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4月26日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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4月26日ウィリアム・シェイクスピ

4月26日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

ウィリアム・シェイクスピアは授かり婚だった!

1564年4月26日(洗礼日)~1616年4月23日 職業:劇作家・詩人
出身:イギリス

西欧の三大教養書は、聖書・ギリシャ神話(ローマ神話)・シェイクスピアと言われています。そのなかで、シャイクスピアだけが個人名が分かる創作文です。詩人、作家、劇作家は星の数ほどいますが、シャイクスピアは別格ということですね。

シャイクスピア4大悲劇として知られているのは、『ハムレット』『リア王』『マクベス』『オセロ』です。人と社会(環境)との矛盾と葛藤などを描いており、これらは問題を提起する劇と呼ばれています。

代表作:

  • 『ロミオとジュリエット』
  • 『ジュリアス・シーザー』
  • 『ヴェニスの商人』
  • 『夏の夜の夢』
  • 『お気に召すまま』
  • 『終わりよければ全てよし』

 

シェイクスピアの父親は、皮手袋の商人として財をなし、その後、議員として活動しており、比較的裕福な家の8人兄弟の1人として生を受けました。ウィリアムの幼少期は裕福でしたが、父親が闇業に関わった罪により起訴され、議員の仕事を剥奪されます。

父親が議員だったことを考えると、それなりの教育を受けていたと考えられていますが、仕事がなくなってからは、勉強が続けられたかどうかは分かりません。

18歳のときに8歳年上の女性、アン・ハサウェイと授かり婚で結婚します。結婚して半年後に、長女が誕生し、2年後には双子の長男と次女が誕生しますが、長男は11歳で亡くなっています。

結婚してから7年間、何をして生計をたてていたのかなど、シェイクスピアの生涯については、分からない点も多いです。一説によれば、教師をしていたのではないか、とも言われています。

20代後半頃からロンドンに出て、演劇の世界に携わるようになり、俳優のかたわらに脚本を書くようになったのがきっかけで、脚本家になったと言われています。映画『恋に落ちたシェイクスピア』でもその様子は描かれていました。

シェイクスピアが手掛けた脚本と芝居は、評判になります。イギリス王室の劇団(王室の庇護がある劇団)を主宰し、上演するために多くの戯曲を執筆しました。

50歳前に引退し、その数年後の52歳で亡くなっています。死因は、定かではありませんが、腐敗したニシンから感染したのではないかと言われています。

ニシンの名物料理で浮かぶのは、アニメ『魔女の宅急便』にも登場するニシンのパイ、スターゲイジーパイ。アニメでは美味しそうですが、本場のパイはニシンの頭がパイからボコボコとでていて、見た目が豪快です。

亡くなる数週間前に、次女の婚約者が別の女性との間で、婚前交渉の疑惑で告発されます。シャイクスピアも、アン・ハサウェイと結婚していなかったら、アンの両親から訴えられたと思いますが、次女の行末を心配し、自分の財産が確実に次女に渡るよう遺言書を修正したそうです。

シェイクスピアは兄弟も多く、親族は沢山いましたが、直径の子孫は途絶えています。

シェイクスピアは一人で脚本を手掛けていなかったのではないか?という説もあり、これはその話なのかな?という想像から、コミック『7人のシェイクスピア』を読んでみたいです。

 

4月26日 ウィリアム・シャイクスピア

 

きっかけ:

今やっていることに+αで出来ることを探してみませんか?

 

同時代の人 参考

 

鳥に特化した画家 ジョン・ジェームズ・オーデュボン

1785年4月26日~1851年1月27日 職業:画家・鳥類研究家
出身:ハイチ (フランス領)

鳥に特化した画家です。

父親は船長で、息子を船乗りにするために、12歳のときに海軍学校に入れます。しかし、船酔いがひどく船乗りに向いていないことに気付きます。その後、役人になるために資格試験を受験しますが失敗します。

ナポレオン戦争で徴兵されることを避けるために、アメリカに行けるよう父親が手配、18歳のときにアメリカに渡ります。

到着してから、父親が買っていた農場で過ごし、農場の仕事をしながら、狩猟をしたり、スケッチをしたりして楽しんでいました。そこで、鳥や野生生物に触れる機会が多かったことが、鳥類学に興味を抱き、鳥を描くきっかけになったようです。

20歳のときに結婚、2人の息子が誕生し、独立するために雑貨店を経営していました。しかし経営は向いておらず、34歳のときに破産し債務者のとして監獄に入っていたこともあります。

35歳のときに、アメリカの鳥類を集めた画集を出版したら面白いのではないかと閃き、家族を置いて、アメリカ各地の鳥を観察しながら旅をしました。その間は、妻が教師として働きながら、家計を支えました。

 

https://www.pinterest.jp/morichi123/john-james-audubon/

 

しかしせっかく描いた鳥のスケッチは、アメリカで出版することは叶わず、41歳のときにイギリスに渡り、およそ10年弱かけて、『アメリカの鳥類』という本にまとめられました。

このときのエピソードでWikipediaに載っていたものですが、本を執筆中、すでに完成していた200枚の絵を置いて留守にしていた間に、ネズミに食いちぎられてしまいました。帰宅して、無残な状態に愕然とし、しばらくふて寝したようですが、再度、やることを決意し、最初から描き直ししたために時間がかかってしまったようです。

このときの状況、なんとなく想像できますよね?毎日1枚取り組んでも200日、200日がパーですから、愕然どころではないです。

 

きっかけ:

過去にタイムスリープできるとしたら?いつ?

