5月21日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
アルブレヒト・デューラー祈りの手にまつわる兄弟の話
ルネサンス期にドイツで活躍した画家として知られています。
ルネサンスは古典・古代の文化を再生、復活しようという文化運動で、イタリアを中心に流行り、その後、ヨーロッパに徐々に広まっていきました。
この時代のイタリアで活躍した画家
- ボッティチェリ(1445-1510)伊
- レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)伊
- デゥーラー(1471-1528)独
- クラーナハ(1472-1553)独
- ミケランジェロ(1475-1564)伊
アルブレヒト・デューラーはどんな人?
1471年5月21日~1528年4月6日 職業:版画家、数学者
出身:ドイツ
代表作:
- 『アダムとイヴ』
- 『東方三賢王の礼拝』
- 『聖三位一体』
- 『サイ』
- 『野ウサギ』
- 『祈る手』
デゥーラーは几帳面で手紙や日記などを多く残し、自画像も多く残っています。レオナルド・ダ・ヴィンチも結構マメで、手記が残っていたり、ミケランジェロも手紙が残っていたりするので、記録を残すときは、後世に見られても恥ずかしくないもの以外は生きているうちに処分しようと、個人的には思いました。
https://pin.it/4baetexpbmguvt
デゥーラーの父親は金細工職人で、14~18兄弟の次男として誕生しました。記録好きの人でもそこまで詳しくは書いてないものですね。
父親から金細工の加工法を習い、跡を継ぐかと思いきや、15歳から描く才能が開花し、金細工職人よりも絵描きになることを夢見るようになります。デゥーラーの後見人で、元金細工職人で出版社を始めた人物の仕事を手伝っているうちに、描写の技術が磨かれていき、そこで見習いとして働いていたようです。
見習い期間が終了すると、技術を学ぶために、およそ4年間旅にでます。4年後、23歳のときにニュルンベルクに戻ると、結婚相手が決まっており、すぐに結婚することになります。
しかしペストが流行していたため、結婚相手そっちのけで、単身イタリアに旅たち、印刷技術やアートを学びます。事情があったのかもしれませんが、結婚した相手は、ドン引きでしょうね。(最終的にデューラー夫妻は子どもには恵まれなかったようです)
およそ1年後、故郷のニュルンベルクに戻り、作業場を構え、作品制作、木版画、銅版画の一種(エングレービング)などに、10年ほど取り組みました。
木版を彫ったのは専門家で、図案を描いたと考えた方が良さそうです。
日本の浮世絵も、摺師(すりし→プリントする人)になるには3年、彫師になるには10年かかると言われているので、彫るのは描く人とは別ということがほとんどです。
その後、再度イタリアを訪れ、旅をしながら作品を制作しました。2年旅をし、これが最後のイタリアで、その後は故郷に戻り、ドイツ国内で作品を発表し生涯をとじました。
デゥーラーは、故郷のニュルンベルクと、その当時芸術の都であったイタリア(ヴェネツィア)のどちらかが拠点ではありましたが、活躍はヨーロッパで知れ渡っていたので、ラファエロやレオナルド・ダ・ヴィンチなどとは交友があり、連絡を取り合っていようです。
ミケランジェロは…人付き合いが苦手なタイプだったので、交友は出来なそう…と諦めたのかもしれません。
祈りの手にまつわる話
兄弟が多いため、希望する美術学校で学べるほど経済的にゆとりがあるわけではなかったので、アルブレヒトとアルバートのどちらが行くか相談し、先に行ったアルブレヒトの代わりにアルバートが鉱山で働き、卒業後に交代で学ぶことを決めました。
アルブレヒトが卒業し、次にアルバートが行く番になったとき、アルバートの手は鉱山での採掘のために酷使していたため、筆を持つことも出来ず、画家を諦めざるをえなかったそうです。アルブレヒトが描いた「祈りの手」は、そんなアルバートの手ではないかという話が、にわかに伝えられています。
手のスケッチ(祈りの手)にまつわる話の真偽は分かりませんが、そういったこともあったかもしれません。
