12月5日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
NHK朝の連ドラ「わろてんか」のモデル吉本せい 笑いが救う
2017年下半期のNHK朝の連続小説「わろてんか」は、吉本興業の創業者の吉本せいの生涯を描いたお話です。吉本興業の所属タレントをテレビで見ないことはおそらくないですよね?
所属や芸能プロダクションを意識しながら見ることもほぼないですが、明石家さんま、今田耕治、雨上がり決死隊、文枝一門、松鶴一門、ダウンタウン、タカアンドトシ…きりがないので、このあたりでやめますが、番組名に名前がついている冠番組をもっている芸人さんもいらっしゃいます。
吉本せい はどんな人?
1889年12月5日~1950年3月14日 職業:芸能プロモーター
出身:日本(兵庫県)
[amazon asin=”4781615899″ kw=”吉本せいと林正之助 愛と勇気の言葉”]
同年の1889年生まれの人 参考
- 小説家 夢野久作 1889-1936
- ステンドグラス作家 ハリー・クラーク 1889-1931
- 小説家 岡本かの子 1889-1939
- 俳優 チャーリー・チャップリン 1889-1977
- ドイツ総統 アドルフ・ヒトラー 1889-1945
- 詩人 ジャン・コクトー 1889-1963
- 画家 ハンナ・ヘッヒ 1889-1978
- 吉本興行創業者 吉本せい 1889-1950
ディズニーランドは誰もが夢を見る権利を追及
近年、アニメの映画の実写化や、マーベラスコミックの実写化したテレビドラマなど、ディズニー幅広く展開していますね。世界でも日本でもテーマパークが増えており、競争が激しくなっているようですが、ディズニーランドは、3000億円投じて2023年に新しいアトラクションが完成する予定です。
ウォルト・ディズニーはどんな人?
1901年12月5日~1966年12月15日
職業:アニメーター・プロデューサー・映画監督・脚本家・声優・実業家
出身:アメリカ
幼少期~衛生兵志願編
幼少の頃から絵を描くのが得意で、7歳のときには自分が描いたスケッチを近所の人に売っていたというエピソードもあります。
高校に通いながら、美術学校の夜間部で絵を学んでいましたが、第一次世界大戦が始まると、愛国心にかられたウォルトは高校も美術学校も退学し、兄:ロイとともに、陸軍に志願します。志願するには1歳足りていなかったウォルトは年齢を偽りますが、若すぎるウォルトに兵士ではなく、赤十字の衛生兵として従事することが提案され、衛生隊に所属します。
この衛生隊には、マクドナルドの創業者レイ・クロックもいました。
戦後~アニメーター編
戦後、漫画家を目指し、新聞に漫画を描く仕事を請け負いますが、無名の新人に仕事を頼む会社は少なかったようです。生活に困っていたところ、地元の銀行で働いていた兄:ロイが知人に頼み、広告デザイン会社の仕事を紹介してもらい就労しますが、契約更新を機に切られ、同僚だった男性(アブ・アイワークス)と2人で創作活動を始めます。
会社を設立しても生活ができるわけではなかったので、働きながら活動しようとして考えていたようですが、ウォルトは他会社にアニメーターとして雇用されてしまったので、会社は稼働できなくなりました。アニメーターとして働き始めると、漫画が動くアニメの世界への興味に目覚め、会社の機材を借りて、休みの日もアニメーション制作に夢中になります。
切り抜き手法のアニメ(ロッテ・ライニガーなど)が主流だったところから、セル画に切り替わった時期でもあったので、セル画の可能性を確信します。
独立後
19歳のときに個人事務所を設立し、フリーランスで仕事を募集し、アニメ制作会社へと会社を展開していくにあたって、アニメーター仲間を呼びますが、経営をしたことがないウォルトは資金繰りが上手くいかず、倒産してしまいます。
経済支援をしてくれるスポンサーの必要性を感じたウォルトは再起をはかり、ハリウッドに移住します。
ハリウッドで、兄ロイとともに会社を設立します。ディズニー初、シリーズ化された短編映画「アリスコメディ」は、実写とアニメーションを織り交ぜたもので、それが人気になり、経営が軌道にのります。
今見ても違和感がないです。「のらくろ」みたいなネコがでてきて、ミッキーマウスが登場する以前のキャラクターです。
