5月1日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
母の日の創始者アンナ・ジャービス
1864年5月1日~1948年11月24日 職業:社会活動家
出身:アメリカ
5月の第2日曜日は母の日です。感謝の気持ちを伝える日として、カーネーションを贈る習慣がありますが、何故5月?カーネーションが定番なんでしょう。その起源となっているのがアンナ・ジャービスと言われています。
アンナの母親のアンは地域の医療補助活動をボランティアで行い、南北戦争の際は負傷した兵士の治療の補助を行いました。アンが亡くなったのが1905年5月9日で、母親を尊敬していたアンナは、2回目の母親の命日を機に、母親を敬う日をつくる運動を開始します。
賛同者が増え、住んでいたバージニア州で「母の日」が制定され、その後全米に広がりました。1914年にはアメリカ全土で、5月の第2日曜日を「母の日」とする法案が可決され、制定されました。
このイベント・習慣が日本に伝わったのは戦後かと思いきや大正時代にキリスト教の学校を中心に広がり、昭和の始めから戦後までは、当時の皇后様の誕生である3月6日を母の日としていました。5月の第2日曜日になったのは戦後のことです。
何故、カーネーション?
一説によれば、アンナの母親が好きな花が白いカーネーションで、その後、アメリカで赤いカーネーションが定番化したと言われています。
カーネーションは、十字架に張り付けられたキリスト(息子)の痛ましい姿に、泣いたマリアの涙から生えた花がカーネーション!?と一般的に言われていますが、聖書には花としか書いていなかったような…?カーネーションという記憶はないです。
原産地は、南ヨーロッパから西アジアの地中海沿岸、ナデシコ科の多年草です。名前の由来は諸説ありますが、ラテン語で肉色を意味する「carn」という色の名前が派生した説があります。日本には、江戸時代初期にはオランダから伝来したようで、カーネーションではなく、ナデシコと同じような扱いだったようです。
母親を敬う日を作ろうとしたアンナ・ジャービスは「母の日」が出来て喜んだかと思いきや、商業化されてしまったことを批難し、その後は「母の日」を廃止する運動に時間を費やしました。
お花屋さんにとってこの時期はかきいれどきですが、母の日の夜までお客さんが並んでいるのを見ると、確かに花でなくても、花がなくても感謝の気持ちは伝えられるし、日にちを決めなくてもいいのかもしれません。
きっかけ:
○○の日(記念日)をつくってみませんか?
その日は何を記念する日ですか?何をしますか?
その日に食べたい特別な食事はありますか?
同年の1864年生まれの人 参考
- 発明家 屋井先蔵 1864-1927
- 小説家 二葉亭四迷 1864-1909
- 社会活動家 アンナ・ジャービス 1864-1948
- 画家 ヴィルヘルム・ハンマースホイ 1864-1916 デンマーク
- 作曲家 リヒャルト・シュトラウス 1864-1949 独
- 化学者 池田菊苗 1864-1936
- 教育者 津田梅子 1864-1928
- 画家 アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック 1864-1901 仏
作曲家兼画家!?多才なヒューゴ・アルヴェーン
1872年5月1日~1960年5月8日 職業:作曲家・指揮者・ヴァイオリニスト・画家
出身:スウェーデン
スウェーデンを代表する作曲家です。
同時代の作曲家 参考
- サティ 1866-1925 フランス
- スコット・ジョプリン 1868-1917 アメリカ
- ラフマニノフ 1873-1943 ロシア
- ヒューゴ・アルヴェーン 1872-1960 スウェーデン
- ホルスト 1874-1934 イギリス
- ラヴェル 1875-1937 仏
ヴァイオリニストであり作曲家でありながら、画家として生計をたてようと考えていたことがあるという、多才な人です。3人目の妻が画家であったことが影響していたのかもしれません。甥っ子のハンズ・アルヴェーンが1970年にノーベル物理学賞を受賞した物理学者でした。
作曲家のメンデルスゾーンは、語学堪能、絵も描いたそうなので、作曲家 兼 画家も珍しくないのかもしれません。
代表曲:
