12月23日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
グリコ創業者 江崎利一の名言「2×2=5」当たり前を超える
江崎利一はどんな人?
1882年12月23日~1980年2月2日 職業:江崎グリコの創業者
出身:日本(佐賀県)
両親は薬種業で生計をたてていましたが、暮らしは大変だったようです。小学高等学校(中学校)を卒業すると、実家の商いを手伝い、朝は塩売りをします。19歳のときに父親が亡くなり、利一は家長として6人の家族を養わなければならず、商いに励みます。
ある日、川沿いを歩いていると、漁師たちがカキを干していました。茹であがったカキを窯から取り出している際に、煮汁が大量にこぼれている光景を目にし、閃きます。
カキにはグリコーゲンが豊富に含まれているという話を思い出し、その煮汁を分けてもらい、大学病院で分析を依頼します。結果、グリコーゲンは40%以上保有し、さらにカルシウムや銅なども含まれていることを知ります。
カキのエキスを病弱だった長男に与えると、少しずつ元気になる姿を見た利一は、「グリコーゲンを広めたい」「予防こそ治療に勝る」と考え、子供が喜ぶキャラメルにグリコーゲンを用いることを決めます。
試行錯誤を重ね、1921年、利一が39歳のときに栄養菓子(キャラメル)を発売します。名前はグリコーゲンの「グリコ」と名付けられました。
江崎利一のビジネスマインド
利一がビジネスをする上で、大切にしていることは「2×2=5」という精神だそうです。2×2=4ですが、皆と同じような考え方では、進歩も発展もない、どんな小さなことであっても工夫を重ね、当たり前を超える努力をすることをモットーにしています。
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定番のパッケージ誕生秘話
ある日、神社でかけっこをして遊ぶ子供たちを眺めていると、両手を大きく上げてゴールする姿に、「スポーツこそ健康への近道、子供の遊びの本能もスポーツに繫がり、その象徴の姿はゴールしたときの姿」と閃き、ゴールインのマークをトレードマークとしました。
オマケのおもちゃの誕生秘話
グリコを販売するにあたり、子供のためにという思いが強かった利一は、子供たちの生活を観察することが多く、そのなかで、「食べることと、遊ぶことは子供にとって二大天職」であると考えます。そこで生まれたのが、おもちゃです。当時は、カードが入っていましたが、売上が伸びると、当初考えていたおもちゃを提供できるようになり、グリコ+おもちゃ箱が定番になります。
今のグリコのおもちゃは進化していて、専用アプリをダウンロードして、おもちゃを読み込むと、端末のなかで動くというしかけがあります。時代とともに、おもちゃもかなり変わっています。
きっかけ:
昔食べたお菓子を買って食べてみませんか?
https://www.glico.com/jp/enjoy/experience/glicopia/east/
https://www.glico.com/jp/enjoy/experience/ezakikinenkan/
同年の1882年生まれの人たち 参考
- 小説家 A.A.ミルン 1882-1956 イギリス
- 民俗学者 金田一京助 1882-1971
- 画家 ジョルジュ・ブラック 1882-1963 フランス
- 作曲家 ストラヴィンスキー 1882-1971 ロシア
- 画家 エドワード・ホッパー 1882-1967 アメリカ
- グリコ創業者 江崎利一 1882-1980
笑福亭鶴瓶「普通の暮らしこそ芸の肥やし、家族が趣味」
1951年12月23日
職業:落語家・お笑いタレント・俳優・歌手・司会者・ラジオパーソナリティ
出身:日本(大阪府)
高校生のときに、落語に刺激されて、落語研究会を立ち上げます。
幼少の頃から、おふざけ?をして、母親に叱られたとか両親に恥をかかせてしまったなど、お笑いの素質が幼少の頃から備わっていたのかなと思うような、エピソードがWikipediaに載ってました。
米朝一門の落語会を見に行ったことがきっかけで落語家になることを決意します。
