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11月12日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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11月12日ミヒャエル・エンデ

11月12日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

オーギュスト・ロダンの代表作品「考える人」

近年、画家や彫刻家、建築家などの生涯の映画化が流行っているのかな…と思います。

※ジャコメテッィは、ロダンの弟子のアントワーヌ・ブールデルが先生だったので、少なからずロダンの影響はあるかと思います。

実はロダンも没後100年を記念し、半生を描いた映画『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』が2017年11月に公開されました。

 

ロダンの弟子でよく知られているのは、フランソワ・ポンポンとアントワーヌ・ブールデルですが、カミーユ・クローデルという女性の弟子との関係を描いた映画です。

 

彫刻作品は美術館の外や公園、駅前の広場などに普通に置いてあるので、入場料を払って観賞するアート作品よりも身近で、無料で見られるにもかかわらず、景色になってしまって、特に意識されないことに不思議さを感じます。

彫刻作品の魅力は背景が変わることにあると個人的に思っています。お天気でも異なる、季節の植物がその周りに生えていたら季節ごとにも異なる、そこにカラスやハトが止まったら、彫刻そのものが変化します。触っても大丈夫なものは、作者の痕跡を知ることが出来たりします。

 

特に意識しないに関連して面白い話です。

2017年10月、アメリカニュージャージー州のマディソン市役所の片隅で、ロダンの彫刻作品が十数年ぶりに発見されたそうです。

建物の改装工事中、ベニヤ板の箱の中に入れられていたので、むき出しの状態で、誰も気付かなかったわけではありませんが、4億5000万円以上の価値がある作品が、片隅に放置されていても、十数年だれも調べてみようと思わなかったわけですから、あと十数年は気付かなかったかもしれません。発見者はパートの芸術作品の記録係りだったそうです。

 

オーギュスト・ロダンはどんな人?

1840年11月12日~1917年11月17日 職業:彫刻家
出身:フランス

「地獄門」「考える人」などを制作した彫刻家です。

 

西洋美術

 

ロダンは10歳のときに初めて絵を描いたことがきっかけで美術に興味を持ち、工芸学校に入学しますが、17歳で学校をやめ、他の美術学校に進学しようとします。

提出した塑像は不合格、翌年も不合格、何度も入学を拒否されます。諦めたロダンは室内装飾の仕事をしながら、次の道を模索します。

 

修道士になりたかったロダン!?

23歳のとき、ロダンを経済的に支えてくれていた姉が亡くなります。ロダンが紹介した恋人と別れてから精神を病み、修道女になっていた姉は、修道院で体調を崩し亡くなります。

責任を感じ、罪悪感に苦しんだロダンは修道士見習いとして修道院に入ろうとします。しかし、担当指導官の司教が、ロダンは修道院向きではないと判断し、芸術の道を続けるように諭します。

修道士になれなかったロダンは、動物彫刻で知られていたアントワーヌ・ルイ・バリーに弟子入りし、深い影響を受けます。

 

装飾職人から彫刻家への道

24歳のときにお針子をしていたローズと知り合い、家庭を築きますが家族を養うほどの稼ぎがなかったロダンは、30歳のときに知り合いの紹介でベルギーの建設作業に参加するために、家族で転居します。

仕事が終わったらフランスに戻る予定でしたが、ベルギーに6年滞在し、その間に装飾職人として独学で彫刻の技法を模索します。

ベルギー滞在中は、勤め人だったので、収入が安定していましたが、親方との関係が悪化し工房を辞めます。

生活費を切り詰めて貯金をしていたロダンは、家族でイタリア旅行へ行くことを決心し、美術館で見たミケランジェロやドナテッロの彫刻に衝撃を受け、刺激をもらったようです。

 

「地獄の門」とカミーユ・クローデル

40歳のときに美術館から依頼を受け、「地獄の門」の制作に取り掛かりますが、構想がまとまらず、この時期にカミーユ・クローデルと出会い、恋愛関係に発展したようです。

妻ローズとカミーユとの間でフラフラしていたロダンですが、ローズが病気になってしまい、ローズのもとに戻ると、ショックを受けたカミーユは精神的な病にかかり、精神病院に入院したまま、亡くなったようです。

 

11月12日オーギュスト・ロダン

 

きっかけ:

「地獄の門」を通るとき、何を持っていたいですか?

