6月17日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

6月17日チャールズ・イームズ 誕生日

6月17日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

作曲家シャルル・グノー『ファウスト』『アヴェ・マリア』

シャルル・グノーの代表曲『アヴェ・マリア』は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『平均律クラヴィーア曲集 第1巻』の「前奏曲 第1番ハ長調」をもとに作られており、三大アヴェ・マリアの一つとして知られています。

  • カッチーニの『アヴェ・マリア』→ルネサンス後期の作曲家 1545-1618
  • バッハ/グノー『アヴェ・マリア』
  • シューベルトの『アヴェ・マリア』

同時代の音楽家は下記をご参照ください。年齢が近いのは、5つ年上のワーグナー(独)とヴェルディ(伊)です。

音楽家
ヨハン・パッヘルベル  1653-1706 ドイツ ヴィヴァルディ 1678-1741 イタリア J.S.バッハ 1685-1750 ドイツ ヘンデル 1685-1758 ドイツ ジュゼッペ・タルティーニ 1...

 

シャルル・グノーはどんな人?

1818年6月17日~1893年10月18日 職業:作曲家
出身:フランス

「フランス近代歌曲の父」として親しまれています。

バチカンの国歌『賛歌と教皇の行進曲』(伊:Inno e Marcia Pontificale)の作曲をしたことでも知られています。

代表曲:

  • 『ファウスト』
  • 『アヴェ・マリア』
  • 『操り人形の葬送行進曲』

 

父親は設計士、母親がピアニストだったので、幼少期から母親からピアノを習っていましたが、才能を伸ばすために音楽学校に入学します。20歳くらいローマに留学し、その後はウィーン、ベルリンなどを経由してフランスに戻り、教会の聖歌隊学長兼オルガニストに就任しました。

印象派の画家で知られているルノワール(1841-1919)は、幼少期にグノーの聖歌隊に所属し、声楽を習っていました。グノーはルノワールの才能を評価し、オペラ座の合唱団に入ることを提案しますが、ルノワール家は兄弟が多く、家計が厳しかったこともあり、陶器工場の徒弟として働くことになり、辞退しています。もし合唱団に入っていたら、画家になっていなかったのかもしれませんね。

1870年52歳 普仏戦争勃発(プロイセンVSフランス)プロイセンが圧勝し、この戦争でドイツが統一されました。

動乱期にグノーはどうしたかというと、イギリスで過ごし、王立合唱協会で主席指揮官を任され、この頃から宗教曲を多く手がけました。

最後はフランスに戻り、75歳で生涯を閉じました。

 

同時代のフランス出身者 参考

 

同年の1818年生まれ 参考

 

作曲家ストラヴィンスキー『春の祭典』『ペトルーシュカ』

同じ誕生日のグノーとは64歳離れています。ストラヴィンスキーと年齢が近いのは、1つ年上のバルトークです。

 

イーゴリ・ストラヴィンスキーはどんな人?

1882年6月17日~1971年4月6日 職業:作曲家
出身:ロシア

代表曲:

  • 『火の鳥』
  • 『ペトルーシュカ』
  • 『春の祭典』

 

父親はポーランド系の貴族でしたが、没落していた&三男だったこともあり、マリンスキー劇場のバス歌手として名を馳せていたようです。

幼少期から音楽が身近だったものの、大学は法学を専攻し、その傍らに音楽理論を学んでいました。そんなとき、法学部で知り合った学生が、作曲家のコルサコフの子どもだったことから、個人授業を受けさせてもらえたようです。

大学を卒業した翌年の24歳、幼馴染の従姉と結婚し、4人の子供を授かりました。(内1人は音楽教師で作曲家になっています)

大学は法学部でしたが、卒業後は作曲家としても大成功を収めており、生活とともに順風満帆ではありましたが、ストラヴィンスキーは複数の女性と不倫しており、家庭内は円満だったとは思えません。女性は敏感ですから、浮気しているのはばれていたと思います。お相手は、バレエの踊り子からファッションデザイナーのココ・シャネルとも関係があったと言われています。

 

 

創作の分野が幅広かったことから、あだ名が「カメレオン」でした。不倫関係も周りにはばれていたから、今日まで伝わっているわけで、そういうのも含めて「カメレオン」なのかもしれませんね。

54歳、ストラヴィンスキーの妻の結核に感染した長女が他界、翌年妻が他界すると、アメリカに移住し、長年こっそり?交際していた女性と再婚しています。前妻の子どもと後妻は仲が悪かったため、ストラヴィンスキーの死後、遺産問題でもめました。

1959年77歳 来日し、1ヶ月ほど観光を楽しんだようです。滞在中に興味を示したのが、「チンドン屋」でした。作曲した曲と似たような賑やかな音が好きという特徴がみえます。

89歳で生涯を閉じました。

 

同時代のロシア出身者 参考

 

同年の1882年生まれの人たち 参考

 

