1月21日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
クチュール界の建築家 クリストバル・バレンシアガ
1895年1月21日~1972年3月23日 職業:ファッションデザイナー
出身:スペイン
母親が洋裁師として働いていたため、幼少の頃からファッションが身近にある環境に育ちました。12歳のときに洋裁見習いとして働き始め、10代のとき住んでいた町でお金持ちであった伯爵夫人が、バレンシアガの顧客としてパトロンになります。
伯爵夫人の後援もあり、マドリードで正式に洋裁師の修行を積み、ブティックをオープンさせます。スペイン王室が顧客となり繁盛していましたが、スペイン内戦の影響でブティックは営業できなくなり、パリで開業し、その後はパリを拠点に活動をしました。
バレンシアガは「クチュール界の建築家」と称され、同業者のココ・シャネルは、「すべてを一人でこなすことができるただ一人のクチュリエ」と評するほど、デザイン、パターン、縫製、すべてをこなすことが出来ました。
1895年生まれの人 参考
- ファッションデザイナー クリストバル・バレンシアガ 1895-1972
- 染色工芸家 芹沢けい介 1895-1984
- 洋画家 古賀春江 1895-1933
- 挿絵画家 シシリー・メアリー・バーカー 1895-1973
新星デザイナー クリスチャン・ディオール
1905年1月21日~1957年10月24日 職業:ファッションデザイナー
出身:フランス
フランスのノルマンディー地方で、肥料の生産事業を行っていた父親のもと、裕福な家庭に生まれました。母親が自宅の庭に木や花を植え、ガーデニングを楽しんでおり、そんな母親のあとを追いかけて庭で遊ぶことが多かったために、花や昆虫、動物が生涯通して、創作のテーマになります。
また、町では毎年カーニバルが行われていたため、弟や妹のためにコスチュームのデザインをしたことが、少年期に体験した創作の礎だったと言われています。
ディオールはもともと建築家を目指していましたが、父親は外交官になることを望んでいたため、政治を学んでいました。しかし、大学では勉学よりも、新進気鋭のアーティストに惹かれ、友人と一緒にギャラリーオープンし、自分と同世代の才能あるアーティストを紹介する仕事をしていました。
しかし、世界恐慌のために、ディオール家が莫大な損害を抱えただけでなく、ディオールは身体を壊してしまったため、療養し、パリに戻ったときは無一文で、友人が経営するバーレストランの屋上で生活していました。
友人の一人がファッションデザイナーで、ディオールにファッションデザインを勧めたので、当時有名であったクチュリエのもとで働き始めます。
1939年に第二次世界大戦が勃発し、ディオールも動員されます。復員後、プレス向けにファッションのデザイン画を描いたり、家族を養うために庭で野菜を育てたりしながら、生活していた際に、イラストレーターと出会います。後に、メゾンディオールの専属イラストレーターになる人物でした。
戦後、ディオールの才能を買い、木綿王と呼ばれていた実業家が援助してくれ、独立し創業します。
ディオールの場合、デザイン画を得意としており、パターンや縫製等々はチーム戦で、出来る人に任せるという方法だったようです。
52歳で急逝し、デザイナーに抜擢されたのが当時21歳だった、イヴ・サンローランでした。
今も続くブランドを立ち上げたデザイナーが、同じ誕生日というのが、興味深いです。
同年の1905年生まれの人たち 参考
- 画家 片岡球子 1905-2008
- 翻訳家 伊藤整 1905-1969
- デザイナー クリスチャン・ディオール 1905-1957 フランス
- 建築家 前川國男 1905-1986
- 哲学者 ジャン・ポール・サルトル 1905-1980 フランス
- グラフィックデザイナー 今竹七郎 1905-2000
ポール・アレンがいなかったらマイクロソフトはなかった!?
ビル・ゲイツとともにマイクロソフトを共同創業した人物として知られていますが、47歳で引退し、現在は資産を運用し財団を運営して事業のための出資をしています。
その一つが、認知症の研究機関のアレン脳科学研究所です。アレンは自分の母親が、認知症を患い合併症で亡くなったことが影響し、15年前に認知症の研究所を立ち上げました。ビル・ゲイツも親族に認知症患者がいることを明らかにしており、認知症研究基金に投資すると2017年に発表しました。
ポール・アレンはどんな人?
1953年1月21日~2018年10月15日 職業:マイクロソフト 共同創業者
出身:アメリカ
アレンとゲイツは小学生の頃からの知り合いでした。2人が小学生時代にアメリカでは子どものためのコンピューター教育として、学校に端末機械が導入され、プログラミングを習える環境があったようです。
成人してから再会します。
ゲイツは仲間とともに会社を立ち上げ成功しますが、大学に進学し、カードゲームばかりしていました。
アレンは州立大学に通い、そのなかで動作をシュミレートするプログラムを作ります。大学2年のときに中退し、会社でプログラマーとして働いていました。そのときに、ゲイツと再会し、大学を中退して一緒に会社を作ろうと説得したのは、アレンでした。
基本的に開発は2人で行っていましたが、興味の対象や得意なことは全く対照的でした。
アレンはハードウェアとインターフェースに関心がありアイデアマン、ゲイツはソフトウェアに関心があり、行動派で交渉などを得意としていました。
マイクロソフトというと、ビル・ゲイツの名前はよく知られていますが、ビル・ゲイツを動かしたのは、ポール・アレンでした。
アレンは、第二次世界大戦時の兵器を集めており、調査チームが発見するたびにニュースになります。
きっかけ:
小学生の頃の友達と今も連絡を取っていますか?
連絡を取りたい人はいますか?
同年の1953年生まれの人たち 参考
- マイクロソフト創業者 ポール・アレン 1953-2018
- 俳優 ピアース・ブロスナン 1953-
- 俳優 ジョン・マルコヴィッチ 1953-
- 歌手 シンディ・ローパー 1953-
- 映画監督 ジャン・ピエール・ジュネ 1953-
ランドスケープアーキテクト 宮崎吾朗監督の代表作
1967年1月21日 職業:ランドスケープアーキテクト・映画監督
出身:日本(東京都)
代表作:
- 『ゲド戦記』
『コクリコ坂から』
テレビアニメ
- 『山賊の娘ローニャ』
幼い頃から絵を描くことが好きだったようです。大学は森林工学科を専攻し、自然環境の保護や保全に関する勉強をしました。卒業後はランドスケープコンサルタントの設計事務所に入社し、環境デザイナーとして、公園や都市の緑化の設計に従事します。
ジブリ美術館を開業するにあたって、会社を退職し、スタジオジブリに入社し、美術館の総合デザインを手掛け、現在は、アニメーション作家、監督としても活動されています。
きっかけ:
親と似ていると思うところはどんなところですか?
1月21日 今日は何の日?365日のきっかけ
ライバルが手を結ぶ日
慶応2年1月21日(新暦1866年3月7日)、坂本龍馬らの仲介により長州藩と薩摩藩が薩長同盟を結んだことに因みます。
料理番組の日
1937年1月21日、BBCが世界初の料理番組『夕べの料理』を開始したことに因みます。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、1月21日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!