 

話は飛びますが、真田家の家紋は六文銭です。三途の川を渡るための渡し賃が六文というところからついています。川を渡る前は、あの世ではないのかもしれませんが、あの世ではすべて無料だと思っていましたが、有料なんですね。

 

「地獄の門」は、13~14世紀にかけて活躍したイタリアの詩人、ダンテ・アリギエーリの代表作『新曲』地獄篇の銘文「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」から着想を得ています。

考える人のモデルはダンテで、地獄の門を見つめながら考えている説もあります。

国立西洋美術館の外の展示に、「地獄の門」も「考える人」もありますが、ちょっと離れているので、門の前で考えているダンテさんには見えないかもしれません。「地獄の門」の近くに、アントワーヌ・ブールデルの「をひくヘラクレス」が置いてあります。

 

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同時代のフランス出身者 参考

 

同年の1840年生まれの人 参考

 

日本の女性パイロット草分け的存在 木部シゲノ

今でも、女性パイロットは男性よりも少ないかと思いますが、およそ100年前、戦前には女性パイロットも活躍していました。

日本人女性で初のパイロットになった兵頭精(ひょうどうただし)1899年4月6日~1980年4月23日に続く、木部シゲノも女性パイロットの草分けとして知られています。

1976年に放送されたNHKの朝の連続小説『雲のじゅうたん』のモデルになった女性パイロットの一人でもあるようです。

 

木部シゲノさんはどんな人?

1903年11月12日~1980年7月29日 職業:パイロット
出身:日本(福岡県)

20歳で上京し、運送会社に勤め自動車免許を取得、働きながら、横浜市鶴見区に開校した航空学校に入学します。この頃から男装をはじめ、生涯男装だったそうです。スカートを好まなかっただけかもしれませんし、髪を短くしたり、ズボンを履いていることが、男装に見えた時代だったのかもしれません。

操縦士の資格を取得すると、全国各地で飛行演技や講演会を行い、「男装の麗人」としてプロマイドが発行され、人気だったようです。晩年は、羽田空港内の協会事務責任者として、説明や案内などの仕事を行い、飛行機を操縦しなくなっても、飛行機に関わる生活を続けたようです。

 

きっかけ:

空を飛んでみたいですか?

 

想像していたよりも、この時代、女性パイロットは活躍していました。女性パイロットに焦点を当てたコミックもあります。

参考

  • 日本海を横断した西崎キク(1912年11月2日~1979年10月6日)
  • リディア・リトヴァク(1921年8月18日 ~1943年8月1日)
  • アメリア・イヤハート(1897年7月24日 ~1937年7月2日)
  • ハリエット・クインビー(1875年5月11日~1912年7月1日)

 

日本にゆかりのあるミヒャエル・エンデ代表作

ミヒャエル・エンデはどんな人?

1929年11月12日〜1995年8月28日 職業:児童文学作家
出身:ドイツ

『モモ』や『はてしない物語』の作者です。

 

父親はシュルレアリスムの画家でした。ミヒャイルが小学校にあがる頃には、ナチスが台頭し、「退廃芸術家」の烙印を押された父親に収入がなくなり、生活が困窮します。

16歳のときに学友が軍に徴兵され、1日訓練を受けた後に前線に送られ3人が戦死してしまい、ミヒャイルはショックを受けます。ミヒャイルにも召集令状が届きますが、疎開していた母親のもとに自転車で逃亡します。

戦後に演劇学校に入学し、21歳のときから俳優として演劇活動をしており、俳優業の合間に詩や小説を書いていました。31歳のときに発表した小説『ジム・ボタンの機関車大冒険』でドイツ児童文学賞を受賞します。

 

その後、代表作の『モモ』『はてしない物語』などを発表します。社会問題、時間やお金の使い方、大切なものは何か?を見つめた作品は、児童文学を越え、世代関係なく愛読される本です。

『はてしない物語』の日本語訳した佐藤真理子さんと結婚しており、日本との関わりも深いです。

生前、ミヒャイルは創作資料を長野県信濃町に提供していたため、1991年世界で唯一エンデ資料を常設に展示する「黒姫童話館」が開館されました。

 

11月12日ミヒャエル・エンデ

 

きっかけ:

あなたの時間、いくらで売りますか?