経営が軌道にのったといっても、それは一時的なもので、映画配給会社と組んだことで、法外な手数料を要求され、それを拒否すると、アニメータースタッフが引き抜かれ、倒産の危機に追い込まれたこともありました。再起をはかって、新たなキャラクターを作ろうと考えた結果、ミッキーマウスが誕生しました。
ウォルト・ディズニーは何度も失敗しては、その度に立ち上がったタフマンですが、その背景には父親の影響があるように思います。父親は金鉱探しや農業、転職を繰り返し、一家の暮らしはずっと厳しかったようです。また、子どもたちへの関心が薄く、愛されていないと感じていたウォルトにとって父親との関係は、葬儀にもでないというくらい確執しかありませんでした。
父親のようにはなりたくないという恐れや不安、反発から一つのものを続ける強さや、自身の子供の接し方の願望、そういうものがなければ、ディズニーは生まれていなかったとも考えられます。
[amazon asin=”4062163322″ kw=”ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯 完全復刻版”]
ディズニーは仕事における名言を数々残しています。そのなかで、私が好きな言葉は下記です。4つの「C」が夢をかなえる秘訣だとディズニーは言っています。「好奇心」「自信」「勇気」そして「継続」、最後のお決まりの言葉は世界共通です。
The special secret of making dreams come true can be summarized in four C’ s. They are Curiosity, Confidence, Courage, and Constancy.
きっかけ:
夢や目標をかなえる秘訣は何ですか?
同年の1901年生まれの人 参考
- モリサワ創業者 森澤信夫 1901-2000
- アニメーター アブ・アイワークス 1901-1971 米
- 映画監督 円谷英二 1901-1970
- 画家 ジャン・デュビュッフェ 1901-1985 仏
- ジャズ歌手 ルイ・アームストロング 1901-1971 米
- 彫刻家 アルベルト・ジャコメッティ 1901-1966 スイス
- 写真家 木村伊兵衛 1901-1974
- 映画監督 ウォルト・ディズニー 1901-1966
フジコ・ヘミングの絵が素敵 困っている人を救うための命
2018年夏、ドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』が公開されました。
フジコ・ヘミングさんはどんな人?
1932年12月5日~2024年4月21日 職業:ピアニスト
出身:ドイツ
母親が日本人のピアニスト、父親が画家で建築家のスウェーデン人で、5歳のときに日本に移住しますが、父親が日本に馴染めず一人帰国してしまったので、母親と弟の3人で東京暮らしていました。
母親からピアノを習い、小学校のときにラジオで、ピアノの生演奏をしたことで、世間に知られ、17歳でデビューコンサートを果たしています。東京藝大を卒業後、本格的に音楽活動に入り、日本フィルハーモニー交響楽団などで共演します。
留学したいという希望から、パスポートを申請した際に、自分が無国籍であったことが発覚し、留学ができず国内でピアニストとして音楽活動を行いました。
29歳のときに、駐日ドイツ大使の尽力により、赤十字に認定された難民として、ベルリンに留学できることになります。ヨーロッパで音楽活動を続けるも生活は非常に厳しく風邪をこじらせ、左耳の聴力を失ってしまいます。
16歳のときに中耳炎で右耳の聴力が失われていたので、両耳の聴力が失われると、演奏家として活動を中断せざるをえないときがありました。耳の治療をしながら、音楽学校の教師の資格を得て、指導したり、ピアノ演奏活動を行っています。聴力は左みみのみ40%回復されているようです。
フジコ・ヘミングさんは絵を描くことや、手を動かす裁縫や水泳、バレエや映画の鑑賞がお好きです。描かれる絵が素敵で、本やCDのジャケットに使われています。
https://pin.it/kbtdfb3dwof2st
Wikipediaにあった語録で、あなたにとって、ピアノとはなんですか?という問いに答えがありましたが、愛猫家、愛犬家で動物愛護家でもいらっしゃいます。
猫達を食わせていくための道具ね
私の人生にとって一番大切なことは、小さな命に対する愛情や行為を最優先させること。自分より困っている誰かを助けたり、野良一匹でも救うために人は命を授かっているのよ。
きっかけ:
あなたの道具は何ですか?