スウェーデン狂詩曲(Svensk rapsodi)『夏至の徹夜祭』(Midsommarvaka)
代表曲の『夏至の徹夜祭』は可愛らしい曲でおススメです。
同時代のスウェーデン出身者 参考
- 画家 カール・ラーション 1853-1919
- 作家 セルマ・ラーゲルレーヴ 1858-1940
- 作曲家 ヒューゴ・アルヴェーン 1872-1960
同年の1872年生まれの人 参考
- 作家 田山花袋 1872-1930
- 画家 ピエド・モンドリアン 1872-1944 オランダ
- 作家 島崎藤村 1872-1943
- 音楽家 ヒューゴ・アルヴェーン 1872-1960 スウェーデン
- 小説家 樋口一葉 1872-1896
- 探検家 ロアール・アムンセン 1872-1928 ノルウェー
- 画家 オーブリー・ビアズリー 1872-1898 英
北杜夫(きた もりお)の著書代表作
1927年5月1日~2011年10月24日 職業:小説家・精神科医
出身:日本(東京都)
著書代表作:
- 『どくとるマンボウ航海記』
- 『夜と霧の隅で』
- 『ぼくのおじさん』
- 『楡家の人びと』
- 『船乗りクプクプの冒険』
医師であり歌人である父(斎藤茂吉)にすすめられ、しぶしぶ医学部に入学、手術を見た際に気を失い、外科医になることは諦め精神科医になりました。慶応大学病院でインターン中に執筆活動を始め、水産庁の漁業調査船照洋丸に船医として乗船し、そのときの体験をもとに書いたのが「どくとるマンボウ航海記」です。
同年の1927年生まれの人 参考
- ファッションデザイナー ユベール・ド・ジバンシィ 1927-2018
- テキスタイルデザイナー マイヤ・イソラ 1927-2001
- 作家 北杜夫 1927-2011
- 映画監督 ボブ・フォッシー 1927-1987
- 劇作家 ニール・サイモン 1927-
- 絵本作家 ディック・ブルーナ 1927-2017
- 政治学者 緒方貞子 1927-2019
- 画家 加山又造 1927-2004
- 絵本作家 長新太 1927-2005
- 俳優 ロジャー・ムーア 1927-2017
- 絵本作家 馬場のぼる 1927-2001
- ギタリスト ナルシソ・イエペス 1927-1997
- インテルの創業者 ロバート・ノイス 1927-1990
- 児童文学作家 古田足日 1927-2014
- 作家 藤沢周平 1927-1997
阿木燿子の作詞
1945年5月1日 職業:作詞家・俳優・小説家
出身:日本(神奈川県)
夫の宇崎竜童さんが作曲、阿木燿子さんが作詞というコンビで、山口百恵の全盛期から引退までのヒット曲を手掛けました。
歌詞代表作:
- 「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」 歌:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
- 「魅せられてダウン・タウン・ブギウギ・バンド」 歌:ジュディ・オング
- 「横須賀ストーリー」 歌:荒木由美子
- 「思い出ボロボロ」 歌:内藤やすこ
- 「DESIRE -情熱-」 歌:中森明菜
- 「プレイバックPart2」 歌:山口百恵
同年の1945年生まれの人 参考
- ミュージシャン ボブ・マーリー 1945-1981
- 生物学者 大隅良典 1945
- ミュージシャン エリック・クラプトン
- 映画評論家 ピーコ&おすぎ
- 俳優 吉永小百合
- 作詞家 阿木耀子
- 美術家 リチャード・ロング
- 絵本作家 五味太郎
- 司会者 タモリ
- 歌手 ベット・ミラー
ジョン・ウー監督の映画作品
1946年5月1日 職業:映画監督・脚本家・映画プロデューサー
出身:中国
代表作:
- 『レッドクリフ』シリーズ
- 『フェスオフ』
- 『ミッション:インポッシブル2』
アクション映画監督として知られています。幼い頃に他人から暴力を受けることが多く、暴力の残酷さを伝えるという意図と、平和の象徴である鳩がでてくるシーンが多いのが特徴です。
同年の1946年生まれの人 参考
- 映画監督 デヴィット・リンチ 1946-
- シンガーソングライター 吉田拓郎 1946-
- 俳優 アラン・リックマン 1946-2016 英
- 歌手 アル・グリーン 1946-
- 詩人 星乃富弘 1946
