3月25日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
私生活をネタに小説にする 島崎藤村の生き方
1872年3月25日~1943年8月22日 職業:詩人・小説家
出身:日本(長野県)
一昔前の文豪の生活は今の週刊誌よりももっとすごいと思います。島崎藤村もその一人で、すごいのは作品にしてしまうことです。
代表作:
- 『夜明け前』
- 『新生』
- 『破戒』
- 『初恋』
- 『春』
本名は島崎春樹の父親は国学者、7人兄弟の4番目として生まれます。小学校に入り、この頃から父親から論語を学んでいました。9歳の頃に上京し、寄宿舎を運営していた伯父のもとに身を寄せ、都内の学校に転校します。
学校時代の恩師がキリスト教徒であったため、影響を受けて、洗礼を受けます。またこの時期に、西洋文学にはまっています。
15歳の頃に、父親が精神的に不安定になり、狂って寺に火をつけた?理由は定かではありませんが投獄され牢死します。島崎藤村に与えた影響は大きく、小説『夜明け前』の主人公は、父親がモデルになっています。
学校を卒業後の20歳、女子高等学校で英語の教師になります。また、この時期に、雑誌に詩や随筆などを発表しました。若い頃の島崎藤村は草食派のイケメンだったので、女子生徒にはモテたと思います。
女子生徒の一人を好きになってしまい(たった3~4歳くらいの年の差だと思いますが…)、教師としてあるまじき行為に自責の念にかられ、キリスト教徒であることをやめ、辞職してしまいます。
22歳 一時的に復職していますが、この時期に兄が仕事場の不正疑惑により収監され、好きだった女子生徒が病死、精神的に追い込まれ、女学校を辞めます。
24歳 宮城県の学校で1年間赴任していますが、同年に母親が亡くなり、詩の創作を始めますが、詩集を出版してからは詩への熱は徐々の失われていったようです。
27歳 長野県の私塾の英語教師として赴任します。ここで知り合いから紹介され、冬子と結婚します。翌年、長女が誕生します。数年をおいて、次女、三女を授かりますが、33歳の頃に栄養失調により3人の娘が相次いで亡くなります。
この時期に、小説『破戒』を自費出版、人気作家として知られるようになりました。
38歳 妻、冬子が四女を出産後に他界します。
40歳 身の回りの世話をしてくれた姪(次兄の次女・こま子)と男女の関係になり、こま子が妊娠します。
41歳 世間的もあるので、生まれた子どもは養子にだされますが、こま子との関係を絶ち切るために渡仏します。
パリで執筆しながら、朝日新聞に連載をもっていましたが、第一次世界大戦が勃発を機に、フランスを田舎町に疎開します。
3年後の44歳、ロンドン経由で日本に戻り、翌年、大学で講師の職を得ます。こま子との関係が再びはじまります。
46歳 こま子との関係をモデルにした小説『新生』を発表します。身勝手な人だな…
この結果、こま子は日本に居づらくなってしまい、台湾に渡ることになります。台湾でのこま子の生活は分かっていませんが、戦時下なので、大変だったと思います。後に、東京に戻り1978年、85歳で生涯を閉じたようです。
56歳 24歳年下の女性と再婚します。
62歳 日本ペンクラブを結成し、初代会長に就任します。
71歳 脳出血により自宅で亡くなりました。
きっかけ:
経験ほど勝るものはない!と思ったことは何ですか?
http://toson.jp/
同年の1872年生まれの人
- 作家 田山花袋 1872-1930
- 画家 ピエド・モンドリアン 1872-1944 オランダ
- 作家 島崎藤村 1872-1943
- 音楽家 ヒューゴ・アルヴェーン 1872-1960 スウェーデン
- 小説家 樋口一葉 1872-1896
- 探検家 ロアール・アムンセン 1872-1928
- 画家 オーブリー・ビアズリー 1872-1898 英
バルトーク・ベーラ 難解な曲が多い
バルトーク・ベーラはどんな人?
