11月24日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
シャルル・ミシェル・ド・レペー
1712年11月24日~1789年12月23日 職業:思想家・教育家
出身:フランス
カルロ・コッローディ『ピノッキオの冒険』
カルロ・コッローディはどんな人?
1826年11月24日~1890年10月26日 職業:児童文学作家
出身:イタリア
『ピノッキオの冒険』の作者です。
ディズニー『ピノキオ』はコッローディの『ピノッキオの冒険』をもとにしています。
『白雪姫』が大ヒットした後、冒険物語である『ピノッキオの冒険』をウォルト・ディズニーは選びましたが、児童文学であっても、社会風刺小説であったため、ピノキオの性格設定とストーリーに悩み、制作を一時中断したそうです。
出版社で働いていたため、それがきっかけとなり雑誌への寄稿をして生計をたてていました。本名はカルロ・ロレンツィーニなので、「コッローディ」はペンネームです。
様々な記事を書いている間に、イタリアの未来を背負う子どもたちの教育に関心をもつようになり、40代からシャルル・ペローの童話を翻訳したり、児童文学の仕事をする機会をもちます。
「子ども新聞」に『ピノッキオの冒険』連載を始めます。ピノッキオが一般的に知られるようになったのは、コッローディが亡くなり、20世紀になってからで、1940年にディズニーアニメーション映画『ピノキオ』が公開されたことが大きいようです。
きっかけ:
嘘をついたとき、体が反応したりしますか?
鼻が伸びることはないですが、汗がでてきたり、目がキョロキョロしたり…
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同年の1826年生まれの人 参考
- 画家 ギュスターヴ・モロー 1826-1898 仏
- 作曲家 スティーブン・フォスター 1826-1864 米
- 教育者 ウィリアム・スミス・クラーク 1826-1886 米
- 作家 カルロ・コッローディ 1826-1890 伊
フランシス・バーネット『秘密の花園』映画化
フランシス・ホジソン・バーネットはどんな人?
1849年11月24日~1924年10月29日 職業:児童文学作家・劇作家
出身:イギリス
『小公女』や『秘密の花園』の作者です。
代表作:
- 『小公子』
- 『秘密の花園』
- 『小公女』
- 『消えた王子』
- 『白い人びと』
37歳のときに『小公子』を雑誌に発表すると、母親世代に人気を博し、主人公のセドリックの髪型や服装を子供に着せたい願望で、大流行したようです。
髪型はバーネットの次男ヴィヴィアンを参考にしたロングカールのヘアスタイル、服装は詩人オスカー・ワイルドの正装、レースの襟がついたベルベットスーツ(フォントルロイ・スーツ)からヒントを得ました。
『小公子』が「小工事」にしか変換できないので、「小公女ほどメジャーではないかも?」と思ったら、世界名作劇場で『小公子セディ』1988年に放映されていました。日産のセドリックという車名は、『小公子』の主人公に由来します。
世界の名作劇場で『小公女セーラ』1985年、NHKで『ひみつの花園』1991年に放映されており、アニメ化、映画化、お芝居とよく知られている作品でお馴染みです。
きっかけ:
架空の人物の服装を真似してみたいと思ったことはありますか?
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同時代のイギリス出身者 参考
- 作家 チャールズ・ディケンズ 1812-1870
- イラストレーター ジョン・デニエル 1820-1914
- 画家 ジョン・エヴァレット・ミレイ 1829-1896
- 作家 ルイス・キャロル 1832-1898
- 作家 フランシス・ホジソン・バーネット 1849-1924 →ココ!
- 物理学者 ジョン・フレミング 1849-1945
- 作曲家 エドワード・エルガー 1857-1934
- 絵本作家 ビアトリクス・ポター 1866-1943
- 作曲家 ホルスト 1874-1934
- 童話作家 A・A・ミルン 1882-1956
- 童話作家 ヒュー・ロフティング 1886-1947
- 俳優 チャールズ・チャップリン 1889-1977
同年の1849年生まれの人 参考
- 日本は幕末 89歳で葛飾北斎が亡くなった
- 生理学者 イワン・パブロフ 1849-1936 ロシア
- 教育者 広岡浅子 1849-1919
- 小説家 フランシス・ホジソン・バーネット 1849-1924 英 小公女
- 物理学者 ジョン・フレミング 1849-1945 英
日本美術に影響を受けてコスプレもしてたロートレック
アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレックはどんな人?