- 映画監督 ジョン・ウー 1946-
- 俳優 シルヴェスター・スタローン 1946-
- ロック歌手 フレディ・マーキュリー 1946-1991
- 俳優 トミー・リー・ジョーンズ 1946-
- 映画監督 オリバー・ストーン 1946-
- 作曲家 リチャード・カーペンター 1946-
- 絵本作家 佐々木マキ 1946-
- 建築家 藤森照信 1927-
- 映画監督 スティーヴン・スピルバーグ 1946-
ウェス・アンダーソン監督の映画作品
1969年5月1日 職業:映画監督、映画プロデューサー・脚本家・俳優
出身:アメリカ
代表作:
- 『天才マックスの世界』
- 『ムーンライズ・キングダム』
- 『グランド・ブダペスト・ホテル』
5月1日今日は何の日?365日のきっかけ
メーデー 労働者の日
すずらんの日
フランスでは5月1日に、日頃お世話になっている人へスズランの花を贈る習慣があります。フランスで、スズランは「聖母マリアの涙」と呼ばれています。
日本赤十字社創立記念日
1877年5月1日、佐野常民らが西南戦争の負傷者の救護のため日本赤十字社の前身である博愛社を設立したことに因みます。
扇の日
語呂合せ 5(こ)1 (い)「恋」で、『源氏物語』で女性が光源氏に恋の歌を扇に書いて贈っていることから京都扇子団扇商工協同組合が1990年に制定しました。
狂言の中での扇の利用は、舞うときに開いて使う、閉じているときは刀、筆の代わりとして使われています。扇を何かに見立てて使うものを考えると、落語のそばを題材にした演目の中で箸になっていることを思い出します。
また、将棋の対戦のときには集中力を高め、調子をとるために片手で閉じたり開いたりして最後にパチンと音を立てて閉じる姿を想像します。扇というアイテムに多種多様な使い方が存在しますよね?
扇と扇子の違いについて、扇の小さいものを扇子という説と、扇という言葉に丁寧語の子がついたという説があります。誕生から江戸時代までの扇の利用をざっくりと集めてみました。
古代エジプト~中国編
古来より、儀式、祈願、占いのために扇ぎ、払うものとして葉っぱや鳥の羽、獣の毛を利用していました。その様子は古代エジプトの壁画からも見ることができます。扇の起源は、古代中国で使用していた柄の長い団扇の形状の翳(かざし)です。
身分の高い人物の顔や身体を隠し神秘性を高めるための道具として、外出時に従者が持って同行し一般の人に顔を見られないようにすること、通行を伝える目印として利用されていました。1972年に発見された高松塚古墳の壁画(西壁女子群像)を見ても分かるように飛鳥時代には日本に翳がありました。
(翳はタカ科のサシバという鳥の尾羽を柄の先に放射線状に指して作られており、サシバは別名、オオオウギと呼ばれているのはこのためです)
平安時代編
平安時代になると、柄の短い小型の翳がつくられ、団扇(だんせん)と呼ばれるようになります。今はうちわと読みますよね?使い方は翳と変わりませんが、平安時代は温暖な気候であったため扇いで涼をとる、あるときは虫を追い払うのに使用していました。
唐招提寺では毎年5月19日に「うちわまき」という行事が行われています。中興の祖と呼ばれる覚盛上人(かくじょうにん)が座禅をしていた夏の暑い日に、腕に蚊がとまりその蚊をたたこうとしている弟子に対して「自分の血を与えるのも菩薩行である」と生命の大切さを諭したことに由来します。上人の死後、尼僧たちが上人の命日に蚊を遠ざけるよう呪文の書かれたうちわをお供えするようになり、これを見た庶民によってうちわは厄除けとしてご利益があると広まり、うちわまきという行事に発展したと言われています。
折りたためる扇ができたのは、平安時代初期の日本が発祥と考えられています。初期の扇は檜扇と呼び、貴族の男性が儀式の笏として、開いてメモ帳の役割をしていました。扇面に絵が描かれるようになると顔や口を隠す装飾品として宮中の女性も使用するようになり、平安時代の貴族の正装の必需品となりました。この様子は源氏物語絵巻でも扇で顔を隠す宮中の女性の様子を見ることができます。
檜扇は主に冬用の持ち物と定められ、夏は檜扇を簡略し、開いた形がコウモリに似ていることから名がついた蝙蝠扇(かわほりせん)が主流であり、この蝙蝠扇が現在の扇子の原型と言われています。
