9月20日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
早すぎた!積極的すぎた!吉田松陰の言葉「至誠」と松下村塾
NHK大河ドラマ『花燃ゆ』は妹の目線から見た兄、吉田松陰を描いていました。イケメンを揃えて視聴率稼ぎだと酷評されていましたが、教科書には絶対にでてこないけれど、歴史に名前を残す人物にも家族はいて、その家族の視点というのが、今までの大河ドラマにはなく新鮮でした。
吉田松陰はこの時代としては、ちょっと変わった人、問題児のような扱われ方ですが、最初は至って普通、強いて言えば普通の人よりもちょっと好奇心が強いだけで、時代が悪かったとしか言いようがありません。
吉田松陰はどんな人?
1830年9月20日〜1859年11月21日 職業:思想家
出身:日本(山口県)
21歳のときに東北旅行を友人と計画しますが、出発日までに長州藩からの手形の発行を待てず脱藩します。江戸から帰ってから、脱藩をしたことで処分を受けています。日本のなかを旅するだけですよ?(当時の考え方では、藩から外は海外に行くような感覚です)
23歳のときに黒船、ペリーが来航します。大陸を自分で見たかった松陰は、黒船に乗り込み、アメリカに連れていってもらえるよう交渉します。ですが、日本と交渉している真っ只中に、勝手に連れて行ってしまったら外交問題になるので、「国禁を犯してまで連れていくことはできない」と追い返されてしまいます。
密航未遂だったにもかかわらず投獄されます。自宅謹慎、仮釈放で済みますが、外には出られないため、人を集めて塾を開講します。これが松下村塾です。
塾生のなかには、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿など明治維新で重要な働きをする若い人材がおり、彼らに大きな影響を与えました。塾生に伝えた言葉で、有名なのが「至誠しせい」です。「誠意をもって尽くせば、動かない人など誰もいない」という意味です。
途中から狂い始めて、安政の大獄で、老中暗殺計画を企てことを正直に言い、死罪、亡くなって8年後に明治時代になりました。
きっかけ:
何のために学びますか?
同年の1830年生まれの人 参考
- 皇帝 フランツ・ヨーゼフ1世 1830-1916 エリーザベトの夫
- 画家 カミーユ・ピサロ 1830-1903 デンマーク→フランス 印象派の画家
- 思想家 吉田松陰 1830-1859
- 政治家 大久保利通 1830-1878
流れに身を任せた!?浜田彦蔵の生き方
吉田松陰のように密航に失敗した人がいれば、同志社大学の設立者、新島襄(1843年2月12日~1890年1月23日)のように密航に成功した人もいます。
反対に行こうとしたわけではないのに、漁にでていたときに嵐にあって漂流して助けてもらったというジョン万次郎(1827年1月27日~1898年11月12日)みたいな人もいます。
吉田松陰と誕生日が同じで、7歳年下の浜田彦蔵はたまたま行けちゃった人です。
浜田彦蔵はどんな人?
1837年9月20日~1897年12月12日 職業:通訳士・貿易商
出身:日本(兵庫県)
幼い頃に両親が亡くなり、義父のもとに船で行く途中に難破し、2ヶ月太平洋を漂流したのちに、アメリカの商船に救助され、乗組員とともにサンフランシスコに滞在します。
アメリカ政府より日本へ帰国するよう命令を受け、帰ろうとしますが、結局サンフランシスコに戻り、下宿屋で働きます。その後、出会った税関長が世話をしてくれ、ニューヨークに行き、日本人として初めてアメリカ大統領(フランクリン・ピアース)とさらに次代の大統領(ジャームズ・ブキャナン)と会見しています。
また学校教育を受けさせてもらい、カトリックの洗礼を受けます。洗礼名はジョセフ・ヒコで帰化しアメリカ国籍になります。
タウンゼント・ハリス(駐日公使)に神奈川領事館の通訳官に採用され、9年ぶりに帰国します。帰国後は「アメ彦」と呼ばれていたようです。
開国して間もない頃、尊皇攘夷派の襲撃を恐れ、身の危険を感じてアメリカに戻ります。
再び日本に赴き、領事館で通訳の仕事をします。通訳の仕事を辞めた後に外国人居留地で商売をしたり、英字新聞を日本語訳にした「海外新聞」を発刊します。これが、日本の最初の新聞と言われています。
最後は、大蔵省に務めて国立銀行の条例の編纂の仕事をしたり、茶の輸出を行うための会社を設立します。心臓病のため東京の自宅で亡くなり、外国人として青山の外国人墓地に埋葬されています。
あまり知られていない浜田彦蔵は、自分で決断したというよりも、自然の流れにまかせ、前にでないという、吉田松陰とは異なり消極的なタイプかと思われます。ですが、下記の3つの記録を持つ人です。
- 日本人で初、3人のアメリカ大統領と会見している
- 「新聞の父」と言われ、日本で最初の新聞をつくった人
- 日本人最古のダゲレオタイプ写真に写った人
(サンフランシスコに到着後、撮影したと思わるダゲレオタイプ写真が見つかったことにより記録が塗り替えられる)
吉田松陰も時期を見計らって、たまたま行ける方法を模索したら夢を叶えられたかもしれませんが、その場合、松下村塾は存在しなかったかもしれません。
きっかけ:
流れに身を委ねてみませんか?