マウリッツ・エッシャー作品 だまし絵・モザイク

15世紀のルネサンス期に活躍したイタリアの画家、アンドレア・マンテーニャが手掛けた、ドゥカーレ宮殿の婚礼の間の天井画(天使が下を見降ろしているようにみえる)のような、遠近法を活用&目の錯覚でそう見えるようなものは、探すと意外とあるようです。

他には、16世紀にイタリアで活躍したジュゼッペ・アルチンボルドが描いた、果物や野菜、動植物や本、樽などを集めて作った肖像画。

同じようなものでは19世紀、江戸時代後期に活躍した浮世絵師、歌川国芳が描いた人で構成されている人物画とか、猫文字シリーズもあります。

20世紀に活躍したシュルレアリスムの画家、サルバドール・ダリもだまし絵を描いています。シュルレアリスムの画家が用いた、「トロンプ・ルイユ」という技法も、目の錯覚を利用しただまし絵です。

上記のだまし絵とは異なり、建築とか数学の要素を取り入れているのが、エッシャーです。美術史の分類としてオプアートにしましたが、絵画とデザインが融合された分類がちょっと難しい画家です。

 

西洋美術
ルネサンス ボッティチェリ(1445-1510)伊 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)伊 デゥーラー(1471-1528)独 クラーナハ(1472-1553)独 ミケランジェロ(1475...

 

上記の美術史の流れだと、エッシャーは下の方になっていますが、それは便宜上です。(Webは縦に書くしかないので…)シュルレアリスムのマグリットと年齢が同じなので、シュルレアリスムと並列くらいの位置だと思ってください。

 

マウリッツ・エッシャーはどんな人?

1898年6月17日~1972年3月27日 職業:画家
出身:オランダ

「だまし絵」で思い浮かぶ筆頭の画家です。

代表作:

  • 『メタモルフォーシス』
  • 『空と水』
  • 『昼と夜』
  • 『描く手』
  • 『目』
Maurits Cornelis Escher
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父親は土木技術者で、お雇い外国人として日本で働いていたこともあります。エッシャーは5人兄弟の末っ子として生まれました。21歳の頃に父親と同じように建築を学ぶために、学校に通い、そこで装飾美術に触れました。

26歳の頃にイタリアに旅し、そこで出会った女性と結婚し、2人こどもがいました。(次男は地質学者になりました)しばらくローマに住んでいたこともあります。時代的にイタリアも戦争まっしぐらだったので、一家でスイスに引っ越します。

エッシャーは名前が知られるようになるまで、何で生計をたてていたのか?不明です。20代の頃から描いていた家が並んでいる風景画など、作品は残っていますが、壁にかけて楽しい絵というわけでもないので、売れるとは思えないです。

スイスで暮らしているうちに海に憧れるようになり、船旅を計画しますが、お金もないので、船賃の代わりに版画を制作することを船会社と交渉し、船旅がスタートします。当時、全くの無名画家だったので、船会社の先見の明は素晴らしいですね。

船旅で訪れたスペインで、アルハンブラ宮殿でみたモザイク模様に感銘を受け、39歳頃からベルギーで模様研究を始めました。研究をする上で参考にしたのは、兄が結晶学者だったので、兄から勧められた模様に関する論文などでした。

マグリットは活動拠点がベルギーなので、エッシャーとマグリットは、年表上は同時期にベルギーにいたことになります。

戦後の1950年代、アメリカの雑誌で紹介され始め、若者層を中心に人気を得て、知られるようになりました。

1960年代になると、講演や講義などの仕事の依頼が増え、忙しい生活のなかで、創作を続けていましたが、ガンを患い10回ほど手術を繰り返し、体力的に衰え、晩年は老人ホームに入居して、そのまま亡くなりなした。73歳でした。

オランダを代表する画家ですが、意外とオランダにいる期間が短いように思います。作風が完成されたのは40代以降なので、同世代のシュルレアリスムの画家が注目されていたよりもあとです。

 

エッシャーは、日本のクリエイターや作家にも影響しています。

 

6月17日マウリッツ・エッシャー

 

きっかけ:

見立て遊びをしてみませんか?

以前、読んだ記事で知ったことですが、エッシャーの息子さんまたはお孫さんだったかの話によると、エッシャーは部屋の壁の染みを見て、見立て遊びをよくしていたそうです。

見立て遊びは日本人に馴染み深いと思います。手遊び、折り紙、ままごとなどは、見立てですよね?