 

同時代の人 参考

 

ウジェーヌ・ドラクロワはマメな人だった!

1798年4月26日~1863年8月13日 職業:画家
出身:フランス

代表作:

  • 『民衆を導く自由の女神』
  • 『サルダナパロスの死』
  • 『キオス島の虐殺』
  • 『アルジェの女たち』
  • 『ダンテの小舟』

 

上記で紹介したオーデュボンの13年後にフランスで生まれたのが、ドラクロワです。ドラクロワの代表作としてよく知られているのが、『民衆を導く自由の女神』です。

この絵の中心にいる女神のすぐ横で二丁拳銃をかかげている少年にヒントを得て、ヴィクトル・ユーゴーは、『レ・ミゼラブル』の登場人物、ガウロージュを描いたと言われています。

この絵は、フランスの7月革命を主題にしており、フランスのスローガンである「自由・平等・友愛(または博愛)」を勝ち取った象徴ですが、2013年にはルーブル美術館に展示中に来館者によって、落書きされるという事件が起きています。

 

同時代の画家 参考

西洋美術

 

ドラクロワの父親は外交官、裕福な家に生まれますが、少年期までは名門学校に通っていました。両親の死後、絵描きとして生計をたてることを決意し、国立美術学校で学びながら、ルーヴル美術館に通い、ルネサンスの巨匠の名画などを模写しました。

始めての大作は、愛読していたダンテの『神曲』から着想を得て描いたもので、サロンに出品し初入選をします。ドラクロワの作品は、当時主流であった、新古典主義の画家とは異なっていたので、批判されることもありました。

そんな批判にドラクロワはひるむことなく、当時のフランス及び、ヨーロッパで起きていた暴動の惨事を題材に描き続けます。

34歳のときに、フランス政府の記録画家として雇われ、モロッコを訪問します。それを機に公共施設、政府関連の仕事を多く手掛け、65歳で亡くなるまでに。精力的に活動しました。自宅兼アトリエは、現在、ドラクロワ美術館として運営されています。

 

https://www.pinterest.jp/morichi123/eugene-delacroix/

 

ドラクロワはマメな人で、24歳頃から日記を始め、途中で中断することはありましたが、生涯にわたり記録しています。個人的な、心配ごとや生活なども書かれていますが、ピアニストのショパンや作家のジョルジュ・サンドなどの議論が記録されており、画家の私生活だけでなく、当時のフランスの様子を知る手掛かりにもなっています。死後に日記は、出版されています。

自分で日記を読みかえることもあまりないので、人によって読み返されていると知ったら、亡くなるまで処分したかもしれませんね。

 

きっかけ:

日記を公開しますか?

 

同時代の人 参考

 

ランドスケープの父 フレデリック・ロー・オルムステッド

1822年4月26日~1903年8月28日  職業:造園家・都市計画家
出身:アメリカ

アメリカの「ランドスケープの父」と言われているのが、オルムステッドです。庭園史の本を読むと、イタリア、フランス、イギリス、日本庭園くらいはあるのですが、アメリカは入ってなかったなぁ…

30代前半に友人から、セントラル・パークの仕事を勧められたのをきっかけに、造園関係の仕事を始めました。

 

ところで、日本にも「ランドスケープの父」ではないですが、近代日本庭園の先駆者と言われている人物がいます。7代目の小川治兵衛です。7代目とつくことから分かると思いますが、京都で250年以上の歴史をもつ造園会社の当主の名前が小川さんで、継ぐ人が名乗れる名前です。

7代目の小川治兵衛(屋号:植治 うえじ)は、平安神宮、円山公園、無鄰菴(山縣有朋の別邸)、旧古河庭園、三井家・岩崎家・細川家の各庭園など、数多くの名庭園を手掛けています。

 

同時代の人 参考

 

瀬田 貞二の著書

1916年4月26日〜1979年8月21日 職業:児童文学者・翻訳家
出身:日本(東京)

代表作:

  • 『かさじぞう』
  • 『子どもの本のよあけ 瀬田貞二伝』
  • 『さてさて、きょうのおはなしは』
  • 『きょうはなんのひ?』

翻訳:

  • 『指輪物語』
  • 『ナルニア国ものがたり』
  • 『マドレーヌ』シリーズ
  • 『よあけ』

 

同年の1916年生まれの人 参考

 

イオ・ミン・ペイの建築

1917年4月26日 職業:建築家
出身:中国

1983年に建築界のノーベル賞と言われている、プリツカー賞を受賞しました。

代表する建築:

  • ルーヴル美術館ルーヴル・ピラミッド
  • ドイツ歴史博物館
  • イスラム芸術美術館

 

同年の1917年生まれの人 参考

 

4月26日 今日は何の日?365日のきっかけ

世界知的所有権の日 (World Intellectual Property Day)

1970年4月26日に「世界知的所有権機関を設立する条約」が発効し、世界知的所有権機関が発足したことを記念した日です。知的財産権の啓蒙のため、世界知的所有権機関 (WIPO) が2000年に制定しました。

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、4月26日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!

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