ファーバーカステルのアルブレヒト・デューラー水彩色
色鉛筆で有名なファーバーカステルの、水彩のタイプが「アルブレヒト・デューラー」という製品名です。ファーバーカステルは、ドイツのメーカーで創業は1761年、ニュルンベルク近郊の町で製造販売されたことが関係していそうです。
同時代の人 参考
- 画家 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1452-1519 伊
- 思想家 ニッコロ・マキャヴェッリ 1469-1527 伊
- 画家 デゥーラー 1471-1528 独
- 画家 クラーナハ 1472-1553 独
- 天文学者 ニコラウス・コペルニクス 1473-1543 ポーランド
日曜画家アンリ・ルソーの楽園はパリの植物園
絵の分類としては、「アウトサイダー・アート」とか「ナイーヴ・アート」と呼びますかね…
画家を本業としていない人が、生きがいや趣味で創作した作品群、専門的に教育機関で学んでいない素人が創作したものとか、その解釈は人によって異なります。
学んだからと言って描けるわけでも、画家になって生計を立てられるわけではないですよね?
収入を得られていない画家は、アウトサイダー・アートか?と言われると、そうでもなくて、ゴッホは生前ほとんど売れなかったけれど、死後は評価され、ポスト印象派の画家としてカテゴライズされているので、分類することが出来ないユニークなアートを、アウトサイダー・アートとかナイーヴ・アートと考えると、しっくりくると思います。
「ヘタウマ」と言われるイラストは需要がありますが、当時、ルソーの絵は「稚拙で子どもが描いたようなレベル、世界一下手」と揶揄されていたそうです。しかしそうじゃない評価もあり、ゴーギャン、ピカソなどは大絶賛でした。
アンリ・ルソーはどんな人?
1844年5月21日~1910年9月2日 職業:税関職員・画家
出身:フランス
パリ市の関税検査の職員として20数年間務め、はじめは、休みの日に趣味で絵を描いていました。そのため、「日曜画家」と呼ばれ親しまれています。
代表作:
- 『眠るジプシー女』
- 『夢』
- 『熱帯嵐のなかのトラ』
- 『蛇使いの女』
- 『飢えたライオン』
ルソーの家は、不動産業を営んでおり比較的、裕福な家でした。子どもの頃から画家になりたいという夢があったそうです。しかし不動産業の経営が失敗し、経済的なゆとりがなくなると、美術学校どころではなく高校を中退し、家計を助けるために法律事務所で働いています。
その後5年間、従軍し27歳でパリ市の関税検査の職を得ました。絵を描き始めたのはいつ頃からなのか?は分かりかねますが、現存する作品は、35歳の頃に描いた自画像が一番古いです。
24歳の頃に結婚、5人の子どもに恵まれますが、4人が病気で亡くなり、成人したのは1人だったようです。子ども絵が多いのは、自分の子どもなのか…
また40歳の頃から、ルーブル美術館で絵画の模写の申請、許可をもらい、休みの日に絵を描く習慣をつけ、42歳頃から絵画サロンに出品を始め、亡くなるまで出品を続けていました。
44歳の頃に妻が亡くなり、49歳のときに22年勤めていた仕事を退職、普通だったらうつ病になってしまいそうな環境ですが、パートタイマーで少しだけ働き、年金をもらいながら、本格的に画家として活躍を始め、描いた作品を路上で販売して、質素に暮らしていました。
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路上で販売していたときに、ピカソの目にとまり、評価されるようになりました。サロンに出品した結果、評価はさんさんたるものでしたが、人の評価よりも好きだから描く、続ける、自分は画家であるという確固たる思いを感じます。
ルソーの作品は、南国の風景が多いです。ルソー自身はフランスから出たことはなく、南国やジャングル体験はどこでしたのか?という疑問があります。一説によると、従軍した際にジャングルの話を聞いたことがきっかけで、パリの植物園によく通い、スケッチした植物や、写真や雑誌の挿絵を参考にして構図をつくっていたそうです。
きっかけ:
植物園に行ってみませんか?