 

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同時代のドイツ出身者参考

 

同年の1929年生まれの人 参考

 

パトリス・ルコント監督 映画作品

1947年11月12日  職業:映画監督・脚本家
出身:フランス

代表作:

  • 『仕立て屋の恋』
  • 『タンゴ』

 

同年の1947年生まれの人 参考

 

津森千里「元気で可愛い ハッピーになれる服を作る」

年を重ねるごとに、自分が何を着たら素敵に見えるのか?テンションが上がるのか?とか自分に似合う服とか、そういう感覚が鈍くなってきて、着ていて楽ちん(お腹とか二の腕が隠れるものがいいとか)、服によってテンションが変わらない、悟られないものがいいと思うようになりました。

着たい服を着こなすのではなく、着られる服を着たい、この2つの差は大きいです。

 

津森千里さんはどんな人?

1954年11月12日 職業:ファッションデザイナー
出身:日本(埼玉県)

ファッションブランド「ツモリチサト」のデザイナーです。

2019年で「ツモリチサト」ブランド事業を終了

 

幼い頃から人形のお洋服を作ったりすることが好きだったそうです。

高校時代には、雑誌についている型紙で自作しており、そんな姿を見た津森さんのお母さんが、文化服装学院への進学を勧めたそうです。

卒業後に三宅一生氏の会社から声がかかり入社し、28歳まで埼玉県狭山市のご実家から都内に通勤していたというお話は、親近感をもちました。数年で一つのブランドを任されるチーフデザイナーに就任します。

36歳のときに独立し、「ツモリチサト」を始動しました。

津森さんはお子さんがいて主婦というお顔もあり、洋服作りは料理と同じ感覚というのが、ハッピーになれる服と美味しいご飯に共通するようです。

冷蔵庫を開けて何か作ろうと思った時、中にあるもので作るじゃないですか。服作りもそんな感じなんです、私。

冷蔵庫が満杯に詰まっている方が好きだけど、お金がない時は少ない食材を工夫して作る。主婦のやりくり感覚みたいな感じですね。おいしければいいわけだし。

津森千里さんについて知りたい方はこちらの記事をご覧ください。

 

11月12日津森千里

 

きっかけ:

あなたにとって、服はどういうものですか?

 

ライアン・ゴズリング出演の映画作品

1980年11月12日  職業:俳優
出身:カナダ

代表作:

  • 『きみに読む物語』
  • 『ブルーバレンタイン』
  • 『ラブ・アゲイン』
  • 『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』
  • 『ラ・ラ・ランド』

 

アン・ハサウェイ出演 映画代表作品

1982年11月12日  職業:俳優
出身:アメリカ

代表作:

  • 『プラダを着た悪魔』
  • 『レ・ミゼラブル』
  • 『マイ・インターン』
  • 『アリス・イン・ワンダーランド』
  • 『プリティ・プリンセス』シリーズ

 

11月12日 今日は何の日?365日のきっかけ

洋服記念日

1872年(明治5年)旧暦11月12日に「礼服ニハ洋服ヲ採用ス」という太政官布告が出され、それまでの公家風・武家風の和服礼装が廃止されたことに由来します。全日本洋服協同組合連合会が1972年に制定しました。

皮膚の日

語呂合わせ、11(いい)1(ひ)2(ふ)で、「いい皮膚」日本臨床皮膚科医会が1989年に制定しました。

HipHopの記念日

1973年11月12日 アフリカ・バンバータがThe Universal Zulu nationを結成したことに因みます。

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、11月12日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!

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