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12月12日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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12月12日エドヴァルド・ムンク

12月12日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

対人恐怖症 画家ムンクの波乱な人生は叫びたくなる!?

ムンクと聞いて、最初に思い浮かべるのは、「叫び」という絵ではないでしょうか。

何で叫んでいるのか?洋服についている不可解な白いシミが、勝手な想像で空から落ちてきた鳥のフンがついて、ショックを受け叫んでいるという都市伝説がありました。

近年の専門家の調査によると、不可解な染みはロウで、新しいキャンバスを古いキャンバスに張り付ける際にロウソクを使うため、誤って落ちた可能性が高いそうです。

「ムンクの叫び」を含む「不安」「嫉妬」「メランコリー」などなどの作品群をムンクは「生命のフリーズ」と名付けていました。作品のカテゴリが「生命のフリーズ」でその中の1つに「ムンクの叫び」があるということです。

 

エドヴァルド・ムンクはどんな人?

1863年12月12日~1944年1月23日 職業:画家
出身:ノルウェー

 

西洋美術

 

ノルウェーを代表する画家で、代表作が『叫び』です。正式名『叫び (エドヴァルド・ムンク)』は全部で5作あり、同じ構図でテンペラ画、パステル画、リトグラフと使用する画材を変えています。

 

誕生から美術学校時代

父親は医者で、船医や軍医でした。ムンクが5歳のときに妹を出産した際に母親が亡くなり、12歳のときに姉が結核で亡くなり、幼少期に身近な人が立て続けに亡くなったことが作品に深く影響しています。

幼少の頃から画家になりたいという夢がありましたが、父親の反対し、技師になるために学校に通います。しかし病気になり欠席が続き、継続することが困難になり退学します。退学した日に、ムンクは日記にこう書きました。

私の運命は今、まさに画家になることだ

 

父親を説得し、王立絵画美術学校の夜間コースに通い学びます。22歳から数年間、人妻との恋愛で苦しい思いをしたようです。初期の作品は「叫び」のような強烈さは一切ありませんが、評価されることはありませんでした。

 

~パリ留学編~

26歳のときに奨学金を取得し1年間デッサンの勉強をすることになり、パリに留学しますが、その年の冬に父親が亡くなったことを知り、衝撃を受け、パリ郊外に引っ越し、絵を数点描き上げています。

翌年に2回目の奨学金を取得しますが、リューマチ熱にかかり入院、その翌年3回目の奨学金を取得し、フランスに滞在している間に印象派やナビ派、ロートレックなどの作品から技法を学びます。

 


~「生命のフリーズ」ドイツ巡回編~

帰国し、「生命のフリーズ」シリーズを制作し、ベルリンで個展を開催しますが、新聞で酷評され、わずか1週間で打ち切りになります。しかしあきらめることなく、ベルリン市内外の安宿を転々としながら、作品を制作し続け、巡回展をドイツの各地で行いファンを増やしていきました。

 

https://pin.it/t5vvjb6omyqekt

 

~「生命のフリーズ」完成と恋人と口論の末、負傷編~

34歳のときにノルウェーに戻り、サマーハウスを買い制作に集中し「生命のフリーズ」を完成させます。

35歳のときにある女性と交際を始めますが、結婚を望む彼女とは性格の不一致で、次第に避けるようになっていきました。煮え切らない態度に逆上した彼女はストーカー化し、ある日、彼女は「自殺する」と言って拳銃を持ち出しムンクをおどし、引き留めるムンクともみ合ううちに、拳銃が暴発しムンクは左手の中指の関節が打ち砕かれるという大怪我をします。当然、交際は破局しました。

 

~精神病にかかり対人恐怖症編~

「生命のフリーズ」が完成したので、ドイツやパリで展覧会が開催し、好評を得て画家として知られるようになります。仕事は順調でしたが、反対に精神が病んでいきました。もとから精神的に弱い性格ではありましたが、拳銃暴発事件を機にさらに妄想や不安が襲い、アルコールに逃げるようになり、画家仲間に喧嘩をふっかけたり、暴力的になっていき、対人恐怖症に襲われるようになります。

アルコール依存症を治すために精神病院に自発的に入院し、治療の一環として、詩文集『アルファとオメガ』を執筆します。その治療法がとても合っていたようで、元気になって退院し、ノルウェーに戻ります。

 

~晩年、ドイツ軍に抵抗しアトリエにこもる編~

晩年は、目の病気で制作がはかどらないこともありましたが、ナチスドイツがノルウェ―に侵攻したときも、懐柔されることなく、アトリエにこもり、制作を続けました。しかし、自宅近くで破壊工作ががあり、自宅の窓ガラスが爆発で吹き飛び、真冬に窓がなくなった部屋で、気管支炎にかかり亡くなりました。

 

ムンクは精神を病んでいた画家という認識の方も多いと思います。拳銃暴発事件やらご家族に不幸が次々と起こり(弟さんも早死にし妹さんが精神病にかかり入院)、精神病に陥りやすい環境にあったとは思いますが、それでも克服しようと頑張って81歳まで生きたタフな人です。

 

12月12日エドヴァルド・ムンク

 

きっかけ:

「王様の耳はロバの耳」ツボに向かって叫んでみませんか?