1881年3月25日~1945年9月26日 職業:作曲家・ピアニスト・民俗音楽研究家
出身:ハンガリー
同時代の音楽家は、
- 7歳年上の ホルスト 1874-1934 イギリス
- 6歳年上の ラヴェル 1875-1937 仏
- バルトーク 1881-1945 ハンガリー
- 1歳年下の ストラヴィンスキー 1882-1971 ロシア
- 10歳年下の プロコフィエフ 1891-1953 ロシア
代表曲:
- 管弦楽曲『管弦楽のための協奏曲』
- 管弦楽曲『ルーマニア民俗舞曲』
- 室内楽曲『弦楽四重奏曲』
- オペラ『青ヒゲ公の城』
農学校の校長を本職に、ピアノやチェロを趣味とする父親、ピアノの教師である母親、両親は音楽愛好家で、地元の町で、音楽協会を設立するほど活動に熱心でした。バルトークは病弱で、言葉をなかなか話すことが出来なかったようですが、
ピアノのリズムには反応し、4歳の頃には40曲のピアノ曲を弾くなど、母親を驚かせる一面を見せていたようです。母親はバルトークが5歳になると、正式なピアノ教育を始めます。
7歳 父親が32歳という若狭で急死し、母親はピアノの教師をしながら一家を支えることになり、各地を転々としながらの生活でした。
9歳前後で、作曲を始め、10歳の頃にはピアニストとしてデビューを果たします。天才ピアニストとして活動するよりも、母親はちゃんとした音楽教育を受けさせる方がよいと考えていたようで、音楽学校に通い、作曲を習います。
21歳 リヒャルト・シュトラウスの交響曲『ツァラトゥストラはこう語った』を聴いて、衝撃を覚え、初の交響曲を作曲します。
24歳 ピアノと作曲のコンクールに参加し、作曲は激励賞、ピアノは2位、思い描いていたピアニストとしての階段を上がれず、かなりショックを受けたようです。コンクールでクロード・ドビュッシーの曲を知り、影響を受けます。因みに、ドビュッシーは19歳年上で、誕生日は一緒ではありませんが、3月25日の本日が没日です。
また、民族音楽を作曲にと入りいれていた、同世代のハンガリーの作曲家、コダーイ・ゾルターン(1882年12月16日~1967年3月6日)と出会い、25歳からハンガリー各地の農民音楽を集め始めます。
26歳 音楽学校で教授職を得ます。民謡を集めながら、編曲を行い、作曲家としても知られるようになります。
28歳 結婚し、翌年。長男が誕生します。
30歳 政府からの圧力で演奏が出来ないことに苛立ちを覚え、作曲をせずに民謡の収集と整理整頓に努めます。
33歳 第一次世界大戦が勃発し、民謡収集が難しくなったため、作曲活動に戻ります。
42歳 妻と離婚し、2ヶ月後にピアノの生徒である女性と結婚をし、翌年、次男が誕生します。
59歳 アメリカに移住し、大学で民族音楽研究を開始します。内気な性格から、アメリカでの生活は居心地のいいものではなく、次第に、不調を訴えるようになり、3年後には体調不良により入院します。
働かないと収入がないので、友人たちが、バルトークの医療費が少しでも楽になるように、作曲家や著作者のための協会に、入院中も作曲の仕事が出来るよう働きかけてくれました。
久しぶりの作曲が楽しかったのか、驚異的な早さで完成させ、少し体調を取り戻し、ライフワークである民族音楽の研究も采かいしますが、白血病で亡くなりました。
『青ヒゲ公の城』は、シャルル・ペローの童話からの着想です。
~『青ヒゲ』~
あるところに住んでいた金持ちの男の風貌が、青いヒゲだったことから、町の人から恐れられていました。通称、青ヒゲは、これまで何度も女性と結婚しますが、全員がその後、行方不明になっていました。
ある日、青ヒゲは町に住む若くて美しい女性に求婚し結婚します。結婚してしばらくすると、青ヒゲは外に用ができ、新妻を家に残し出掛けて行きます。
出掛けるときに新妻に、「この家のどの部屋に入ってもいいが、鍵束の中にある一番小さな鍵の小部屋には絶対入ってはいけない」と釘を指します。そう言われたら、見て欲しいのかなと解釈する派ですが、この新妻も誘惑に負け、小さな鍵の小部屋に入ってしまいます。そこで見つけたのは女性の死体でした。青ヒゲの妻たちは、全員行方不明になっていることから、おそらく前妻ですね。
驚いた新妻は血だまりに鍵を落としてしまいます。鍵には魔法がかかっていたので、ついた血を拭いても、洗っても落とすことが出来ませんでした。
青ひげは帰ってくると、鍵束から小さな鍵がないことに気付き、新妻が入ってはいけないと忠告した小部屋に入ったことを悟り、殺そうとします。しかし、新妻の兄たちが間一髪のところで、妹を救い、青ヒゲは倒されてしまいます。青ヒゲの遺産はすべて新妻のものになり、兄弟と仲良く暮らしましたとさ、という怖いお話です。
フランス語のタイトル『La Barbe Bleue』日本語にすると口髭のヒゲなんですね。そこに反応してしまった理由は、11月19日のMovemberのところで触れています。ご興味があったらご覧ください。
バルトーク以外にも、「カステラ一番♪」でお馴染み、オペレッタ『天国と地獄』を作曲したジャック・オッフェンバックをはじめ、ディズニー『ファンタジア』でお馴染み、交響曲『魔法使いの弟子』を作曲したポール・デュカスも青ヒゲを主題にしたオペラ曲を作曲しています。
きっかけ:
自分の誕生日に聴きたい音楽は何ですか?