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同年の1837年生まれの人 参考
- モルガン創業者 ジョン・モルガン 1837-1913 アメリカ
- 内務大臣 板垣退助 1837-1919
- 丸善創業者 早矢仕有的 1837-1901 →ハヤシライスの由来 早矢仕さん
- 貿易商 浜田彦蔵 1837-1897
- 15代将軍 徳川慶喜 1837-1913
- オーストリア・ハンガリー帝国皇后 エリーザベト 1837-1898
野並茂吉 崎陽軒シウマイ弁当の開発にかけた思い
崎陽軒のシウマイ弁当やシウマイを食べたことがない人は、おそらくいないのではないかというくらいメジャーな会社だと思います。
1908年、当時横浜駅の駅長であった久保久行は、退職後に何か出来ないかと考え、牛乳やサイダー、餅などを売るお店を開こうと決意します。
後に東京駅の駅長になった知人の働きかけで、横浜駅構内に営業の許可を受け創業します。これが崎陽軒です。名前の由来は、久保久行の出身地である長崎の別称「崎陽」からと言われています。
ちょうどその頃、鉄道網の整備によって、横浜駅を桜木町駅とし、横浜駅と平沼駅の間に新しい横浜を設け、平沼駅を廃止するという計画が起こり、当時、平沼駅にあった東洋軒と横浜駅にあった崎陽軒、鉄道局が三社共同で経営するという条件で、匿名組合崎陽軒が誕生します。
野並茂吉はどんな人?
1888年9月20日〜1965年12月6日 職業:崎陽軒創業者
出身:日本(栃木県)
組合結成時の支配人が過労で体調を崩し、野並茂吉が支配人に就任します。栃木出身の野並茂吉が、何故?横浜にいたのかは分かりません。
茂吉は経営を見直すために、匿名組合から合名会社に法人化し代表者として就任します。会社を設立してすぐに関東大震災に見舞われ、建物が倒壊してしまい、復興のために駅で外米の牛丼やカレーライスを販売しました。
震災をなんとか乗り越えた崎陽軒の将来を考えたときに、特色がないことに気付いた茂吉は、崎陽軒の創業者である久行の孫・久保健と共に横浜に名産物を作ろうと考えます。
1927年、すでに有名になっていた中華街を歩いていた際に「シューマイ」と書かれた看板を目にし、汁がでないシューマイは弁当に適しているのではないかと考えます。冷めても美味しいシューマイ弁当の開発は難しく、中華街で点心職人をしていた人をスカウトし、最終的には茂吉と、久保健も調理場に入り、独自のレシピを開発します。
お店で食べるシューマイよりも一回り小さいのは、揺れる車内でもこぼさないで食べられるサイズだそうです。
1941年、横浜駅の東口に購入しておいた土地に中華両店をオープンし、株式会社崎陽軒が誕生しました。
シューマイを、崎陽軒ではシウマイと表記するのは何故か?茂吉の訛りで、シューマイを「シーマイ」と言っていたこと、本場中国の発音に似せてシウマイの表記が採用されたそうです。ディズニーが言えなくて、デズニーになってしまうみたいなことですよね。
きっかけ:
地元に名物をつくりませんか?
シウマイ弁当を食べる際の順番はありますか?
森下典子著「いとしいたべもの」では、シウマイ弁当の食べ方の話が載っています。私とほぼ一緒だと思ったので、意外と皆さんにも共通するかもしれません。
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シウマイに入っている醤油入のはじめは小さなガラスの瓶でしたが、戦後に瓢箪型の白い磁器製になりました。シンプルで寂しいと、漫画家の横山隆一さんが目鼻をつけることを考案し、ひょうちゃんという名前が命名され、いろは48文字にちなみ48面相のひょうちゃんが誕生しました。
2代目のひょうちゃんは原田治さん(代表作:ミスタードーナッツ)です。期間限定で柳原良平さん(代表作:アンクルトリス)バージョンもあります。限定バージョンは他にもあって、カワイイのでコレクターが多いです。
一家に1つくらいは「ひょうちゃん」があると思います。ひょうちゃんを探してみませんか?見つけてどのバージョンか確認してみませんか?
http://www.kiyoken.com/index.html
同年の1888年生まれの人 参考
- 画家 安井曾太郎 1888-1955
- 画家 ジョルジョ・デ・キリコ 1888-1978 イタリア
- 芸術家 オスカー・シュレンマー 1888-1943 ドイツ
- 崎陽軒創業者 野並茂吉 1888-1965
- 劇作家 ユージン・オニール 1888-1953 アメリカ
- 芸術家 ヨハネス・イッテン 1888-1967 スイス
- 作家 菊池寛 1888-1948
ロバート・ハリスの著書
1948年9月20日 職業:DJ・作家
出身:日本(神奈川県)
代表作:
- 『人生の100のリスト 』
- 『世界を50年間も放浪し続け学んだCOOLで自由な人生哲学』
- 『アウトサイダーの幸福論』
9月20日 今日は何の日?365日のきっかけ
バスの日
1903年9月20日に、日本で初めての営業バスが京都市内を走ったことに由来し、1987年に日本バス協会が制定しました。
お手玉の日
1992年の9月20日、第1回全国お手玉遊び大会が愛媛県新居浜市で開かれたことを記念し、日本のお手玉の会が制定しました。
近年、お手玉やけん玉などの古くからある遊びが着目されています。集中力が鍛えられたり、脳が活性化し、認知症になりにくくなるという効果もあるそうです。
動物愛護週間
本日から9月26日まで、動物愛護週間です。動物と人間の絆を強めることを目的として定められた記念週間です。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、9月20日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!