3月30日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
ゴヤの苦渋の決断『我が子を食らうサトゥルヌス』
ゴヤの代表作でよく知られているのは『我が子を食らうサトゥルヌス』です。怖い西洋絵画で思い浮かべる筆頭ですかね?
ローマ神話に登場する農耕の神、サトゥルヌスはギリシャ神話ではクロノスと言います。農耕=土が関係していますから、土星の守護神です。英語ではサターン、土曜日は英語でSaturdayなので、何となく想像しやすいと思います。悪魔を指す「サターン」とは綴りが異なります。
自分の子どもが殺されるという予言を恐れたサトゥルヌスは、誰かに殺されてしまうのであれば、自分の手で…と思い、5人の子どもを呑み込んだという神話を視覚表現したのが『我が子を食らうサトゥルヌス』です。
ゴヤのほかにも、複数の画家が同じテーマで描いています。例えば、ルーベンスのサトゥルヌスは、食べるというよりも強く噛み、引っ張っているという感じです。赤子の顔が歪み、泣き叫ぶ様子がとても怖いです。他の画家の『我が子を食らうサトゥルヌス』は、甘噛みしているように見えたり、キスしているように見えるので、それがテーマなのかも気付かないくらいです。
ゴヤは77歳(亡くなる5年前)に『我が子を食らうサトゥルヌス』を描いています。オリジナルのサトゥルヌスは陰茎が勃起しており、後世に修正(ぼかしを)加えていることが近年の調査結果から分かっています。
何故?そうしたのかという正確な理由は分かっていませんが、このテーマを選んだ理由を想像すると、動乱期のスペインで活動を続けるか、祖国を捨て別の土地へ行くか、ゴヤ自身の苦渋な決断がサトゥルヌスの決断と重なってみえます。狂気を感じる化け物のような風貌になってしまうほどの決断から、新たな生命を宿すという意味かなと個人的にはそう思いました。
フランシスコ・デ・ゴヤはどんな人?
1746年3月30日~1828年4月16日 職業:画家
出身:スペイン
代表作:
- 『着衣のマハ』
- 『裸のマハ』
- 『カルロス4世の家族』
- 『我が子を食らうサトゥルヌス』
- 『巨人』
同時代の画家 参考
本名、 フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテスの父親は、金属加工の職人でした。ゴヤ家では芸術を推奨していたので、ゴヤは14歳から4年間、地元の画家に弟子入りし、絵画を学びます。このとき兄弟子とその弟、バエウ兄弟に出会います。後に、バエウの妹と27歳のときに結婚します。
17歳、20歳の2度コンクールに出品しますが、落選してしまい、それが悔しかったのか?画家として精進を重ねようと、ローマに出ます。イタリアに滞在中に、ルネサンスの画家の作品に出会い、フレスコ画を習得します。
25歳 帰国し、大聖堂の天井装飾の仕事を引き受けます。
28歳~38歳 およそ10数年間は、王立のタペストリー工場で下絵の仕事に携わっています。織物も絵画と同じということですよね?
40歳 国王カルロス3世の宮廷画家になり、3年後には、息子のカルロス4世付の画家になります。宮廷画家という、画家として名誉な地位を得たゴヤですが、46歳くらいから不治の病にかかり、聴力を失ってしまいます。
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61歳 ナポレオンが率いるフランス軍がスペインを侵攻し、フランスの支配下に置かれ、およそ6年間、スペイン独立戦争が起きます。
66歳 39年連れ添った妻が亡くなります。
69歳 40歳以上年下の家政婦と同棲します。
動乱期のなかで描かれたのが、『巨人』や『我が子を食らうサトゥルヌス』『マドリード』です。『巨人』は、ゴヤが描いたのかは定かではありませんが、コミックやアニメで話題になった『進撃の巨人』を彷彿させますよね?