6代目笑福亭松鶴さんが高座に上がり「あっ!」と固まったあと、僧侶を示して「あの坊さんの頭を観たらネタを忘れてしまった、オチだけ言うて、降りまっせ」と言い、本当にオチだけ言って、袖に下がってしまったところを見て、「すごい!」と思い、松鶴さんに弟子入りすることを決めました。
21歳のときに11番弟子として入門し、「鶴瓶」という名前がつけられます。以降、落語家・お笑いタレント・俳優・歌手・司会者・ラジオパーソナリティと幅広く活躍されています。
NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」は1995年から放送している、紀行・バラエティ番組で、老若男女問わず、誰にでも話しかけ、盛り上がる、話しかけられた人も「鶴瓶さんだ!」と嬉しそうな人が多く、好感度が高いです。
「人から好かれる術」を鶴瓶さんを観察して、説いた本が数冊ありますが、よくお話されている下記の一言は、術とかそういうのではないような気がします。
縁は努力、出会いはつなげる努力をして初めて「縁」になる。
愛妻家でも知られ、結婚して40年経ってもラブラブ、奥様を喜ばせるために、好きな韓国のアイドルグループのことを調べ上げ、ライブに一緒に並んで盛り上がるという、相手に歩み寄ろうする気持ちは、最初の純粋な気持ちだけでは続かない、だからお互いに努力することを心がけて、互いに尽くし合うことを大事にしているそうです。
以前は、「道楽が芸の肥やしになる」という芸人観を実践していたこともあったようですが、普通の生活をしている人たちを笑わせるのは、普通の夫、父親でなければならないと、「普通の暮らしこそ芸の肥やし」をモットーとしていらっしゃります。
きっかけ:
出会いを大事にしていますか?
同年の1951年生まれの人 参考
- TSUTAYA創業者 増田宗昭
- 漫画家 あだち充
- 漫画家 美内すずえ
- 漫画家 村上もとか
- 歌手 山本リンダ
- ミュージシャン忌野清志郎 1951-2009
- ミュージシャン スティング
- 俳優 桃井かおり
- 俳優 カート・ラッセル
- 俳優 ロビン・ウィリアムズ 1951-2014
- 現代美術家 森村泰昌
- 映画監督 押井守
- 映画監督ジュリアン・シュナーベル
- 映画監督チャン・イーモウ
- 脚本家 大石静
- 医師 バリー・マーシャル
- 小説家 桐野夏生
- 落語家 笑福亭鶴瓶
宮西達也の絵本「本当に大切なものは目には見えない」
1956年12月23日 職業:絵本作家
出身:日本(静岡県)
代表作:
- 『おれはティラノサウルスだ』シリーズ
- 『サカサかぞく』シリーズ
- 『にゃーご』
- 『ぶたくんと100匹のおおかみ』
- 『シニガミさん』
高校時代に「絵を描く仕事に就きたい」と思い、美術学校を目指して、デッサンを習い始め、美術学校に入学します。大学時代は、課題をこなし、絵を描く日々、それ以外の時間は、沢山の映画を観て過ごしたそうです。
卒業後、グラフィックデザイナーとしてデザイン会社に就職しますが、食えなくなるのを覚悟で26歳のときに仕事を辞めます。広告代理店でアルバイトをしながら、絵本を描き、描いたものを出版社に持ち込んで、1年後に絵本作家デビューします。
デビュー後は生活が安定するのかと思いきや、困窮した生活は続き、田舎からお米を送ってもらい、何とか日々を送っていました。
本が売れるために自分を変えたらおしまい、自分が描きたい作品を作り続ける、30歳までは続けたいと、信念を曲げず続けます。30歳を過ぎたときに、絵本研究家の講演会で、絵本の読み聞かせで紹介されたことがきっかけで絵本がちょっとずつ知られるようになったそうです。
最初にテーマを決めてからストーリーを考えるというやり方はずっと同じです。テーマがしっかりすれば、ストーリーがぶれることはない。その中に優しさや思いやりがないといけないと思っています。
時代が変わる中で、お金や物を持っている人たちをすごいと思う人が増えた。でも、お金をたくさんもらうことがそんなにすごいことかなと。自分に目をかけてくれた人たちの優しさや思いやりは、一生忘れられないですよね。
引用:産経ニュース
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宮部みゆき「生活することは毎日現実を解釈していくこと」
宮部 みゆきはどんな人?