エッシャーのような絵を描きたいと思ったら、こちらの本がオススメです。

 

 

エッシャーの作品を多く所有しているのが、長崎のハウステンボス美術館です。

 

同時代のオランダ出身者参考

この時代のオランダ出身者の多くは、活動拠点がオランダではありません。

 

同年の1898年生まれの人たち 参考

 

エッシャーが多大な影響を受けた恩師 サミュエル・メスキータ

1868年6月6日~1944年2月11日 職業:画家・版画家
出身:オランダ

エッシャーが美術学校に通っていたときに、エッシャーの才能を見出したと言われているのが、メスキータです。版画は多色よりも単色の方が刷りやすいので、どうしても黒を使うことが多いと思いますが、作風も似ています。

メスキータは、幼少の頃から絵が得意で、王立の美術学校を目指しましたが、入学することが出来ず、建築家の事務所で働きながら、専門学校で学び、建築家を目指しました。その後、教育の重要性に目覚め、教員免許を取得します。

25歳くらいからイラストの仕事を始め、雑誌の表紙や挿絵、テキスタイルのデザインなどを手掛けるようになります。

34歳のときに美術学校の教師になります。50歳頃にエッシャーと出会いました。エッシャーとはちょうど30歳離れており、誕生月が同じ6月です。

晩年は体調不良で隠居生活をしていました。1940年オランダにナチス・ドイツが侵攻し、ポルトガル系ユダヤ人でメスキータは、1944年に妻と一人息子とともに、アウシュヴィッツ強制収容所に送られ、亡くなりました。

作品が今も残っているのは、エッシャーや息子の友人が、メスキータ家に残っていたものを救出し保管していたようです。

 

Samuel Mesquita
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デザイナー チャールズ・イームズ椅子家具以外の映像作品

チャールズ・イームズはどんな人?

1907年6月17日~1978年8月21日 職業:デザイナー・建築家・映像作家
出身:アメリカ

チャールズ・イームズと妻のレイ・イームズ、ハーマンミラー社のデザイナーのジョージ・ネルソンなど、1940~1960年代にデザインされた家具「ミッドセンチュリー」をけん引したデザイナーの一人です。

12歳の頃に父親が他界、母と4人の姉とともに縁者を頼り、生活していましたが、14歳の頃から、製図工見習いとして働き始め、そこで設計や製図の素養を身に着けたと言われています。

18歳から奨学金を受けて、大学の建築学科で学びますが、指導教官と対立し退学になってしまいます。イームズの考え方がモダンすぎるという、理由でした。考え方がモダンすぎて退学なんて、それこそモダンですよね?

在学中に結婚、ヨーロッパに新婚旅行に行き、ヨーロッパの建築に触れます。アメリカに戻って、同世代の建築士と組んで、建築事務所を開設しますが、世界恐慌のあおりで、仕事がほぼなかったようです。尊敬するフィンランドの建築家の紹介で、美術学校に入学し、後にインダストリアルデザインの学長として指導をすることになりました。

34歳 妻と離婚、学校の同僚であったレイと再婚し、教師を辞め、ロサンゼルスに引っ越し、大量生産に向けたデザインに取り組み始めます。

ハーマンミラー社のデザイナーのジョージ・ネルソンが、当時無名であったイームズ夫妻を起用し、夫妻は合板や繊維強化プラスチックや、ワイヤーなど、新素材を使った家具などを手がけました。

イームズ夫妻は、映像作品の「Powers of Ten」の作者でもあります。「Powers of Ten」は、1968年に作られた教育映画で、今でもデザインの教育現場では、教材として使われています。

 

「Powers of Ten」に類似する視点に関する絵本

  • イシュトバン バンニャイ作『ZOOM』2005年
  • デイヴィッド ウィーズナー作『漂流物』2006年

 

『ZOOM』の巻末に谷川俊太郎さんの言葉があります。

眼は遠ざかる 日常から永遠へ みえるものからみえるものへ 眼はみたいものをみる 世界は入れ子 どこまでも続く合わせ鏡 素早いまなざしが時を止めて 自分自身さえも点景となる

 

6月17日チャールズ・イームズ

 

きっかけ:

入れ子になっているものを探してみませんか?

 

同年の1907年生まれの人たち 参考

 

イームズ夫妻が影響を受けた北欧の建築家 エリエル・サーリネン

1873年8月20日~1950年7月1日 職業:建築家
出身:フィンランド

フィンランドにアール・ヌーヴォー様式の建築を建てたことで知られています。建築の国際コンペを機にアメリカに移住し、高層ビルのデザインを考案、後進のデザイナーに影響を与えました。

59歳のときに美術学校の校長になり、ここでチャールズ・イームズを始め、後にイームズの妻となったレイ・カイザーなどのデザイナーが学びました。イームズ夫妻に影響を与えていたと言われているのが、エリエル・サーリネンです。息子のエーロ・サーリネンも建築家です。

 

バリー・マニロウ『copacabana』陽気なメロディに怖い歌詞

1943年6月17日  職業:ミュージシャン
出身:アメリカ

代表曲:

  • 『copacabanaコパカバーナ』
  • 『メモリー』
  • 『歌の贈り物』
  • 『哀しみのマンディ』
  • 『涙色の微笑み』

『コパカバーナ』は陽気なメロディーですが、歌詞が火曜サスペンスのようです。

 

ケンドリック・ラマー

1987年6月17日 職業:ラッパー・音楽プロデューサー
出身:アメリカ

 

6月18日 今日は何の日?365日のきっかけ

砂漠化および干ばつと闘う世界デー

国際デーの一つで、1994年6月17日に「国連砂漠化防止条約」が採択されたことを記念し、1995年の国連総会で制定されました。

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、6月17日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!

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