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1月10日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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1月10日福沢諭吉

1月10日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

時計界のレオナルド・ダヴィンチ!?ブレゲ

アブラアム・ルイ・ブレゲはどんな人?

1747年1月10日〜1823年9月17日 職業:時計職人
出身:スイス

時計の技術を200年早めた称される天才、時計職人として知られています。

 

名家に生まれますが、11歳のときに父親が亡くなり、母親の再婚相手が、時計職人だったことがきっかけで、14歳のときに学校を中退し、地元の時計職人に弟子入りし修行を積みました。

1年後にフランスに渡り、修練を積みます。この頃、頻繁に交流していた神父より物理学、天文学、機械工学、光学などの話を聞いていたことが、発想の礎になったと考えられています。

28歳 自分の店を構えます。

同年に結婚し、子どもを授かりますが3人とも病死し、最愛の妻が28歳でこの世を去り、深い悲しみにあったブレゲは、発明に没頭し数々の革新的な時計を生み出しました。

ブレゲの時計の顧客は、ルイ16世やマリー・アントワネットなどの特権階級でした。アントワネットの生前に注文を受けましたが、フランス革命で処刑されてしまったあとも時計の開発は続けられました。ブレゲが亡くなり、弟子たちにその仕事が引き継がれ、30数年後に完成しました。

 

同時代の人 参考

 

『学問のススメ』著者 福澤諭吉は独学で英語を習得した

福澤諭吉はどんな人?

1835年1月10日~1901年2月3日 職業:蘭学者・著述家・啓蒙思想家・教育者
出身:日本(大分県)

 

慶応大学の創設者であり、一万円札の肖像としてお馴染みの人です。

 

江戸時代末期、現在の大分県、豊前国中津藩の下級武士であった父のもと、次男として生を受けました。

諭吉が1歳の頃に、父親が亡くなります。幼い頃の諭吉は大変、いたずら好きの悪がきだったようですが、障子の張り替えをこなすなど内職は得意だったようです。

 

5歳~20歳

手習いを始めますが、最初は学問嫌いでした。14~15歳頃、近所で自分だけが勉強していないことに世間体が悪いと思い、学び始めます。すると勉強が合っていたようで、19歳で兄のススメで蘭学を学ぶために長崎にでます。

 

21歳 大阪で医師であり蘭学者であった緒方洪庵の塾に入門しますが、翌年、兄が病死したため、家督を継ぐために帰郷します。

23歳 勉強を諦めきれず、父親の遺した借金を家財道具などを売り払い、完済し、親族が反対も押し切り、大阪にでて学びます。

学費を支払う余裕が一切なかったので、塾に住み込み、友人から教科書を借りて、筆写して学びます。最年少で塾長になります。医学塾ではありましたが、血を見るのが苦手な諭吉は手術などには一切手をださず、簡易的な理科実験やオランダ語を学んだようです。

 

25歳 藩の命令で江戸に行くことになり、築地の近くに小さな長屋の一軒を借りて、蘭学の塾を開きます。それが、慶応義塾大学の起源と言われています。

26歳 横浜に見物に行き、学んだオランダ語が全く通じない、文字も読めないことにショックを受けます。オランダ語ではなく、英語の必要性を痛感した諭吉は、教えてくれる先生もいない、辞書も英蘭辞書しかなかったので、それを頼りに独学で英語の勉強を開始しました。

27歳 通訳官としてアメリカ視察に同行し、翌年、ヨーロッパに派遣されます。生涯に3度、船で航海をしています。

 

福澤諭吉のしたことをまとめると下記の3つです。

  • 優秀な人材を育てるために大学を創設した
  • 西洋思想や文化(衣食住)を日本に伝え、近代化のきっかけをつくった
  • 女性の社会的地位を向上させるために尽力した

 

3番目について補足します。

諭吉23歳、当時高名で知られていた儒学者であった、貝原益軒の著書「女大学」を読み驚きます。そこには三従の教えとして、「女性は父に従い、結婚後は夫に従い、老いては子に従え」と説かれてありました。その時代はそれが当たり前でした。

父親が早くに亡くなり、母や姉たちが苦労しながら育ててくれたことを間近に見ていた諭吉にとって、女性の生き方があまりにも気の毒に思え、男性の不品行について「男大学」を書きたいと友人に手紙を送っています。

そして著書のなかで男女平等を訴え、女性が男性に依存しないで生きられるよう職業を作ろうと、慶応大学内に仕立物や洗濯もの行える職場を作りました。

 

福澤諭吉の英語習得法

当時、今のように英語教材がないなか、諭吉が英語を習得した勉強法は、おそらく写経かと思います。オランダ語を勉強する際に教科書代が払えないため筆写していて、写経学習に慣れていたことが言えると思います。

写していても、話せるようにはならないと思うのですが、3度に渡り、アメリカやヨーロッパに随行したり視察に行っているため、実践で習得したという感じでしょうか。

 

1月10日福澤諭吉

 

 

きっかけ:

1万円以下でもう一度英語を学習するとしたらどんな方法がいいですか?

 

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同年の1835年生まれの人 参考

 

尾崎紅葉作 未完の『金色夜叉』

1868年1月10日~1903年10月30日 職業:小説家
出身:日本(東京都)

 

代表作:

  • 『金色夜叉』
  • 『伽羅枕』
  • 『多情多恨』
  • 『二人女房』
  • 『三人妻』

 

11月4日生まれの泉鏡花のときにも、師匠である尾崎紅葉について少し触れましたが、泉鏡花以外にも弟子が数人いました。田山花袋、小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声、共通して植物っぽいペンネームで、優雅な感じがします。

尾崎紅葉は弟子の作品を自分の作品として発表していたという説もありますが、当事者は生きていないので、盗用だったのか?オマージュだったのか?は分かりません。面倒見がよく弟子から好かれていたので、それが問題になることはなかったのかもしれません。

 

同年の1868年生まれの人 参考

 

「おおきなかぶ」の作者トルストイ

アレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイはどんな人?

1883年1月10日~1945年2月23日 職業:作家
出身:ロシア

トルストイと言うと、『アンナ・カレーニナ』とか『イワンの馬鹿』などで知られるレフ・トルストイが知られていますが、幼少の頃に『おおきなかぶ』を読んだ際に作者A・N・トルストイと覚えていたので、小学生になって「トルストイは小説も書いていたのか」と勘違いしました。「はとこ」 なので血縁関係はありますが、レフ・トルストイとは別人です。

「おおきなかぶ」でお馴染みですが、絵本作家ではなく、専門はSFと歴史小説です。

 

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同年の1883年生まれの人 参考

 

1月10日 今日は何の日?365日のきっかけ

かんぴょうの日

かんぴょう(干瓢)の「干」が「一」と「十」の組み合わせから成ることに由来します。

明太子の日

1949年1月10日に福岡の食品会社ふくやが、明太子を販売を開始したのを記念して制定しました。もっと古くからあるのかと思ってました。意外と最近の食べ物なんですね。

 

 

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、1月10日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!

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