたことからレシピ、創作に関するメモを多く残しています。

 

そんなクレーが残した日記の中から、食べていたと思われる、好きだったメニューを再現したのが下記の本です。

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作風に影響した?と思われるもの・人編

アカデミックな画風から独自の画風に変ったきっかけは、北アフリカ(チュニジア)に旅に出て、そこで見た色彩が作品に大きく影響します。

ライナー・マリア・リルケと同じアパートに住んでいたこともあり、お互いの作品を見せ合いっこしており、リルケに影響したアフリカ芸術からの着想なのか?文字を取り入れるなどの具象とも抽象とも言えないような作品が生まれます。

 

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第一次世界大戦編

第一次世界大戦が勃発し、多くの芸術家が海外に逃亡、徴兵されているなか、クレーも兵士として動員されます。親しかった芸術家や親友のマルクが戦死し、クレーは悲しみにくれ、戦争をテーマにした作品を数多く残しています。この時期から画家として、徐々に世間に知られるようになりました。

 

バウハウス編

40歳のときにミュンヘンと画商と組み、大回顧展が開催されると、最先端な画家として知られるようになります。42歳からおよそ10年間、バウハウスで教べんをとります。

カンディンスキーがロシアから戻り、バウハウスで働くことになったので、久々の再会を果たし、一時アトリエを共同で使っていたこともあります。クレーは造形や色彩の授業を行うため、その準備として自身も色彩や造形の研究を重ね、理論的な著書を残しています。

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ナチスによる弾圧、故郷に戻る編

バウハウスが閉鎖されたあと、別の美術学校で教べんをとりますが、戦時下において芸術への弾圧からクレーは批判を受け、命の危険を感じた妻リリーは、故郷のスイスに亡命することを提案します。

ドイツ国内の銀行口座が凍結され、経済的に厳しい生活が始まり、亡命してから難病の皮膚硬化症を発症し、制作がはかどらないこともありましたが、ピカソやブラック、カンディンスキーがクレーを訪問してくれたことで意欲が湧き、一年間に1000点以上の作品を制作したようです。

晩年は手が思ったように動かなくなり、線画で天使の絵を何枚も描きます。その天使の絵に心打たれた、詩人谷川俊太郎さんによって、『クレーの天使』という詩集が出版されたので、クレーというと天使のイメージが強いという方もいらっしゃるかもしれません。

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クレーの絵の第一印象に可愛らしさを感じてしまうのは、クレーが主夫だったことが関係しているのか?母性愛のような温かさが、ほっこりさせます。よく見ると計算されたような数学的な要素が見られます。

 

2005年、故郷のベルンにバウル・クレー・センターがオープンしました。クレーの子孫が館長を務めています。

 

カンディンスキーもクレーも共通して音楽を奏でるように絵を描きたいと考えていましたが、カンディンスキーは鑑賞者、クレーは演奏者という音楽との関わり方が異なるのが、面白いです。また誕生日は2日違い、クレーの方が13歳年下です。

 

パウル・クレーが残した言葉にこんなものがあります。

芸術は見えるものを再現するのではなく、目に見ないものを見えるようにするものである

 

 

12月18日パウル・クレー

 

 

きっかけ:

洗濯・料理・掃除・その他で一番好きな家事は何ですか?

 

バウハウス

 

同時代のスイス出身者 参考

 

同年の1879年生まれの人 参考

 

スティーヴン・スピルバーグ監督の映画作品

スティーヴン・スピルバーグがどんな人?

1946年12月18日 職業:映画監督・プロデューサー
出身:アメリカ

 

代表作:

  • 『インディ・ジョーンズ』シリーズ
  • 『ジュラシック・パーク』シリーズ
  • 『シンドラーのリスト』
  • 『プライベートライアン』
  • 『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』
  • 『ターミナル』
  • 『A.I.』
  • 『E.T.』
  • 『ジョーズ』

 

スピルバーグの父親は、電子技師で、電子レンジのネットワークを開発した発明家でした。母親はピアニストでしたが、後にレストランのオーナーとして独立しました。

初めて鑑賞した映画は5歳、13歳の頃には8ミリカメラで映画の制作を始め、キューブリックや、黒沢明、ヒッチコックなどの監督の作品を含むおよそ100本の作品に影響受けているようですが、幼少期に一番影響していたのはウォルト・ディズニーと公言しています。

 

17歳でカルフォルニアに遊びに行った際に、ユニバーサルスタジオを見学できるツアーに参加します。あまりの面白さに通行証を作ってもらうために人脈を作り、最終的には顔パスで入れるくらい、あちこちをまわっていたようです。

大学で映画を専攻しますが、ユニーバススタジオに潜り込んで、空いている部屋を自分のオフィスとして使い始め、最初の作品を完成させます。それがユニバーサルテレビ部の責任者の目にとまり、7年の契約をもらいます。結果的に大学に通うのは困難になり、中退しますが、後に再入学し学士号を取得しました。

 

作風の1つにあげられていたものが興味深いです。
「先に話をして、じらす方法を取り入れている」

少年時代、学校でいたずらをして、先生から朝一番に「放課後、話がある」と言われたことで、一日中「ばれたのか?怒られるのか?」という恐怖を味わった経験から来ているそうです。

 

 

12月18日スティーヴン・スピルバーグ

 

きっかけ:

あなたに最も影響を与えたモノや人はいますか?

 

 

 

 

ブラッド・ピット出演の映画作品

1963年12月18日 職業:俳優・映画プロデューサー
出身:アメリカ

代表作:

  • 『オーシャンズ』シリーズ
  • 『トロイ』
  • 『Mr.&Mrs. スミス』
  • 『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
  • 『ジョー・ブラックをよろしく』
  • 『12モンキーズ』
  • 『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』

同年の1963年生まれの人 参考

 

12月18日 今日は何の日?365日のきっかけ

国際移民デー

2000年の国連総会で制定された国際デーの1つです。

1990年12月18日、国連総会で「全ての移住労働者及びその家族の権利の保護に関する国際条約」が採択されたことを記念した日です。

国連加盟記念日

1956年12月18日に日本の国際連合加盟案が全会一致で可決され、国連加盟が承認されたことに由来します。

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、12月18日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!

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