因みに…3月30日は、『進撃の巨人』に登場する主要キャラクター、エレン・イェーガーの誕生日です。
独立戦争で戦いに勝ったスペインが自由を得たかというと、戦いには勝ったけれど、スペインとポルトガルの国内で経済が破綻し、その戦いを機にスペインの植民地であったラテンアメリカでは独立運動が起きます。混乱真っ只中に、絵を描く人というのは、批判の対象にもなるわけです。ゴヤは自由主義者への弾圧を恐れて、78歳のときにフランスに亡命します。
80歳 スペインに一時帰国し、宮廷画家の仕事の辞職が正式に認められ、亡命先のフランスボルドーで生涯をとじました。82歳でした。
生涯の半分は音がない世界でしたが、絵を観ていると、その絵から当時、聴こえていただろう緊迫した空気感を含む音が聴こえてくる気がします。
きっかけ:
決断するときの決め手は何ですか?
同時代の人 参考
- 測量家 伊能忠敬 1745-1818
- 物理学者 アレッサンドロ・ボルタ 1745-1827 伊
- 画家 ゴヤ 1746-1828 スペイン
- 時計職人 アブラハム・ルイ・ブルゲ 1747-1823 スイス
- 版元 蔦屋重三郎 1750-1797
- 王妃 マリー・アントワネット 1755-1793 オーストリア→仏
ゴッホは父親と同じ聖職者になりたかった!?
2017年、世界初、ゴッホタッチの油絵アニメ映画『ゴッホ 最後の手紙』が公開されました。この映画はゴッホの謎の死について、真相を究明するミステリー映画です。
フィンセント・ファン・ゴッホはどんな人?
1853年3月30日~1890年7月29日 職業:画家
出身:オランダ
ゴッホ家は代々、牧師の家系で、父テオドロスも牧師でした。フィンセントは、6人兄弟の長男として誕生しました。
幼少の頃から絵を描くことは得意でしたが、両親はフィンセントについて兄弟のなかでも扱い方がどうしたらいいのか分からないと悩ませるような行動をとるだけでなく、癇癪持ちでした。
11歳 親元を離れ、寄宿学校に入学します。4年後、残り1年というときに突然、学校をやめ、戻ってきてしまいます。
グーピル商会
16歳 伯父の助言で、画商グーピル商会で働き始めます。4年ほど、オランダのバーグ支店で働き、近くの美術館でレンブラントやフェルメールの作品を見る機会があったようです。
20歳 職場の上司と伯父の関係が悪化したことによりロンドンに栄転?左遷されます。
22歳 今度はパリ本店に転勤かと思いきや、解雇されます。理由は、休暇が取消されたにも関わらず、無断で休んだということですが、理由はなんでもよかったのかもしれません。
伝道師になりたい!
23歳 イギリスの小さな寄宿学校で教師として働きます。無給だったので、ボランティアと言ったほうがいいのかもしれません。ここで、牧師の手伝いをしているうちに、やはり聖職者が向いているのかも?と思い始めます。
父親に相談すると、聖職者は7~8年勉強をしなければならないけれど、フィンセントの性格では無理であろう説得されます。聖職者になりたい熱がおさまらず、書店で働きながら、時間を見つけては、聖書を翻訳し、食卓で長い祈りをする、肉を口にしないなど、聖職者もどきをしていました。
正式に聖職者になるためには、学校に入らなければならなかったので、受験勉強をすることを父親に許してもらい、伯父の家に下宿しながら、王立大学の神学部を目指して勉学に励みます。しかし試験の科目の多さに精神的に追い詰められたフィンセントは勉強がはかどらず、自分への罰として、パン以外は食べない、自分を鞭で打つなどしていたようです。
父親が勉強の進み具合を確認しに来た際に、勉強が進んでいないことに腹を立て、学費を自分で稼ぐように言い渡されます。勉強が向いていなかったフィンセントは、それ以降、さらに勉強をしなくなります。そのうち、勉強しなくも伝道はできるかも?と楽観的に考え始めます。
25歳 大学を受験せずに、伝道師養成学校に3ヶ月通い、伝道師として仮免許を取得し、活動をし始めます。これにより給料が得られるようになるはずが、フィンセントの伝道は不評で、伝道協会から警告されます。素直に改善すると言えばよかったのに、断固として聞かなかったので、仮免許を取得して数か月後には、はく奪されます。
伝道師としての道も絶たれ、父親からの仕送りだけで生活し、仕事をしていないフィンセントに対し、弟・妹たちは冷ややかな目で見ていたようで、理解はしてはもらえなかったようです。
画家になります!