1864年11月24日~1901年9月9日 職業:画家
出身:フランス
ポスターを芸術の域にまで到達させた芸術家です。様式が印象派やポスト印象派、アールヌーヴォーなど多岐に渡るので、分類はしにくいです。下記の一覧表では、アール・ルーヴォーに入れました。
ロートレックは、フランスの名家の爵位をもつ家に生まれ、お城で育ちました。8歳のときに両親が別居し、母親と一緒にパリで住むようになります。その頃に絵を描き始め、才能があると思った母親は、ロートレックの父親の友人の画家にお願いして絵の指導を受けました。
13~14歳の頃に、足の大腿骨を左右、立て続けに骨折してしまったことが原因で、脚の成長が止まってしまいます。そのため胴体は正常に成長しますが、脚の長さは10代前半ときのままだったので、成人したときの身長は150cmくらいだったそうです。
骨折が引き金だったようですが、現代の医学で考えると、骨形成不全症といった遺伝子疾患ではないかと言われています。
一時、南フランスの父親が住んでいる生家、アルビに戻りますが、父親はどう接していいのか分からず、活動が制限されたため孤独な青春時代を過ごします。
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18歳のときにパリに戻り、モンマルトルの画塾でゴッホやベルナールに出会っているようです。身体コンプレックスから、ムーラン・ルージュなどのダンスホールや酒場などの夜の世界で働く踊り子や女性たちに共感するものがあり、入り浸る生活を送ります。
そのなかでポスター作品が生まれており、リトグラフの作品を制作した背景には、日本美術の影響が色濃く、作品に入れるサインも、漢字に見えるようにアレンジしたと言われています。
また、ロートレックは公家が着るような着物を着て、記念撮影をしている写真が残っていることから、日本の文化に触れる機会が多かったことが伺えます。
1867年第2回パリ万博に日本は初出展した後、日本の文化がヨーロッパで紹介され始め、1873年のウィーン万博でジャポニズムがヨーロッパで大流行、1878年第3回パリ万博、1889年第4回パリ万博が開催されました。日本文化が、この時代の芸術家に及ぼした影響は大きかったはずです。
きっかけ:
コスプレに興味はありますか?
死後、作品を管理したのは少年時代からの親友で画商になっていたモーリス・ジョワイヤンで、生まれ育ったアルビに、ロートレック美術館を設立しました。
またジョワイヤンは美食家であったロートレックが好きだった料理のレシピを「独身モモ氏の料理法」という本にして出版しました。
下記の本は、その「独身モモ氏の料理法」のレシピを再現し、絵画のなかに登場する食べ物として、紹介しています。
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お酒に合う料理でオススメはありますか?
生家のボスク城は、ロートレックのゆかり品を展示する博物館として管理され、母親が所有していたマルロメ城は、ワインの醸造で知られています。
アルコール中毒であったロートレックの顔が、ワインボトルのラベルに使用されていて、「お酒はほどほどに…」というメッセージが狙いなのか?と思わざるを得ないです。
モンマルトルの画家のモデルを務めていた、マリ・クレマンティーヌ・ヴァラドン(ユトリロの母)と同棲していた時期があり、ロートレックがヴァラドンのデッサンを褒めたことがきっかけで、マリは画家の道を歩みます。
他の画家たちと交流をしていることに嫉妬したロートレックは、マリを「シュザンヌ」(旧約聖書に登場する魔性の女)と罵ったため、以降、シュザンヌ・ヴァラトンの名で活躍するようになったというエピソードがあります。
ロートレックの絵のモチーフにもなった白人と黒人の伝説の芸人コンビ「ショコラ」の実話が映画化されました。白人の芸人フティットを演じたのは、チャールズ・チャップリンの実孫であるジェームス・ティエレです。
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同時代のフランス出身者 参考
- 画家 ドガ 1834-1917 他印象派
- 作曲家 サン・サーンス 1835-1921
- 作曲家 ビゼー 1838-1875
- 画家 セザンヌ 1839-1906 他ポスト印象派
- 彫刻家 ロダン 1840-1917
- 詩人 マラルメ 1842-1898
- 作曲家 ドビュッシー 1862-1918
- 画家 ロートレック 1864-1901 →ココ!