同年の1844年生まれの人 参考
- 作曲家 ニコライ・リムスキー・コルサコフ 1844-1908 ロシア
- 作曲家 パブロ・デ・サラサーテ 1844-1908 スペイン
- 画家 アンリ・ルソー 1844-1910 仏
- 画家 メアリー・カサット 1844-1926 米
- 哲学者 フリードリヒ・ニーチェ 1844-1900 独
- 発明家 カール・ベンツ 1844-1929 独
心電図法を発明したウィレム・アイントホーフェン
1860年5月21日~1927年9月29日 職業:生理学者・医師
出身:オランダ
1903年に心臓から電気が発せられていることを発見、心電図法(ECG/EKG)を発明し、その功績で1924年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
同年の1860年生まれの人 参考
- 劇作家 アントン・チェーフ 1860-1904 露
- ガラス工芸家 ルネ・ラリック 1860-1945 仏
- 画家 ジョルジュ・ビゴー 1860-1927 仏
- 画家 ジェームズ・アンソール 1860-1949 ベルギー
- 劇作家 ジェームス・マシュー・バリー 1860-1937 スコットランド
- 化学者 エドゥアルト・ブフナー 1860-1917 独
- 医学者 ウィレム・アイントホーフェン 1860-1927 オランダ
- 作曲家 イサーク・アルベニス 1860-1909 スペイン
- 作曲家 グスタフ・マーラー 1860-1911 オーストリア
- 画家 アルフォンス・ミュシャ 1860-1939 チェコ
- 動物学者 アーネスト・トンプソン・シートン 1860-1946 英
- 画家 アンナ・メアリー ロバートソン・モーゼス 1860-1961 米
マルセル・ブロイヤーの建築と椅子
1902年5月21日 ~1981年7月1日 職業:建築家・家具デザイナー
出身:ハンガリー
モダニズムの建築家、家具デザイナーです。
ドイツのデザイン学校バウハウスで学び、のちに同校の家具工房で主任を務め、校舎で使用する家具などを手掛けるなど、バウハウスと関わりが深いです。
きっかけ:
椅子に座らないで作業してみませんか?
バウハウス関係者
- ワシリー・カンディンスキー 1866-1944 露
- パウル・クレー 1879-1940
- ヴァルター・グロピウス 1883-1969 独
- オスカー・シュレンマー 1888-1943 独
- ヨハネス・イッテン 1888-1967 スイス
- マルセル・ブロイヤー 1902-1981 ハンガリー
同年の1902年生まれの人 参考
- 建築家 アテネ・ヤコブセン 1902-1971
- 劇作家 マルセル・エイメ 1902-1967
- 飛行家 チャールズ・リンドバーグ 1902-1974
- 写真家 アンセル・アダムス 1902-1984
- デザイナー マルセル・ブロイヤー 1902-1981
- 心理学者 エリク・H・エリクソン 1902-1994
- マクドナルド創業者 レイ・クロック 1902-1984
- 画家 猪熊弦一郎 1902-1993
5月21日 今日は何の日?365日のきっかけ
小満
二十四節気の1つです。
対話と発展のための世界文化多様性デー
国際デーの一つで、2002年の国連総会で採択されました。
小学校の日
1869年(明治2年)5月21日、京都市に日本初の小学校「上京第二十七番組小学校」「下京第十四番組小学校」が開校したことを記念した日です。
リンドバーグ翼の日
1927年(昭和2年)5月21日、前日にニューヨークを出発したチャールズ・リンドバーグが大西洋単独無着陸横断飛行を達成してパリに到着したことを記念する日です。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、5月21日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!