27歳 フランスに放浪の旅にでます。お金もなく、食べることも泊まることもせずに、ひたすら歩き続けるフィンセントの行動に、おかしいと思った父親が、精神病院に入れようとしたため、口論になります。
この時期に、本格的に画家になることを決意します。2歳年下の弟テオがこの頃から、生活費を工面していました。
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テオの援助を受けながら、あちこちに行って絵を描く、この繰り返しが亡くなるまで続きます。家族のなかで唯一、弟のテオだけが協力してくれますが、生活費を工面するのは大変だったと思います。
ゴッホは、テオが工面したお金をモデル料や浮世絵の購入に大半を費やし、食料はパンとコーヒーだけで最低限にしていましたが、送金が送れると生活が出来なくなると、テオをなじり、テオとも口論が絶えなかったようです。
行く先々で出会った女性をすぐに好きになるという惚れっぽい人で、収入もないフィンセントを相手にしないので玉砕、こんなのばっかりです。
32歳 父親、家族の関係はとにかく上手くいかず、怒った父親が心臓発作を起こして急死します。弟、妹たちは、フィンセントのせいだと責め続けます。
35歳 ゴーギャンと共同生活が始まります。始めはうまくいっていました、次第に、ゴーギャンがゴッホに耐えられなくなり、僅か、2か月弱で出て行きます。
その直後に、自分の左耳を切り落とす事件が起きます。何故?耳を落としたのか?詳しい理由はフィンセントも語らなかったようです。
37歳 亡くなります。
自殺説もありますが、もう一つは、少年たちが持っていた銃が暴発し、たまたま居合わせたゴッホに当たってしまい、彼らをかばうために自分で撃ったことにした説です。
即死ではなく、歩いて旅館に戻っています。様子がおかしいと気付いた旅館の主人が医師を呼びますが、すでに手術は難しい状態だったので、弟のテオに別れの手紙を書いています。
家族にも理解してもらえない異常な行動が多かった理由として仮説があります。例えば、統合失調症、メニエール病、中毒などありますが、アルペルガー症候群であったのではないかという見解もあります。
画家としての活動期間は10年なので、生前に作品があまり売れなかったことに対し、気に病むことはなかったはずです。どんなにすごい画家でも、10年くらいの下積み生活があり、その間は食べることが出来ず、周りの人に支えられて生活していることがほとんどです。
日常的に理由が分からない体調に悩まされ、家族に理解してもらえない孤独感のなか、活動するのはしんどかったと思います。ですが10年という活動期間に、2100点以上(素描なども含む)の作品を遺しています。
死後97年後の1987年、安田火災がゴッホの誕生日である3月30日に、代表作の『ひまわり』を58億円で落札しました。
きっかけ:
子どもの頃の夢は何でしたか?
ゴッホ兄弟(兄:フィンセントと弟:テオ)との関係の創作漫画です。
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同年の1853年生まれの人 参考
- 医学者 北里柴三郎 1853-1931
- 美術史家 アーネスト・フェノロサ 1853-1908 米
- 画家 フェルディナンド・ホドラー 1853-1918 スイス
- 画家 フィンセント・ファン・ゴッホ 1853-1890 オランダ
- 画家 カール・ラーション 1853-1919 スウェーデン
- 建築家 ウラジーミル・シューホフ 1853-1939 ロシア
ギターの神様 エリック・クラプトンの息子への思い
1945年3月30日 職業:ミュージシャン・シンガーソングライター
出身:イングランド
代表曲:
- 『Tears In Heaven』
- 『Layla』
- 『Bad Love』
- 『Forever Man』
- 『Wonderful Tonight』
- 『My Father’s Eyes』
CMでも使われていて一度は聞いたことのある曲は『Layla レイラ』と『Bad Love』と『Tears In Heaven』ですかね?『Tears In Heaven』は息子コナーを思ってつくられた曲です。
41歳のときに授かった息子コナーは、4歳のときに自宅のマンションの53階から転落して亡くなっています。