- 作曲家 ポール・デュカス 1865-1935
- 作曲家 サティ 1866-1925
- 小説家 マルセル・プルースト 1871-1922
- 作曲家 ラヴェル 1872-1944
- 芸術家 ジャン・コクトー 1889-1963
- 物理学者 イレーヌ・ジョリオ・キュリー 1897-1956
- 絵本作家 ジャン・ド・ブリュノフ 1899-1937
- 詩人 ジャック・プルヴェール 1900-1977
- 作家 アントワーヌ・ド・サン・テグジュペリ 1900-1944
同年の1864年生まれの人 参考
- 発明家 屋井先蔵 1864-1927
- 小説家 二葉亭四迷 1864-1909
- 画家 ヴィルヘルム・ハンマースホイ 1864-1916 デンマーク
- 作曲家 リヒャルト・シュトラウス 1864-1949 独
- 化学者 池田菊苗 1864-1936
- 教育者 津田梅子 1864-1928
- 画家 アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック 1864-1901 仏
スコット・ジョプリン『ジ・エンターテイナー』
スコット・ジョプリンはどんな人?
1868年11月24日※~1917年4月1日 職業:作曲家・ピアノ演奏家
出身:アメリカ ※1867年説もあり
「ラグタイム王」という異名をもつ作曲家です。
ラグタイムとは何?
1890年代後半から第一次世界大戦前後にかけて、アメリカで中心に流行った音楽のジャンルです。特徴として、リズムが「シンコペーション」と呼ばれる構成が主体で、拍の弱部を強調する事によって、従来のクラシック音楽とは異なる印象の音楽です。
上記の動画はベスト32曲の選曲でどの曲もいい曲ですが、耳が慣れるとと同じように聴こえてきてしまって、この曲知っていると思ったのは4つでした。
代表曲:
- 『The Entertainer ジ・エンターテイナー』
- 『Maple Leaf Rag メイプル・リーフ』
- 『Easy Winners イージーウィンターズ』
- 『Pine Apple Rag パインアップル』
幼少の頃に音楽の才能が開花し、両親は才能を伸ばすことに全力でサポートしました。黒人が仕事する際に限られた仕事しかなかったので、才能があれば食べていけるのではないかと考えた母親は、生活費を削りピアノを買い与えました。
ほぼピアノは独学でマスターし、14歳で親元を離れ、各地を転々としながら、サロンや売春宿で演奏をしました。
27歳のときに作曲家として歩みたいと願い、大学で学びます。ヨーロッパのクラシック音楽とアフリカのハーモニーとリズムを結び付ける新しい音楽を追及します。これが、後に音楽ジャンルで「ラグタイム」(俗語の意味:だらしのない・尖った)と呼ばれるようになりました。2つの意味はだいぶ異なりますが…尖った音楽ということでしょうか!?
きっかけ:
今日のテーマソングにラグタイムはいかがですか?