おうぎの語源は阿布岐(あふぎ)で、逢うという音に近いため、旅立つ親しい人に餞別として、贈られることが多かったようです。『新古今和歌集』や『貫之集』では、旅立つ人にむけての別れの歌のなかに扇という文字がでてきます。平安時代中期に書かれた『源氏物語』のなかでも、扇は男女の間のメッセージのやりとりとして登場しています。
古典文学の中でも扇は度々登場していますが、時代ごとにその利用は変化しています。源氏と平家の屋島の戦いにて平家が掲げた扇を那須与一が矢で射ぬく話は、小学校の歴史の授業で誰でも聞いたことがあるかもしれません。扇は戦禍において軍配になり、末広がりの形から縁起のいい吉兆紋として家紋になります。扇が入った家紋は多く存在し、形そのものが着物や工芸品の意匠に取り入れられるようになります。
鎌倉時代
温暖だった平安時代初期に対して鎌倉時代は寒冷で、作物がとれないために起きる一揆や戦が多くなっており、人々の暮らしや精神に気候が深く関係し、扇の使い方にも気候やそのときの情勢が大きく影響していると思われます。那須与一の扇の的以外にも扇にまつわる故事が多く残っており、今現在も日本各地で行われる祭りのなかでみることができます。
例えば、毎年5月に行われる京都の三船祭の扇流しは、足利尊氏が天龍寺に参詣する際にお供の者が誤って川に扇を落としてしまい、流れる美しい風景を尊氏が喜び、毎年天龍寺に参詣する際には川に扇を流すようになったことに由来します。また扇が流れる様子は、扇流しという文様になり室町時代に意匠として大流行しました。
大分県の「津久見市民扇子踊り」をはじめ、愛知県の「加茂扇子踊り」はおよそ450年の前の戦国時代から受け継がれ、今も毎年開催されています。
ご利益を寄せ、厄を払う道具として団扇や扇は舞との相性がよく、上記の古くからある祭り以外にも見ることができます。
江戸時代
舞と扇との関係は古くからありますが、舞うときだけではなく、正座して挨拶をする際に、膝の前に扇を横向きに置きお辞儀をする際の扇は境界線に見立てられ、扇の向こうを上座、師匠やお客様を指し、手前を下座、弟子や演じ手という関係を表します。現代では正座で挨拶する機会がなく作法は分かりかねますが、茶道や落語の挨拶でも見られますよね?
扇を何かに見立てるのは、江戸時代から始まり、庶民の娯楽として発展した狂言や落語に多いように思います。落語において扇は、刀、弓、矢、松明、横笛、箸などに見立てられた道具です。扇の状態によって動作や方向、強調を表し、あるときは音源として利用されるなど多様に用いられています。
江戸時代、武士の切腹においても、扇腹という刑罰があり、短刀の代わりに扇を置き、扇に手をかけた瞬間に介錯人によって首を落とされており、刀の代用としても使われていたこともあります。
海外編
扇は日本人の特有の文化であり美学なのかと思っていましたが、江戸時代に南蛮貿易で、日本の扇子はヨーロッパに渡り、貴族の女性の間で使用されており、大きさや素材が変化し、その国の文化へ溶け込み発展しています。特にスペインでは、女性が男性に思いを伝える際に扇子が使用され、扇子を使用したジェスチャー、扇子言葉が存在し、言葉を使わずに相手に思いを伝えることができたそうです。スペインの伝統舞踊フラメンコのなかでも扇子が使用されていますよね?
クロード・モネの「ラ・ジャポネーズ」は、モネの妻カミーユがモデルを務め、手に持っているのは扇子、背景の壁には大量のうちわがかけられています。ジャポニズムがヨーロッパで流行した際に、当時ヨーロッパでは珍しかったうちわが流行ったため、印象派の絵のなかに、うちわを持っている作品がでてくるのはこのためです。
扇の構造と言葉
一つの扇は、職人による30ほどの手作業の工程を得て完成します。その構造は、扇の一番外側に位置する親骨、開いて見える扇面と中骨、骨をまとめている要の4つに分けられ、親骨から120度ひらくのが主流です。骨は竹や木製のものが一般的で、数は大きさによって異なりますが14から28本です。
構造の名前を知ると、親骨や中骨など人間らしい表現であり、要(かなめ)は肝心要(かんじんかなめ)の語源にもなっていることから、人間により近い道具であり、お守りのような存在かもしれません。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、5月1日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!