[amazon asin=”4860290062″ kw=”フジ子・ヘミングの「魂のことば」”]
同年の1932年生まれの人
- 随筆家 武良布枝(水木しげるの妻)
- グラフィックデザイナー 福田繁雄 1932-2009
- 映画監督 フランソワ・トリュフォー 1932-1984
- 画家 ゲルハルト・リヒター 1932-
- 俳優 エリザベス・テーラー 1932-2011
- 作曲家 冨田勲 1932-2016
- ブライダルファッションデザイナー 桂由美 1932-
- 小説家 石原慎太郎 1932-
- ピアニスト フジ子・ヘミング 1932-
- 俳優 仲代達矢 1932-
奈良美智 キャラクターがアートに!?本当に大切なものを追及
奈良美智(ならよしとも)さんはどんな人?
1959年12月5日 職業:画家・彫刻家
出身:日本(青森県)
アート界でこれまで誰もやらなかったことをした人です。
絵画、イラスト、落書、写真、アートの境界線を曖昧にした美術家は沢山いると思いますが、従来のアートの概念を超えています。
本当は深い何かがあるかもしれないけど、パッとみたときの捉え方で「好き、カワイイ、癒されるは、明快すぎるのかなと思いつつ、カワイイは最強じゃない?」を正々堂々と言える、そういうものはアートではタブーみたいな厚い層がペロンと剥がれて、小さな女の子のキャラクターがアートになったのは絵画史上初です。
奈良美智さんは女の子を意識して描いているというわけではないそうです。
小さいときに男の子や女の子に間違えられた、性別が分かりにくい中性的な子供のふとした表情にカワイイと思えたり、ごめんなさいが言えなくてむくれてしまったことを思い出して、「コレ私!」と当時の自分と対話しているような感覚さえ覚えます。
https://pin.it/aafaiewl26gwpo
高校時代に集めたレコードのジャケットが創作する上での原点になっているそうで、音楽が大好き、作品制作のときも音楽を流しながら行っているそうです。
高校までは青森県に住んでいましたが、武蔵野美術大学に入学するために上京し、わずか1年で中退します。22歳のときに愛知県立芸術大学に入学し、大学院修士課程に進学し修了します。大学院を修了した翌年に、ドイツの国立アカデミーに留学し、12年間ドイツで生活していました。
創ることに価値を見出し、売れなくてもやるスピリットがあった時代(近代的)なものに一番影響を受けてきたはずなのに、今しか見ていなかった自分に反省した。
震災は自分の本当の大切なものって何だろうと考えるきっかけになり、みんなが思う奈良美智の絵のイメージの作品が許せなくて、2度と描けないと本気で思った。
奈良美智さんのインタビュー記事がとてもよかったので、お時間があったら読んでみてください。
きっかけ:
あなたの一番大切なものは何ですか?
[amazon asin=”4838711549″ kw=”ともだちがほしかったこいぬ”]
http://www.nsyard.com/
http://www.aomori-museum.jp/ja/
同年の1959年生まれの人 参考
- タレント 柴田理恵
- 映画監督 リュック・ベッソン
- 歌手 山口百恵
- 漫画家 やくみつる
- 俳優 ケヴィン・スぺイシー
- 雅楽演奏家 東儀秀樹
- 画家 奈良美智
- ゲームクリエイター 岩田聡 1959-2015
- 落語家 春風亭昇太
12月5日 今日は何の日?365日のきっかけ
国際ボランティア・デー(International Volunteer Day)
国際デーの一つです。
世界中の経済と社会開発の推進のため、ボランティア活動の貢献に対する認識を高める日です。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、12月5日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!