チャップリンがこよなく愛した音楽と言われています。映画『スティング』のテーマ曲など、映画のバック音楽としてよく使われているのですが、一つも思い出せなくて、調べたところ、ディズニー映画や『タイタニック』『海の上のピアニスト』などでした。
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同年の1868年生まれの人 参考
- 小説家 尾崎紅葉 1868-1903
- 作家 マクシム・ゴーリキー 1868-1936
- 建築家 チャールズ・レニー・マッキントッシュ 1868-1928
- 生物学者 カール・ラントシュタイナー 1868-1943
- 画家 横山大観 1868-1958
- 画家 エドゥアール・ヴァイヤール 1868-1940 ナビ派
- 作曲家 スコット・ジョプリン 1868-1917
自己啓発本のベストセラー『人を動かす』デール・カーネギー
内容はそんなに変わらないと思うのですが、自己啓発本や仕事術系の本が毎年出版されていて、店頭で平積みされていたり、アマゾンで売れ筋上位にランキングされています。
自己啓発本が流行り、実践した人物がまた自己啓発本を出版するという流れは、どの国でも同じような現象にあるようです。マクドナルドをチェーン店にしたレイ・クロックが影響を受けたノーマン・ビンセント・ピールやデール・カーネギーは、同時代に活躍した自己啓発本の著者です。
近年、自己啓発本ブームで、デール・カーネギーの著者が新装版で再出版されています。
デール・ブレッケンリッジ・カーネギーはどんな人?
1888年11月24日~1955年11月1日 職業:執筆家・評論家
出身:アメリカ
自己啓発本の著者で対人スキルに関するコースの開発者です。
代表作:
- 『人を動かす』
- 『話し方入門』
- 『道は開ける』
- 『人生論』
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「鋼鉄王」のアンドリュー・カーネギー(1835年11月25日~1919年8月11日)と姓が同じ、誕生日が一日違いですが、血縁関係はありません。
農業を営む一家に生まれたデールは、家の仕事をしながら、大学で教育学を学びます。卒業後に就いた仕事は、牧場主に通信教育を販売するセールスマンでした。教材から、ベーコン、石鹸、ラードの販売を手掛け、販売担当として売上トップの成績を残します。
デールにはやりたいことがあったので、貯金がたまった頃に退職し、ニューヨークの演劇学校に入学します。しかし役者としては芽が出ず、興業が終わる頃には無職、無一文になってしまったので、YMCAを仮住まいとし、YMCAでスピーチを教えるという構想を思いつきます。
何かの専門家というわけではなく、自身の体験談だったので、教材を作るにも、四苦八苦したようですが、徐々に進化していきます。普通のアメリカ人が自分に自信を持ちたいという願望は、デールが話すことによって共感するものがあったのか、講演会は評判をよびます。
また「鋼鉄王」のアンドリュー・カーネギーと性が同じ発音であることを利用して(綴りが異なる)「Dale Carnagey」から「Dale Carnegie」に綴りを変え、関係があるようにみせかける戦略をとりました。講演会場としてカーネギーホールを満員にするほどまで、広く知られるようになります。
1932年に初来日し、それ以降3度来日、人間関係のスピーチを開催、旅をしています。1960~70年代の日本のビジネスマンの仕事術として、デール・カーネギーの対人コースから入っているという人も多いのかもしれません。
きっかけ:
もし小公女が自己啓発本をつくったら?
同年の1888年生まれの人 参考
- 画家 安井曾太郎 1888-1955
- 画家 ジョルジョ・デ・キリコ 1888-1978 伊
- 芸術家 オスカー・シュレンマー 1888-1943 独
- 崎陽軒創業者 野並茂吉 1888-1965
- 劇作家 ユージン・オニール 1888-1953 米
- 芸術家 ヨハネス・イッテン 1888-1967 スイス
- 執筆家 デール・ブレッケンリッジ・カーネギー 1888-1955 米
- 作家 菊池寛 1888-1948
キャサリン・ハイグル出演の映画作品
1978年11月24日 職業:俳優
出身:アメリカ
代表作:
- 『幸せになるための27のドレス』
- 『かぞくはじめました』
- 『男と女の不都合な真実』
ドラマ:
- 『グレイズ・アナトミー』
- 『ロズウェル』
11月24日 今日は何の日?365日のきっかけ
東京天文台設置記念日
1921年11月24日に、東京都港区麻布台に 国立天文台が設置されたことを記念した日です。
鰹節の日
語呂合わせ、11(いい)2(ふ)4(し)「いいふし」で鰹節の日として、食品メーカー・ヤマキが制定しました。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、11月24日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!