フレーズは何でもいいです。

 

関連 「ムンクの叫び」をテーマに作られた井上涼さんのアニメ

ムンクと同時代に活躍したスウェーデンのカール・ラーションは、自分の家族をテーマにした作品が多いことで知られています。

ムンクは、生涯独身ではありましたが、「接吻」という作品を多く描いており、恋人とか家族などに、強い思いがあったことが感じられます。作風は全く異なりますが、同時代の画家を比較すると興味深いです。

 

同時代のノルウェーとスウェーデン出身者参考

 

同年の1863年生まれの人 参考

 

日本のブレッソン 木村伊兵衛が撮ったパリ

木村伊兵衛はどんな人?

1901年12月12日~1974年5月31日 職業:写真家
出身:日本(東京都)

20世紀を代表する写真家の一人です。

特にテーマがないスナップ写真は、フランスの代表的な写真家、アンリ・カルティエ・ブレッソンをもじって、和製ブレッソンと呼ばれていたようです。

1975年に木村伊兵衛の業績を称え、新人写真家を対象とした「木村伊兵衛写真賞」が創設されました。過去の受賞者を見ると、岩合光昭さんや星野道夫さん、今森光彦さん、蜷川実花さんなどなど、お名前が連なっていました。

 

同年の1901年生まれの人 参考

 

完璧主義者!?小津安二郎監督の無秩序を捉える眼差し

小津安二郎監督はどんな人?

1903年12月12日~1963年12月12日 職業:映画監督・脚本家
出身:日本(東京都)

黒澤明監督、溝口健二監督と並び、世界の○○とつく監督の一人です。

 

代表作:

  • 『東京物語』
  • 『麦秋』
  • 『彼岸花』
  • 『お早う』
  • 『秋刀魚の味』

 

先祖に国学研究の本居宣長がいるという家系での海産物問屋を営む家に生まれました。

中学生のときに上映されていたアメリカ映画『シヴィリゼーション』を見たことが、映画に持ったきっかけでした。また、絵を描いたり、最新式のカメラで写真を撮ったり、芸術家肌で知られていたようです。

 

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商業の道に進んで欲しいという両親の期待により、神戸の商業学校に受験しますが、失敗し、神戸や名古屋の映画館に通って、沢山の映画を観たようです。翌年は三重県の大学に受験しますが失敗します。

両親は何年も浪人するのであれば、まっとうな仕事について欲しいと三重県の小学校で代用教員として働きはじめました。当時は珍しかったローマ字を教えたり、マンドリンを弾いたりする、当時としては風変りな先生だったようです。

 

一年の教員生活で、映画への愛着に気付いた小津監督は、父親を説得し、松竹撮影所に入社し、撮影補助の仕事を得ます。そこからキャリアを重ね、映画監督になりました。

小津監督が賞賛される理由として、美へのこだわりがあげられます。計算しつくされた構図、食事のシーンで無造作に置かれてあるように見える食器のカタチにバランスを考えていたとか、色調へのこだわりは、半端なかったようです。絵を描いていた、写真を撮っていたことが影響しているのかと思いますが、日本画家の東山魁夷も小津監督映画の構図や色調は惹かれるほどだったようです。

 

松竹の後輩で小津監督を見ていた人の話がWikipediaに掲載されていましたが、魅了される理由として分かりやすいと思いました。

 

それはこの世界が無秩序であるがゆえに実現した、かりそめの幻惑であったのだろう。

おそらく小津さん自身のこの世界を無秩序と見るその眼差しが、このなにげない反復の運動、その美しい規則性を見逃すことなく捉え、無上の至福にも似た、かりそめの調和といったものをわれわれに夢みさせるのである。

 

12月12日小津安二郎

 

きっかけ:

こどもの頃の大人のイメージはどんなものでしたか?

小津監督の代表作の一つに、1932年に公開された『大人の見る絵本 生れてはみたけれど』というものがあります。子供の素直な視点から、肩書きに振り回されるサラリーマン社会の悲哀をユーモアを織り交ぜた作品です。

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同年の1903年生まれの人たち 参考

 

フランク・シナトラの代表曲

1915年12月12日~1998年5月14日 出身:歌手
出身:アメリカ

第二次世界大戦前の1930年代から晩年の1990年代まで活躍した、アメリカを代表する歌手の一人です。

代表曲:

  • 『My Way』
  • 『All The Way』
  • 『Strangers in the Night 夜のストレンジャー』
  • 『Fly Me To The Moon』
  • 『All Of Me』

 

きっかけ:

本日のテーマソング「フランク・シナトラ」はいかがですか?

 

同年の1915年生まれの人 参考

 

ジェニファー・コネリー出演の映画作品

1970年12月12日  職業:俳優
出身:アメリカ

ショーン・コネリーと姓が同じですが、血縁関係は全くありません。

代表作:

  • 『ビューティフル・マインド』
  • 『ハッピーエンドが書けるまで』
  • 『そんな彼なら捨てちゃえば?』
  • 『帰らない日々』
  • 『ブラッド・ダイヤモンド』

 

12月12日 今日は何の日?365日のきっかけ

漢字の日

語呂合わせ、1(いい)2(じ)1(いち)2(じ)「いい一字」からの日本漢字能力検定協会が1995年に制定しました。毎年その年の世相を象徴する「今年を表現する漢字(今年の漢字)」を全国から募集し、12月12日に京都市の清水寺で発表しています。

バッテリーの日

日本蓄電池工業会(現・電池工業会)が1991年に「バッテリーの日」として制定しました。野球のピッチャーとキャッチャーのことをバッテリーと呼び、表す数字がそれぞれ「1」と「2」であることに由来します。

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、12月12日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!

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