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11月9日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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11月9日野口英世

11月9日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

ノーベル賞は受賞していない野口英世の功績と隠れた素顔

野口英世はどんな人?

1876年11月9日~1928年5月21日 職業:細菌学者
出身:日本(福島県)

黄熱病や梅毒等の研究で業績を残した研究者です。

 

野口英世は1876年(明治9年)に福島県の中央に位置する猪苗代町(いなわしろまち)という町で農家をしていた一家の長男として産声があげました。

1歳のときに囲炉裏に落ち、左手に大やけどを負います。母親は目を離した隙の出来事にひどく悔み、片手での農作業が難しいことから学問で身を立てることを英世に諭します。

貧しい農家であったため、英世を学ばせるために母親は一生懸命働き、英世を学校に通わせました。同級生に火傷をからかわれることもありましたが、そのたびに母親に励まされ勉強を続けました。

そんな英世の努力と、学力を認めてくれた高等小学校の教頭先生が、学費を援助してくれたおかげで、勉強を続けることが出来ました。

 

15歳~21歳(医師免許取得まで)

15歳になったとき、左手の火傷ついて書いた作文を学校で読んだところ、同級生や教師が、英世のために左手を治すための手術費用を募金で集めてくれました。集まったお金で手術を受け、成功したため、左手の何本かの指が使えるようになりました。それがきっかけとなり、医学の道を志すようになります。

学校を卒業した英世は、手術してくれた医師のもとで、書生として住み込みで働きながら3年半、医学の基礎を学びます。細菌学を知ったのもこの時期だったようです。

医師免許を取得するために、お世話になった高等小学校の教頭先生から大金を借りて上京します。筆記試験に合格するも、遊びすぎたために資金が2ヶ月で底をつき、下宿から立ち退かなければならなくなります。

上京する前に書生として働いていた医師の知り合いの血脇守之助(ちわきもりのすけ)に、書生として雇ってもらえる医師を紹介してもらいますが、院長に断られてしまったため、行くところに困った英世は、非公式に寄宿舎に泊まり込み、掃除や雑用をしながら生活をしました。

 

血脇守之助(1870年3月2日~1947年2月24日)は東京医科大学の創立者の一人で、野口英世のパトロンとして、尽力した人です。

 

筆記試験のあと2次の実技試験を受けることになります。ですが、左手の火傷が完全に治っていたわけではなかったことから、血脇守之助が東京大学の外科の教授に掛け合い、無償で再手術を受けました。

実技試験も合格し、医師免許を取得しますが、開業する資金も、コンプレックスの左手を火傷の跡を患者さんに診られたくないという理由から、開業医は諦め、研究者としての道に進みます。

 

22歳~24歳(ペスト対策国際防疫班時代)

血脇守之助が紹介してくれた学校の講師や、順天堂医院の助手として、医学雑誌の編集の仕事をします。

順天堂医院の上司に頼み込み、血清療法開発で知られていた北里柴三郎が所長を務める伝染病研究所で働くことになります。そのときは、直接研究に携わることはなく、語学能力をかわれ、通訳や書類の翻訳なども仕事をしたようです。

伝染病に関する蔵書が、英世を経由して貸し出されたあとに売却されるという事件が起き、研究所勤務が出来なくなってしまいます。

所長の計らいで、横浜港検疫所に勤め始めて数か月後、横浜港に入港した船に、ペスト患者がいることを発見します。その仕事ぶりが評価され、中国(清国)でのペスト対策として内務省から要請され、国際防疫班に選ばれます。

 

24歳~51歳(渡米・海外編)

国際的な業務を体験し、留学したいという気持ちが強くなり、24歳のときに、研究所の所長の紹介状を持って渡航し、ペンシルベニア大学医学部で助手の職を得ます。毒蛇の研究を論文にまとめ、それが医学界に紹介されると、一躍知られるようになります。

26歳 大学の教授の支持により、デンマークの血清研究所に留学し、血清学の研究をし、論文を執筆しています。その後、アメリカに戻り、ロックフェラー医学研究所に在籍していたこともあります。

34歳 アメリカ人女性メリー・ダージスと結婚

35歳 梅毒スピロヘータの培養に成功し、京都大学で医学博士の学位を授与されます。

39歳 15年ぶりに日本に帰国し、母親と再会していますが、その後は帰国することはありませんでした。

42歳 ロックフェラー財団から要請を受け、黄熱病の病原体発見のため、黄熱病が大流行していたエクアドルに派遣されます。

病原体を特定することに成功しワクチンを開発させると、黄熱病研究のためにメキシコやペルーに派遣されました。

51歳 ガーナで黄熱病に感染し亡くなりました。ニューヨークの墓地に埋葬されています。

 

野口英世ってこんな人なの?編

1000円札の肖像に使われた偉大な研究者というイメージしかありませんでした。下記を知ったら、1000円札を使う度に思い出すかもしれません。

 

1.ノーベル賞は3回候補に名前があがりますが、受賞はしてはいません。

 

2.血脇守之助がいなかったら、野口英世は存在しない

上京するために借りたお金を2ヶ月で使い切ってしまっただけでなく、放蕩三昧で、渡航のための準備金や、必要なお金を度々使っては、血脇守之助が工面し用立てています。どうやら借金は返済していないようです。一時帰国した際に、懐中時計をプレゼントしたのと、血脇守之助が渡米した際にお世話した程度です。

 

3.高等小学校の教頭先生がいなかったら、野口英世は存在しない

英世という名前に改名したのは22歳で、それまでは清作(せいさく)でした。

遊郭通いが癖で借金を繰り返す放蕩さは、坪内逍遥の小説に登場する人物、野々口清作と同じで、名前もそっくり(野口清作と野々口清作)、英世がモデルであると言われる可能性が高いことから、改名を決意します。

学費や上京する際にお金をだしてくれた、高等小学校の教頭先生に相談し、英世という名前をつけてもらいます。改名の理由がしょうもない理由な上、戸籍名の変更はまだ難しい時代に、とった行動が自分勝手です。

集落に住んでいた同じ名前の清作という人に頼みこみ、近所の野口家に養子に入ってもらいます。集落に同じ名前の人物が2人いるのは紛らわしいと主張しました。すごい強硬手段ですね。

 

4.趣味は、将棋・囲碁・油絵

英世が描いた妻メリーの肖像画が野口英世記念館のWebサイトで見られますが、上手です。

 

5.やりたい放題、計画性がない、自分勝手、モテ要素がないのに人に恵まれている

因みに、身長は153cm、足のサイズ23cm、非常に小柄だったようです。

 

11月9日野口英世

 

 

きっかけ:

人に好かれる人はどんな人ですか?

 

http://www.noguchihideyo.or.jp/

 

 

 ロバート・フランク

1924年11月9日~2019年9月9日 職業:写真家
出身:スイス→アメリカ

 

11月9日 今日は何の日?365日のきっかけ

換気の日

語呂合わせ、11(いい)9(く)(うき)で、「いい空気」日本電機工業会が1987年に制定しました。

119番の日

消防の緊急通報用電話番号が119番であることから、消防庁が1987年に制定しました。本日から11月15日までの1週間は秋の全国火災予防運動が行われます。

太陽暦採用記念日

明治5年11月9日(旧暦)に、それまでの太陰太陽暦をやめて太陽暦を採用するという布告が行われたことに由来します。

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、11月9日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!

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