1960年12月23日 職業:作家
出身:日本(東京都)
代表作:
- 『火車』
- 『模倣犯』
- 『理由』
- 『ぼんくら』
- 『おそろし』
幼い頃から父親から落語や怪談話を聞かされて育ったそうです。また父親は時代劇も好きで、家族で大河ドラマを観るのが習慣で、大河ファンです。
高校を卒業後、2年間勤務後、速記検定を取得し、法律事務所で5年間、和文タイピストとして勤務します。
10代の頃から、ミステリー小説や、映画を観ていたので、自分も何か書いてみたいという気持ちはありましたが、どうしていいのか分からず、ヒッチコック監督の「映画術」を参考に36枚書きます。ワープロを購入したことをきっかけに勤務後に自宅で練習します。
雑誌広告で講談社の小説教室を知り、1年半通い、教室の仲間に勧められ、推理小説新人賞に応募したところ、受賞候補になり、小説家の道を意識するようになります。
勤務時間の拘束が長い、法律事務所を辞め、東京ガスの集金の仕事を2年勤め、29歳のときに専業小説家になりました。
生きて生活するということは、毎日現実を解釈していくこと。
死後の世界はどういうものか、なぜ死ぬのが怖いのか、といった解釈の繰り返しがさまざまな怪談であり、そこに引きつけられるのだと思う。
人間が生む物語だから、人間の素晴らしさ、恐ろしさが反映する。一人の人間が強さも弱さも、賢さも愚かさも持っている。そういうことを、いろいろなバリエーションで書き続けたい
引用:デビュー30周年 時代物ミステリー新境地 「この世の春」
同年の1960年生まれの人 参考
- 漫画家 浦沢直樹
- 漫画家 荒木飛呂彦
- ものまねタレント コロッケ
- 作家 石田衣良
- ミュージシャン ボノ(U2)
- 映画監督 庵野秀明
- 映画監督 犬童一心
- 俳優 アントニオ・バンデラス
- 俳優 ショーン・ペン
- CEO ティム・クック
- 画家 バスキア 1960-1988
- 小説家 宮部みゆき
トラン・アン・ユン監督の映画作品
1962年12月23日 職業:映画監督・脚本家
出身:ベトナム
代表作:
- 『青いパパイヤの香り』
- 『シクロ』
- 『夏至』
- 『ノルウェイの森』
- 『エタニティ 永遠の花たちへ』
同年の1962年生まれの人たち参考
- 俳優 ジム・キャリー 1962
- 小説家 町田康
- メイクアーティスト IKKO
- ミュージシャン 布袋寅泰
- 美術家 村上隆 1962
- ミュージシャン ジョン・ボン・ジョヴィ 1962
- 小説家 小川洋子 1962
- 映画監督 デヴィッド・フィンチャー 1962
- 映画監督 是枝裕和 1962
- 映像作家 ピピロッティ・リスト 1962
- 俳優 トム・クルーズ 1962
- 版画家 ナンシー関 1962-2002
- 小説家 上橋菜穂子 1962
- 医学者 山中伸弥
- 脳科科学者 茂木健一郎 1962
- 俳優 デミ・ムーア 1962
- 俳優 ジョディ・フォスター 1962
- 映画監督 トラン・アン・ユン 1962
12月23日 今日は何の日?365日のきっかけ
東京タワー完成の日
1958年12月23日、東京都港区芝公園に東京タワーが完成し、完工式が行われたことに由来します。
テレホンカードの日
最初のカード式公衆電話が始動した日に因み、NTTが制定しました。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、12月23日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!