3月24日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
ウィリアム・モリスの思想 アーツアンドクラフツ運動
18世紀後半から19世紀にかけて、イギリスで産業革命が起こると、大量生産によって安価ではあるけれど粗悪な製品が町に溢れるようになりました。
ウィリアム・モリスは、そのことを残念に思い、中世からの手仕事に回帰し、生活にアートを取り入れることを提案しました。自らがデザインした壁紙は、今ではカーテンを始めとする様々なテキスタイル、お洒落な文具のデザインの絵柄として見ることが出来ます。
よく知られているテキスタイルは「いちご泥棒」です。モチーフの鳥がイチゴを咥えており、その周りを草花が囲み、シンメトリーなデザインです。
この運動は比較的裕福な階層の人たちだけが、実践できたことで、何も変わらなかった人たちもいます。しかし、デザインやアートの面からみると、この運動によって、アール・ヌーヴォーや、ウィーン分離派、日本では民芸運動に影響しているので、重要な出来ごとです。
ウィリアム・モリスはどんな人?
1834年3月24日~1896年10月3日 職業:詩人・デザイナー
出身:イギリス
モリスの父親は証券仲買人で、投資によって富を築き、ロンドン北東部、郊外の土地に建てられた豪邸で暮らしていました。しかし、モリスが13歳のときに他界し、維持費を払うのが難しくなり、邸宅を手放し、現在、ウィリアム・モリスギャラリーとなっている家に引っ越します。
サイトで建物の外観を見ることが出来ますが、立派な家です。その前は、お城みたいな広さだったんでしょうね。
聖職者になることを望み、オックスフォード大学に入学します。在学中に読んだ、ジョン・ラスキン(美術評論家)の著書を読み、影響を受けます。
また20歳のときに、父親の莫大な遺産を相続し、友人のエドワード・バーン・ジョーンズほかとフランス旅行に行き、芸術家を志すようになります。
https://pin.it/mkj3ec5vhcvfmp
21歳 建築家事務所に就職して、数年働いた後に辞め、自費でインテリア装飾や詩集の出版物を刊行します。
24歳 友人の画家のモデルを務めていた女性と結婚
郊外に自宅兼工房として、カントリーハウス風の家(通称:レッドハウス)を建て、転居します。
26歳 ステンドグラスや家具などを受注で制作する、商会を設立
・・・
62歳 死去
ウィリアム・モリスの名言にこんなものがあります。
Have nothing in your house that you do not know to be useful, or believe to be beautiful.
役に立たないものや美しいと思わないものを家に置いてはならない。
友人のエドワード・バーン・ジョーンズも聖職者になるつもりでしたが、モリスに影響され、芸術家・デザイナーになると決め、画家、ステンドグラス作家として活躍しました。
決心したからと言ってプロになるのは難しいと思います。モリスにしても、ジョーンズにしても、本格的な美術教育は受けてはいないようですが、非常に器用な人たちだったんだろうなと思います。
レッドハウス(モリス邸)のステンドグラスは、ジョーンズが制作しました。
ジョーンズはモリスの妻と恋仲になってしまい、結局、モリスもジョーンズも離婚しますが、何故か男の友情はその後も続き、生涯、親しい友人でした。
きっかけ:
役に立たないもの、美しくないものの価値は何ですか?
同時代のイギリス出身者 参考
- イラストレーター ジョン・デニエル 1820-1914
- 画家 ジョン・エヴァレット・ミレイ 1829-1896
- 作家 ルイス・キャロル 1832-1898
- 詩人/デザイナー モリス 1834-1896
- 化学者 ウィリアム・パーキン 1838-1907
- 建築家 ジョサイア・コンドル 1852-1920
- 作曲家 エルガー 1857-1934
同年の1834年生まれの人 参考
脱出王 ハリー・フーディーニのトリック
1874年3月24日~1926年10月31日 職業:奇術師
出身:ハンガリー
フーディーニを題材にしている映画やドラマ、小説やコミックなど多いですよね?
一般的にフーディーニは奇術師として知っているという方が多いと思います。Wikipediaには、スタント・パーソン、俳優、歴史家、映画プロデューサー、操縦士、暴露人という職業が記載されてました。俳優や映画プロデューサー、スタントパーソンは何となく想像出来ますが、暴露人はどんな職業だろう…?
本名はヴェイス・エリク、フーディーニは芸名です。フランス出身の奇術師でロベルト・ウーダン(Houdin→ウーダンと読むのか…)からのオマージュで、語尾にiをつけ、フーディーニと読ませ、アメリカで活躍していた奇術師ハリー・ケラーからハリーをとり、ハリー・フーディーニとしました。
6人兄弟の1人として生まれ、4歳のときに、豊かな暮らしを求めて、一家はアメリカに移住します。
ヴェイスは、新聞配達や靴磨きなどをして、家族の生計を助けました。その後は、メッセンジャーや、写真家のアシスタントをしながら、家族を支えましたが、弟のテオとともに、マジックに興味を持ち始め、10代後半には、ハリー・フーディーニとして活躍していたと言われています。
マジックとしてはあまり持ちネタはないようで、「脱出」が十八番で、刑務所から逃げることが出来る、手錠を外せる、おそらくピッキングみたいなことだと思います。その技で名声を勝ち取り、俳優として映画に携わり、自身も映画研究所を立ち上げます。
40代のときに当時流行っていた心霊術(死者との交信)に興味を持ちますが、その手口がトリックやいかさまだと暴露し、はまらないよう注意を促すことを熱心にしていたようです。
その背景は、亡くなった母親と交信したかったので、奇術師に頼んだところ、交信できなかったという実体験によるものだったようです。
脱出中に抜けられなくなって亡くなったのかと思いきや、急性虫垂炎で亡くりました。
きっかけ:
憧れの人はいますか?
