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6月6日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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6月6日是枝裕和

6月6日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

画家ディエゴ・ベラスケス『マルガリータ王女』

ベラスケスは17世紀に活躍した画家です。美術史の流れで言うと、ルネサンス期のあとのバロック期です。

 

同時代に活躍した画家

西洋美術

 

ベラスケスはヴァン・ダイクと同じ年に生まれています。ヴァン・ダイクの活躍場所はイギリスだったので、国は被りませんが、肖像画家であったことは同じです。

 

ディエゴ・ベラスケスはどんな人?

1599年6月6日〜1660年8月6日 職業:画家
出身:スペイン

ベラスケスは、スペインの宮廷画家として、国王や国王の家族、宮廷の人々の肖像画及び、室内を飾るための絵画が知られています。

 

代表作:

  • 『マルガリータ王女』
  • 『ラス・メニーナス』
  • 『鏡のヴィーナス』
  • 『ブレダの開城』
  • 『バッカスの勝利』

 

https://pin.it/jfumxc5wm3eqev

 

11歳の頃に画家に弟子入り、6年後独立し、17~18歳の頃に師匠の娘と結婚しました。この頃は、肖像画よりも風景や静物画を描いていたようです。

24歳の頃に、マドリードを旅し、伯爵の紹介で国王の肖像画を描きました。それがきっかけで、国王に気に入られ、宮廷画家として30年以上、王族の肖像画を描き続けました。

写真がない時代ですから、定期的に肖像画を残すのは、自撮りみたいな感覚でしょうか。

29歳のときに、ネーデルランドから派遣されてきた画家のルーベンスに出会っています。

翌年の30歳、絵画技術の修行(制作)と、美術品の収集という名目のもと、イタリアの旅が許され、ヴェネツィア、ローマなどに2年滞在し、帰国します。

49歳、2度目のイタリア両国でも3年ほど滞在し、旅先で代表作を数枚描いています。

帰国後、50代になるとベラスケスの宮廷内での地位が高くなり、宮廷画家としての仕事だけでない重責を抱え多忙でしたが、代表作の「ラス・メニーナス」や「マルガリータ王女」などの制作を行っていました。

ベラスケスが活躍したバロック期の画家は、本人だと確認が出来ないものはあっても、現存する作品が少ないです。ベラスケスは生涯に2度ほどイタリアを旅して絵を描く機会はあったものの、宮廷で過ごした時間が長く、宮廷で保管されていた作品が多いため、現存する作品数120点のうち1/3をプラド美術館が所蔵しています。

 

同時代の人 参考

 

絵も書も達筆!文人画家 池大雅(いけのたいが)

池大雅(いけのたいが)は、江戸時代中期~後期(8代将軍・徳川吉宗~10代将軍・徳川家治)に活躍した画家です。西洋美術史ではバロック期、フランスではロココ様式が流行っていました。同じ時代の日本も華やかです。

日本美術史参考

琳派

  • 尾形光琳(1658年~1716年)
  • 酒井抱一(1761年~1928年)

文人画家 与謝蕪村(1716年~1784年)

写生画 

  • 伊藤若冲(1716年~1800年)
  • 円山応挙(1733年~1795年)

浮世絵師 鈴木春信(1725年~1770年)

 

池大雅(いけのたいが)はどんな人?

1723年6月6日~1776年5月30日 職業:文人画家・書家
出身:日本(京都)

与謝蕪村とともに「文人画」の大家と言われています。

代表作:

  • 『十便十宜図』
  • 『楼閣山水図屏風』
  • 『山水人物図・老松図』

 

父親が早くに亡くなり、経済的に厳しいため、ほぼ独学で学ぶことが身についていたようです。学問に秀でていたため、「神童」と言われていました。独学のプロは学問だけでなく絵画でも同じで、師匠をもたず独学で絵師になり、特定のパトロンを持たずに生活が出来たので、今でいうと売れっ子のイラストレーター兼コピーライターです。

20代で指を使って描く指頭画(しとうが)をマスターし、30代で実在する景色を描く真景図(しんけいず)を描きながら新しい表現技法を模索しました。

文人画に留まらずに水墨画、狩野派、琳派、中国の院体画、西洋画など、和漢洋の画法を研究し、独自のおおらかな表現を築き上げました。

 

きっかけ:

指で絵を描いてみませんか?

 

同時代の人 参考

 

国産ビールの立役者!?トーマス・グラバー

1838年6月6日〜1911年12月16日 職業:貿易商人
出身:スコットランド

幕末期に長崎に「グラバー商会」を設立し、武器の調達、日本の生糸やお茶を輸出していました。長崎に西洋式ドックを建設し造船の街としての礎を築くなど日本の近代化に大きな役割を果たしました。

明治維新後も日本に留まり、高島炭鉱の経営、造船、採炭、製茶貿易業を通して、日本の近代化に貢献しました。また、薩摩藩の五代友厚他、数人の海外留学の手引きをしたのも、グラバーです。

国産ビール(KIRIN)の全身である会社を立ち上げるにあたり尽力したため、国産ビールの育ての親とも言われています。KIRINのロゴは中国の霊獣、麒麟をヒントにつくられていますが、ヒゲの部分は、グラバーのヒゲを意識している!?という話ですが、麒麟の顔は龍なので、定かではありません。

 

きっかけ:

地元で作られている地ビールを味わってみませんか?