『ピアノ協奏曲第3番』は二番目の妻の誕生日プレゼントとして作曲されました。この曲はバルトークにとって「君の曲」ですね。
同年の1881年生まれの人 参考
- 画家 フェルナン・レジェ 1881-1955
- 作曲家 バルトーク 1881-1945
- 細菌学者 アレクサンダー・フレミング 1881-1955
- 岩波書店創業者 岩波茂雄 1881-1946
- ボーイング設立者 ウィリアム・ボーイング 1881-1956
- 画家 パブロ・ピカソ 1881-1973
クイーン・オブ・ソウル!アレサ・フランクリン
1942年3月25日~2018年8月16日 職業:ソウル歌手
出身:アメリカ
同年の1942年生まれの人 参考
- プロボクサー モハメド・アリ 1942-2016
- 医学者 本庶佑 1942-
- 歌手 アレサ・フランクリン 1942-2018
- ミュージシャン ポール・マッカートニー 1942-
- 俳優 ハリソン・フォード 1942-
- イラストレーター 安西水丸 1942-2014
- ファッションデザイナー 川久保玲 1942-
- イラストレーター 湯村輝彦 1942-
- 映画監督 マーティン・スコセッシ 1942-
- ファッションデザイナー カルヴァン・クライン 1942-
- ミュージシャン ジミ・ヘンドリックス 1942-1970
エルトン・ジョン 『Your song』
1947年3月25日 職業:ミュージシャン・シンガー・ソングライター
出身:イギリス
2017年、映画『キングスマン: ゴールデン・サークル』に本人役で出演し話題になりました。
代表曲:
- 『Your song』=「僕の歌は君の歌」
- 『Rocket Man』
- 『Goodbye Yellow Brick Road』=『黄昏のレンガ路』
- 『Crocodile Rock』
- 『Sorry Seems To Be The Hardest Word』
- 『Can you feel the love tonight』=『愛を感じて』→ディズニー映画『ライオンキング』の主題歌
同年の1947年生まれの人 参考
- ミュージシャン デヴィッド・ボウイ 1947-2016
- タレント ビートたけし 1947-
- 作家 宮本輝 1947-
- 料理研究家 栗原はるみ 1947-
- 料理愛好家 平野レミ 1947-
- ミュージシャン エルトン・ジョン 1947-
- イラストレーター 南伸坊 1947-
- 小説家 スティーヴン・キング 1947-
- 漫画家 蛭子能収 1947-
- 映画監督 パトリス・ルコント 1947-
サラ・ジェシカ・パーカー出演の映画作品
1965年3月25日 – 職業:俳優・プロデューサー
出身:アメリカ
代表作:
- 『セックス・アンド・ザ・シティ』
- 『ローマ発、しあわせ行き』
- 『ニューイヤーズ・イブ』
- 『恋するレシピ~理想のオトコの作り方~』
- 『幸せのポートレート』
同年の1965年生まれの人 参考
- ミュージシャン
- 吉田美和 ドリームズ・カム・トゥルー
- 奥田民生
- 中森明菜
- YOSHIKI X-JAPANドラマー
- ビョーク
- 尾崎豊 1965-1992
- クリエイティブディレクター 佐藤可士和
- DELL創業者 マイケル・デル
- ポップアップブック作家 ロバート・サブダ
- 俳優 サラ・ジェシカ・パーカー
- 漫画家 さくらももこ 1965-2018
- バレエダンサー・俳優 草刈民代
- お笑いタレント 太田光 爆笑問題
- 映画監督 ラリー・ウォシャウスキー
- 美術家 ダミアン・ハースト
- 美術家 会田誠
- 児童文学作家 J・K・ローリング
3月25日 今日は何の日?365日のきっかけ
電気記念日
1878年3月25日に、東京・銀座木挽町に開設された中央電信局の開局祝賀会が虎ノ門の工部大学校(現在の東京大学工学部)で開かれ、式場に50個のアーク灯が点灯されたことに因み、日本電気協会が1927年9月に制定しました。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、3月25日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!