同年の1874年生まれの人 参考
- 俳人 高浜虚子 1874-1959
- マジシャン ハリー・フーディーニ 1874-1926
- 考古学者 ハワード・カーター 1874-1939
- 作曲家 グスターヴ・ホルスト 1874-1934
- 画家 菱田春草 1874-1911
- 詩人 上田敏 1874-1916
- 首相 ウィンストン・チャーチル 1874-1965
- 作家 L・M・モンゴメリ 1874-1942
ミッキーマウスの生みの親 アブ・アイワークス
1901年3月24日~1971年7月7日 職業:アニメーター・特殊効果技師
出身:アメリカ
ミッキーマウスというと、ウォルト・ディズニーが描いたように思っている方が多いと思いますが、描いたのはアブ・アイワークスです。
漫画家を目指していたウォルトは、新聞社で漫画の仕事を請け負っていましたが、それで食べていくことが出来ず、生活に困っていたところ、兄が知人に頼んで、広告デザインの仕事を紹介してもらいます。その会社でアブ・アイワークスに出会います。2人とも更新を打ち切られ失業してしまったのを機に、漫画家からアニメーターに転向します。
アブはディズニー社、創業当初からのメンバーとして、描写を担当し、演出をウォルトが担当しました。
同年の1901年生まれの人 参考
- グラフィックデザイナー アドルフ・M・カッサンドル 1901-1968 露
- モリサワ創業者 森澤信夫 1901-2000
- アニメーター アブ・アイワークス 1901-1971 米
- 映画監督 円谷英二 1901-1970
- 画家 ジャン・デュビュッフェ 1901-1985 仏
- ジャズ歌手 ルイ・アームストロング 1901-1971 米
- 彫刻家 アルベルト・ジャコメッティ 1901-1966 スイス
- 写真家 木村伊兵衛 1901-1974
- 映画監督 ウォルト・ディズニー 1901-196
『トムとジェリー』の制作者 ジョセフ・バーベラ
1911年3月24日~2006年12月18日 職業:アニメーター・アニメーション監督
出身:アメリカ
幼少期から絵を描くことが好きだったようです。
高校を卒業後、仕立て屋の配達の仕事をして生計をたてていましたが、アニメーションを見たのを機に、興味をもつようになります。ですが、すぐにアニメーターになったわけではなく、いくつかの職業を転々としながら、その傍らに漫画を描き続けます。
ウォルト・ディズニーにアニメーターになるための助言を得ようと手紙を書いたこともあるようですが、特にお返事はなかったようです。
ウィリアム・ハンナと出会い、「ハンナ・バーベラ・プロダクション」を立ち上げ、『トムとジェリー』を製作しました。
コミック、アニメ『ルパン3世』を手掛けたモンキー・パンチさんは尊敬するアニメーターにハンナとバーベラさんを挙げています。ルパンと銭形刑事の関係は、トムとジェリーを着想にしているようです。
同年の1911年生まれの人 参考
- 芸術家 岡本太郎 1911-1996
- アニメーター ジョセフ・バーベラ 1911-2006
- 劇作家 テネシー・ウィリアムズ 1911-1983
- ファッションデザイナー 石津謙介 1911-2005
- 色彩設計 メアリー・ブレア 1911-1978
- 発明家 ナサニエル・ワイエス 1911-1990
- 編集者 花森安治 1911-1978
- 彫刻家 ルイーズ・ブルジョワ 1911-2010
独学のファッションデザイナー トミー・ヒルフィガー
1951年3月24日 職業:ファッションデザイナー
出身:アメリカ
9人兄弟の2番目として生を受け、高校生のときに、150ドルの資金で小さなお店をオープンし、ジーンズ販売したのを機に、ファッションが業界を歩み始めました。
トミー・フィルフィガーが目指していたのは、ローカルな町ブランドをファッション界で有名なニューヨークやパリ、ロンドンに持っていくことでした。
独学でデザインを学び始めます。活動の拠点をニューヨークに移し、そこでビジネスマンの目に留まり、企業のサポートをしてもらい、自身の名前がついたコレクションを発表したのは、34歳のときでした。
同年の1951年生まれの人 参考
- TSUTAYA創業者 増田宗昭
- 漫画家 あだち充
- 漫画家 美内すずえ
- 漫画家 村上もとか
- 歌手 山本リンダ
- ファッションデザイナー トミー・ヒルフィガー
- ミュージシャン忌野清志郎 1951-2009
- ミュージシャン スティング
- 俳優 桃井かおり
- 俳優 カート・ラッセル
- 俳優 ロビン・ウィリアムズ 1951-2014
- 現代美術家 森村泰昌
- 映画監督 押井守
- 映画監督 ジュリアン・シュナーベル
- 映画監督 チャン・イーモウ
- 脚本家 大石静
- 医師 バリー・マーシャル
- 小説家 桐野夏生
- 落語家 笑福亭鶴瓶
3月24日 今日は何の日?365日のきっかけ
檸檬忌
作家、梶井基次郎の命日で、、代表作である小説『檸檬』から、檸檬忌と呼ばれています。
その他の記念日がないので、新しく記念日をつくるとしたら、注目度間違いなしです。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、3月24日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!