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1月13日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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1月13日田中一光

1月13日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

乾電池はこうやって生まれたが、特許は取得できなかった

屋井先蔵(やい さきぞう)はどんな人?

1864年1月13日~1927年6月1日 職業:発明者
出身:日本(新潟県)

乾電池の発明者で知られています。

屋井先蔵について分かりやすく説明しているサイトがあるのでご参考

 

同年の1864年生まれの人 参考

 

モディリアーニの友達 シャイム・スーティン

シャイム・スーティンはどんな人?

1893年1月13日~1943年8月9日 職業:画家
出身:ロシア

エコール・ド・パリの画家として知られています。

 

エコール・ド・パリとは何?

1920年代を中心に国籍も画風も異なった画家たちが、パリのモンマルトルやモンパルナスに集まり、自由な生活をしながら絵を描いていた時代の総称です。
代表する画家:モディリアーニ、シャガール、ユトリロマリー・ローランサンなど

 

ロシアに住むユダヤ人夫婦のもと、10番目の子どもとして生まれます。一家は、修繕屋を営んでいたので、兄たちは家の仕事を手伝っていましたが、シャイムは幼少の頃より体が弱く、絵を描くことに興味を持っていたようです。

絵を学ぶために17歳から3年間、故郷を離れリトアニアの美術学校で学びます。その後、友人とともにパリに行き、シャガールやフェルナン・レジェ、モディリアーニたちとともに、集団生活をするようになります。

特にモディリアーニは、スーティンと関わりが深く、スーティンの写真がネット上にほぼありませんが、モディリアーニが描いたスーティンの肖像画はあります。

スーティンは絵が売れず困っていたところ、モディリアーニは知り合いの画商に紹介し、絵の良さを説明して、無理やり絵を買わせていたようです。

 

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27歳のときに支えであったモディリアーニが死去すると、作風が変化し、パリでの人間関係を避けるようになります。

30歳でようやく、作品を買ってくれるコレクターが現れ、アメリカで作品が展示された際は、大きな影響が広がり、フランス国内での評価が上がります。それを機に画家として絵が売れ始めてからは、いい家に住み、運転手つきの生活を送ったと言われています。

 

40歳以降はほぼ創作はせず、晩年は再び困窮した生活になり、1940年、47歳のときにドイツ軍がフランスに攻めてきた際に、ユダヤ人であったスーティンはドイツの秘密警察から逃げるために、フランスの村々を転々とし、過酷な暮らしのなかで持病が悪化し、50歳で亡くなりました。

 

スーティンのモチーフは風景や静物画など様々ですが、人物画の多くは、誰という有名人はなく、ケーキ職人、肉屋、奉公人、ドアボーイなど、仕事をしている普通の人を描いていることが特徴です。

 

同年の1893年生まれの人 参考

 

マイケル・ボンド作 絵本『パディントン』映画実写化

マイケル・ボンドはどんな人?

1926年1月13日~2017年6月27日  職業:児童文学作家
出身:イギリス

『くまのパディントン』の作者として知られています。

 

戦後、BBCで映像カメラマンとして働きながら、19歳で短編小説を書きはじめ、32歳のときに「くまのパディントン」を発表しました。

作品のアイデアになったのは、29歳のクリスマスイブに、お店に売れ残っていたクマのぬいぐるみを見て、可哀そうに思い、妻へのプレゼントとして購入します。当時、ロンドンのパディントン駅の近くに住んでいたことから、「パティントン」という名前をつけ、そのぬいぐるみを着想にお話しを書き始めます。

41歳のときに会社を辞め、作家業に専念します。パディントン以外にも200本以上の絵本を執筆し、人気のキャラクターを生み出しました。

 

2014年に映画化され、続編が2018年1月に公開されました。

 

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『くまのパディントン』読んだことありますか?

生後数週間のときに、地震で両親が亡くなり、ルーシーおばさんと住んでいました。しかしおばさんが老グマホームに入居することになり、困ったおばさんは、ペルーからイギリスにくまをを送るところから話が始まります。

「どうぞこのくまの面倒をみてやってください。お願いします」と書かれた札を首から下げて、遺失物取扱所の横に座っていたところに、ブラウン一家が通りかかり、一緒に住むことになります。出会った場所がパディントン駅だったので、くまの名前が「パディントン」と名付けられました。

パディントンの出身はイギリスではなくペルーです。老クマホームとか、遺失物取扱所という設定がリアルです。荷物のように送ってしまうおばさん、だいぶ問題ありますが、絵本なので許されます。

絵本のパディントンのイラストを4~5人のイラストレーターが手掛けているため、作品ごとに全く違うもののように見えます。

 

きっかけ:

昔持っていた、ぬいぐるみを着想に物語を作ってみませんか?

 

同年の1926年生まれの人 参考

 

デザイナー田中一光 無印良品などの作品

田中一光さんはどんなひと?

1930年1月13日~2002年1月10日 職業:グラフィックデザイナー
出身:日本(奈良県)

 

無印良品は1980年に誕生した際に、コンセプトなどの発案者であった田中一光さんが亡くなるまでの20年、アートディレクターとして無印良品が考える思想をデザインにしました。現在のデザイナーに多大な影響を与えたデザイナーのお一人だと言われています。

無印良品をはじめ、Topsや西武、西友、竹尾、モリサワのロゴやポスター、製品プロデューサー、空間デザイナー、装丁家など様々な方面で活躍しました。

必要最低限にそぎ落とすことにより、美しかったり、より豊かに感じる、ミニマル・デザインの日本の先駆け?だったのかなというのは、個人的な考えです。

 

デザインの手法としてはラフスケッチを描いたあとにタント紙で切り絵におこし、それをもとにシルクスクリーンでポスターを制作します。アルファベットなどの文字組、タイポグラフィの欧文書体は「ボドニ」を好んでいたようです。

テーマとしては、花鳥風月や琳派の影響が濃く、尾形光琳の『白梅林図屏風』『燕子花図』などから部分的にモチーフとして、用いられていました。

 

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デザインをする上、仕事をする上での心構えというと言えると思いますが、「異種交配」という言葉をよく使われていたそうです。おそらく、様々な業種の人と関わることで、生み出されることを大事にしたいということだと思います。

ここに書いた内容は、2012年に21_21_DESIGN SIGHTで開催された『田中一光とデザインの前後左右』展を鑑賞したあとの感想メモとして残してあったものをまとめてみました。

 

1月13日田中一光

 

 

きっかけ:

異業種の人と交流してみませんか?

 

同年の1930年生まれの人 参考

 

オーランド・ブルーム出演の映画作品

1977年1月13日  職業:俳優
出身:イギリス

代表作:

  • 『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ
  • 『ホビット』シリーズ
  • 『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ
  • 『トロイ』
  • 『キングダム・オブ・ヘブン』

全部、コスチューム系ですね。

 

1月13日 今日は何の日?365日のきっかけ

ピース記念日・たばこの日

1946年1月13日に高級たばこの「ピース」が10本入り7円で初めて発売されたことに由来します。

タバコを吸ったことがないので、本数についてそれが多いのか?少ないのかもよく分かりませんでした。今のタバコは20本入りが多いですか? 実は私、12本とか24本入りだと思ってました。

鉛筆は12本入りで1ダース、ビール瓶のケース6本入りを半ダースと言ったりします。ダースは、ラテン語の duodecim (12)が由来します。1年が12か月である暦から12進法がつくられ、単位としてずっと使われていた名残りと言われています。

 

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、1月13日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!

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