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4月16日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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4月16日チャールズ・チャップリン

4月16日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

17世紀のロココ期に活躍した女流画家 ルブラン

歴史上の女流画家で、すぐに名前が思い浮かぶ人は何人くらいいますか?
名前は知らなくても、作品が思い浮かぶという場合もありますよね?そういう作品の一つにマリー・アントワネットの肖像画が挙げられると思います。

描いたのは、エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン、18世紀に最も売れっ子だった女流画家です。歴史の教科書で見たことがある、あの絵です。

 

エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ルブランはどんな人?

1755年4月16日~1842年3月30日 職業:画家
出身:フランス

 

同時代の画家 参考

  • ロココ様式
  • 新古典主義:
    • ダヴィッド(1748-1825)仏
    • アングル(1780-1867)仏

西洋美術

 

父親が画家で、幼少の頃は親から絵画教育を受け、10代前半ですでに職業として肖像画を描いていたと言われています。

絵描きは組合に入らないと、お金をもらって絵を描くことが難しかったので、アトリエを無許可に営業していたことを理由に、差し押さえられます。そこで19歳の頃に組合に加入します。

https://pin.it/xp2x5cogqk7sfc

 

21歳の頃に、画家で画商の男性と結婚し、これにより、貴族の肖像画の注文を受ける機会に恵まれ、画家として知られるようになりました。その名声は、フランスの宮廷にも知られるようになり、マリー・アントワネットの肖像画や子どもたち、家族の肖像画の依頼を受けるようになりました。

フランス革命が起こると、王室に近しい存在だったことから迫害されることを恐れフランスから離れます。イタリアやオーストリア、ロシアで暮らし、画家として経験を積みます。ヨーロッパ各地で、貴族の肖像画を手掛けており、画家としての名声は得ていたようですが、夫は、妻が働いていることをいいことに賭けごとにはまり、一人娘の素行も悪かったと現代まで伝えられているので、家庭内も円満とはいかなかったようです。

 

ルブラン以前に活躍した女流画家一例

17世紀に活躍したマリア・ジビーラ・メーリアン

1647年4月2日~1717年1月13日

動植物画を得意としたマリア・ジビーラ・メーリアンは17世紀のドイツで活躍しました。科学界の間ではよく知られていたようですが、画家として作品が一般的に知られているか?というと、一部の人だけに知られている程度だったと思われます。

 

16世紀に活躍したソフォニスバ・アングイッソラ

1532年?月?日~1625年11月16日

ソフォニスバ・アングイッソラの父親は下級貴族、7人妹弟(6人の妹、1人の弟)の長女として生まれました。父親は娘たちの才能を開花させるために、絵を習わせ、数人が画家になっています。

途中で人生の転機で、結婚を機に、または尼になって画家の道を諦めた妹もいますが、ソフォニスバは姉妹のなかで、才能が豊かというわけではありませんでした。

 

22歳でローマを旅し、風景や人物のスケッチをしました。ローマに滞在中に、ミケランジェロ(1475年3月6日~1564年2月18日)の弟子を一時的に務め、非公式で2年ほど指導を受けていたと考えられています。

人と付き合うことが苦手だったミケランジェロは、弟子という弟子がおらず、孤高の画家であったわけですが、89歳で亡くなる10年くらい前にソフォニスバに出会えたことは、両者にとって有意義だったと思われます。

ソフォニスバの名前が知られるようになり、肖像画の注文が舞い込み、貴族からの推薦を得て、27歳くらいのときにスペインの宮廷の画家として渡ります。王室の画家兼王妃の女官として従事します。

 

https://pin.it/bfxyaexdl2hguz

 

10年くらい必死で働いていたので、フェリペ2世は独身のソフォニスバの将来を案じて、見合い結婚を勧めたと言われています。40歳前に結婚をします。その後もスペインの王室で過ごしていましたが、9年後に夫が他界します。その後すぐに年の離れた男性(旅行中に出会った男性で、乗船した舟の船長)と再婚し幸せに暮らしました。

晩年は白内障を患って、絵を描くことは難しかったようですが、後進に続く若手芸術家を支援するなど、絵の関わることをしていたようです。93歳で生涯を閉じました。晩年のソフォニスバの肖像画を描いたのは、アンソニー・ヴァン・ダイクです。

 

同時代の人 参考

 

チャールズ・チャップリンと日本人との関係

1889年4月16日~1977年12月25日
職業:映画俳優・映画監督・コメディアン・脚本家・映画プロデューサー・作曲家
出身:イギリス

映画代表作:

  • 『独裁者』
  • 『モダン・タイムス』
  • 『キッド』
  • 『黄金狂時代』
  • 『街の灯』

チャップリンは「喜劇王」という異名で親しまれていますが、俳優としての活動以外にも脚本を手掛けたり、映画『モダン・タイムス』のテーマ曲「Smile」を作曲したりと、幅広く活躍しました。「Smile」は、ナット・キング・コールマイケル・ジャクソンが歌っていることで、よく知られています。

 

両親はともに俳優と俳優でしたが、チャールズが1歳のときに離婚し、母親との極貧生活が続きます。5歳のときに、母親は喉がつぶれてしまい、母親の代わりに舞台に上がったのが最初でした。

10歳前後に母親が精神異常になり施設に入ってからは、独立しなければならず、4歳年上の異父兄とともに、貧民院や孤児院を渡り歩きます。生活のために新聞配達、売り子、床屋、印刷工などの仕事を転々としながら、俳優になりました。

地方巡業や様々な劇団を転々としながら、役者としての芸歴を積み、異父兄の勧めで、19歳のときにパントマイムで有名な劇団に入り、一座の若手看板俳優として成功します。

それを機に、フランス、アメリカ、カナダの各地で巡業公演が開催され、映画関係者の目にとまり、映画デビューを果たします。

最初は週給150ドルの契約でしたが、映画がヒットし国際的な俳優になると、週給1万ドルにプラスボーナス、当時のアメリカ大統領の年俸の7倍という破格な待遇でした。

 

異父兄がチャップリンのマネージャーになり、高野虎市(こうの とらいち)日本人が18年間、運転手、のちに秘書として関わっています。高野虎市の働きぶりに感心し、親日家でも知られ、1932年に来日して以降、数度、日本に観光に来たようです。

チャップリンは生涯に4回結婚し、11人の子供(1人は早死)がおり、今もチャップリンの子孫は、映画界などで活躍しています。

 

チャップリンの4人目の妻は、劇作家のユージン・オニールの娘です。チャップリンと、ユージン・オニールは誕生日が6か月違いです。

 

この時代のアメリカでも、トーキー映画(音がある映画)がどんどん制作され移行していましたが、チャップリンが音のないサイレント映画にこだわった理由として、「パントマイム芸は世界共通言語」と考えていたようです。

ジェスチャーだけで意外と通じると思うこともありますから、分かるような気がしますよね?

 

4月16日 チャールズ・チャップリン

 

きっかけ:

日常の挨拶をパントマイムで表現してみませんか?

  1. 「おはようございます」
  2. 「こんにちは」
  3. 「こんばんは」
  4. 「ありがとうございます」
  5. 「ごめんなさい」

 

チャップリンの映画「独裁者」のラストシーンのスピーチはよく知られていますが、私が好きな言葉は下記です。

Life can be wonderful if you’re not afraid of it. All it takes is courage, imagination… and a little dough.

人生はおそれなければとても素晴らしいものである。人生に必要なもの、それは勇気と想像力、そして少しのお金。

 

同年の1889年生まれの人 参考

 

日本人の運転手 高野虎市(こうの とらいち)

1885年?月?日~1971年?月?日

広島の裕福な家に生まれ、15歳でアメリカに留学、31歳のときにチャップリンの運転手として雇われ、のちに秘書となります。

47歳で一時帰国しますが、1941年にアメリカでスパイ容疑がかかり逮捕され、第二次世界大戦中を含め、6年間、強制収容所で過ごしています。

戦後の1948年に釈放された後もアメリカに留まり、アメリカに渡った日本人が第二次世界大戦中に失った市民権や、永住権を取るための支援を行いました。

晩年は故郷の広島に戻り、86歳で亡くなりました。

 

映画音楽の作曲家 ヘンリー・マンシーニ

1924年4月16日~1994年6月14日 職業:作曲家・編曲家
出身:アメリカ

  • 『ティファニーで朝食を』 ~Moon river~
  • 『シャレード』
  • 『ひまわり』
  • 『ピンク・パンサー』
  • ドラマ『刑事コロンボ』

などのテーマ音楽など、鼻歌で歌える映画音楽を数多く手掛けている作曲家です。

同年の1924年生まれの人 参考

 

4月16日 今日は何の日?365日のきっかけ

ボーイズビーアンビシャスデー

1877年4月16日、札幌農学校(現・北海道大学農学部)教頭のウィリアム・スミス・クラークが、「Boys, be ambitious」の言葉を残して北海道を去ったことに因みます。

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、4月16日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!

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