20代~30代にかけてアルコールと薬物に溺れていたエリックが再起して活動し始め、自分の幼少期によく似た息子を溺愛し、息子との時間を大事にしていたので、悲劇な出来ごとでした。この出来ごとによってファンは、前に戻ってしまうのではないかと危惧していたようですが、この曲を発表がされ、その後も音楽活動を続けています。
1945年生まれの人 参考
- ミュージシャン ボブ・マーリー 1945-1981
- 生物学者 大隅良典 1945
- ミュージシャン エリック・クラプトン
- 映画評論家 ピーコ&おすぎ
- 俳優 吉永小百合
- 作詞家 阿木耀子
- 美術家 リチャード・ロング
- 絵本作家 五味太郎
- 司会者 タモリ
- 歌手 ベット・ミラー
M.C.ハマーの代表曲
1962年3月30日 職業:ミュージシャン・歌手・ダンサー
出身:アメリカ
代表曲:
- 『U Can’t Touch This』
- 『2Legit 2Quit』
- 『Have you Seen Her』
小川洋子の著書
1962年3月30日 職業:小説家
出身:日本(岡山県)
代表作:
- 『博士の愛した数式』
- 『薬指の標本』
- 『凍りついた香り』
- 『猫を抱いて象と泳ぐ』
- 『ミーナの行進』
- 『注文の多い注文書』(共著)
- 『ボタンちゃん』(絵本)
同年の1962年生まれの人 参考
- 俳優 ジム・キャリー 1962
- 小説家 町田康
- メイクアーティスト IKKO
- ミュージシャン 布袋寅泰
- 美術家 村上隆 1962
- ミュージシャン ジョン・ボン・ジョヴィ 1962
- 小説家 小川洋子 1962
- 映画監督 デヴィッド・フィンチャー 1962
- 映画監督 是枝裕和 1962
- 映像作家 ピピロッティ・リスト 1962
- 俳優 トム・クルーズ 1962
- 版画家 ナンシー関 1962-2002
- 小説家 上橋菜穂子 1962
- 医学者 山中伸弥
- 脳科科学者 茂木健一郎 1962
- 俳優 デミ・ムーア 1962
- 俳優 ジョディ・フォスター 1962
- 映画監督 トラン・アン・ユン 1962
セリーヌ・ディオンの代表曲
1968年3月30日 職業:歌手
出身:カナダ
代表曲:
- 『My Heart Will Go On』
- 『The Power of Love』
- 『All By Myself』
- 『To Love You More』
- 『A New Day Has Come』
映画『タイタニック』のテーマソングでお馴染みです。
ガンを患った夫との時間を大切にしたいという理由や喉の病気を患ってしまったことから一時期、活動を休止していた時期もあります。
同年の1968年生まれの人 参考
- ミュージシャン CHARA 1968
- 俳優 佐々木蔵之介
- 俳優 ダニエル・クレイグ 英
- 俳優 大沢たかお
- 歌手 セリーヌ・ディオン カナダ
- 元プロ野球選手 桑田真澄
- シンガーソングライター 小沢健二
- 歌手 カイリー・ミノーグ オーストラリア
- 俳優 鈴木京香
- 俳優 ハル・ベリー 米
- 俳優 ウィル・スミス 米
- 俳優 ナオミ・ワッツ 英
- ミュージシャン トム・ヨーク 英
- 俳優 ヒュー・ジャックマン オーストラリア
- 音楽プロデューサー・歌手 つんく
- 俳優 ルーシー・リュー 米
ノラ・ジョーンズ代表曲と出演映画
1979年3月30日 職業:歌手・ジャズピアニスト・俳優
出身:アメリカ
代表曲:
- 『Don’t Know Why』
- 『Come Away With me』
- 『Sunrise』
- 『What Am I To You?』
- 『Summertime』
- 『The Story』
映画
- 『マイ・ブルーベリーナイツ』
- 『テッド』
- 『トゥー・ウィークス・ノーティス』
3月30日 今日は何の日?365日のきっかけ
信長の野望の日
1983年3月30日、日本の戦国時代をテーマとした歴史シミュレーションゲーム『信長の野望』第1作が発売されたことに由来します。
他に記念日がないので、新たに記念日を制定するとしたら注目度間違いなしです。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、3月30日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!