地ビールがない場合は、小規模でつくっているクラフトビールなどもあります。

 

 

『蝶々夫人』のモデルはグラバー説があります。

 

同年の1838年生まれの人 参考

 

ブラウン管テレビの立役者フェルディナント・ブラウン

1850年6月6日~1918年4月20日 職業:物理学者・発明家

ブラウン管の発明など電磁気学および無線通信の分野に多大な業績を残し、1909年にノーベル物理学賞をグリエルモ・マルコーニと共に受賞しました。

The Blue Heartsの『青空』の作詞にこんなものがあります。

ブラウン管の向こう側
カッコつけた騎兵隊が
インディアンを打倒した
ピカピアに光った銃で
出来れば 僕の憂うつを
撃ち倒してくれればよかったのに…

 

「ブラウン管の向こう」という言葉は、芸能人やテレビ業界の人、映画を指していましたが、今はその言葉が使われることはないようです。

 

 

同年の1850年生まれの人 参考

 

画家 川端龍子代表作『金閣炎上』

1885年6月6日〜1966年4月10日 職業:日本画家・俳人
出身:日本(和歌山県)

代表作:

  • 『金閣炎上』
  • 『愛染』
  • 『怒る富士』
  • 『孫悟空』
  • 『鳴門』

 

幼少の頃に、鯉のぼりを見ていいなと思った龍子は、職人の工房に行き、書き方を真似して描いていたのが、画家としての原点だったようです。

10歳のときに家族とともに上京し、洋画家を目指して、洋画の研究所に所属しました。作品展に出品して、入選したのを機に画家としてやっていく決意をしたようです。

28歳のときに渡米し、修行しようと考えましたが、西洋絵画への道に行き詰まりを感じ、たまたま立ち寄ったボストン美術館で、日本の絵巻物を見て感動し、帰国後に日本画に転向しました。

龍子は65歳から、病で亡くなった妻と戦地で亡くなった息子の供養のため、四国八十八ヵ所巡礼を始め、6年がかりで全札所を回り、各札所で淡彩のスケッチを残しました。

 

お遍路とは?

弘法大師(空海)の足跡をたどり、八十八ヶ所の霊場を巡拝することですが、全国にコースがあります。四国八十八カ所が有名ですが、他にもあります。

 

上記以外にもあり、簡易バージョンもあって、四国まで行けない江戸の人々が秩父で巡礼をしたようです。秩父札所三十四ヶ所観音霊場

 

きっかけ:

巡礼スポットを回ってみませんか?

 

http://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/tabid/218/Default.aspx

 

同年の1885年生まれの人 参考

 

アラム・ハチャトゥリアン『仮面舞踏会』『剣の舞』

クラシック音楽というとバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなど17~18世紀くらいのイメージが強いですが、近代~現代にかけても沢山います。

作曲家一覧は下記です。このなかで一番年齢が近いのは、3つ年下のショスタコーヴィッチです。

音楽家

 

アラム・ハチャトゥリアンはどんな人?

1903年6月6日〜1978年5月1日 職業:作曲家
出身:ジョージア

代表曲:

  • 「仮面舞踏会」
  • 「剣の舞」

ハチャトゥリアンの父親は、製本を行う職人で、一族に音楽家はいなかったようですが、幼い頃から、生まれ育ったグルジア(現:ジョージア)の民族音楽に親しんでいたようです。

音楽を勉強し始めたのは18歳からとわりと遅く、音楽学校で作曲を学びました。

晩年に来日して、読売日本交響楽団と共演しています。

 

きっかけ:

違う人になりきってみませんか?

舞踏会という字は、「舞う」+「踏む」+「会」と書く理由は分かりかねますが、足を踏まれる回数が多いほど、相手を見る顔が険しくなりそうです。仮面があると、相手の表情が分からないので、怒っていてもスルー出来る、素顔を隠せる、違う人になりきれる、いいことばかりで、3割増し魅力的に見えるアイテムとしていいなと思いました。

 

是枝裕和監督の映画作品

1962年6月6日 職業:映画監督・脚本家・ディレクター・プロデューサー
出身:日本(東京都)

代表作:

  • 『万引き家族』
  • 『そして父になる』
  • 『誰も知らない』
  • 『三度目の殺人』
  • 『海よりもまだ深く』
  • 『奇跡』

 

6月6日是枝裕和

 

きっかけ:

家族はどんな存在ですか?

 

http://www.kore-eda.com/

 

同年の1962年生まれの人 参考

 

6月6日 今日は何の日?365日のきっかけ

楽器の日・邦楽の日・いけばなの日

芸事は6歳の6月6日から始めると上達すると言われていることから

「楽器の日」を全国楽器協会が1970年に制定しました。

「邦楽の日」を東京邦楽器商工業協同組合が1985年に制定しました。

「いけばなの日」でもあります。

6歳・26歳・36歳・46歳…106歳でも始めることは出来ます。4月や5月に新しいことを始めようとしていたのに始められなかった方は、今日から始めてみませんか?

飲み水の日

世界環境デーの翌日である6月6日を「飲み水の日」として東京都薬剤師会公衆衛生委員会が1990年に制定しました。

梅の日

天文14年4月17日(新暦1545年6月6日)、京都・賀茂神社の例祭・葵祭で後奈良天皇が神事をした際に梅が献上されたという故事に因み、和歌山県田辺市の紀州田辺うめ振興協議会(紀州梅の会)が2006年に制定しました。

山形さくらんぼの日

JA全農山形及び山形県が2013年に制定しました。

ロールケーキの日

ロールケーキの「ロ」の音と、「6」の形がロールケーキの巻いている形状に見えることからつくられました。

かえるの日

カエルの鳴き声「けろ(6)けろ(6)」の語呂合せで、作家・矢島さらが1998年に制定しました。

兄の日

姉妹型・兄弟型の研究者、畑田国男により制定されました。

参考

  • 3月6日→弟の日
  • 9月6日→妹の日
  • 12月6日→姉の日

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、6月6日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!

 

 

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