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6月3日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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6月3日ラウル・デュフィ

6月3日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

色彩の魔術師ラウル・デュフィは同時代の画家とココが異なる!

デュフィがこの時代の他の画家と一線を画す点として、キャンバスだけでない活動が多いことが特徴です。

他の画家も本の挿絵や舞台美術、陶器や宝石の装飾などを手掛けていることは多いですが、デュフィはファッションデザイナーと出会い、コラボしてドレスで使えるテキスタイルデザインの制作をしました。それ以外のファブリックものでは、タペストリーなども手掛けています。

またファッション雑誌『VOGUE』の表紙なども手掛けており、ファッション(商業目的)でも活かせる絵を模索しています。

生活が苦しいなかで、本業は画家ですが、絵を使う媒体によってはデザイナーであり、イラストレーターでもある、曖昧な境界線を隔てる職業の区分がなかった時代に、活動の場を広げようとした柔軟な考え方に好感がもてます。

 

デュフィの初期の頃の作品はしっかりした風景画や人物画が多いです。途中、ピカソなどの作品に触れ、作風が変わりました。

フォーヴィスムを代表する画家、アンリ・マティスの作品に興味をもち、美術運動に参加していたこともあり、フォーヴィスムに分類されることも多いですが、透明感のある色彩豊かな表現はフォーヴィスムとは若干異なり、独自の創作スタイルを築いた画家の一人と言えると思います。

 

同時代の画家 参考

西洋美術

 

よく見る絵画は、1850~1950年の100年に集中していることが分かると思います。

デゥフィのように感化されやすい画家もいますし、一時的に傾注してすぐに飽きてしまう画家や、アンリ・ルソーのようにどこにも分類出来ない画家もいます。

項目に並べると、この順番で流行ったように見えるのですが、実際は画家が活動した国が異なり、同時期に色々な流派が混在していました。

 

ラウル・デュフィはどんな人?

1877年6月3日~1953年3月23日 職業:画家
出身:フランス

代表作:

  • 『モーツァルトに捧ぐ』
  • 『電気の精』=エッフェル塔
  • 『食道楽』
  • 『三十年、或いは薔薇色の人生』

 

https://pin.it/4sjds3koeey5yk

 

父親は会社員でしたが、音楽愛好家で教会の指揮兼オルガン奏者として活躍しており、母親はヴァイオリニストという音楽一家でした。

デュフィは9人兄弟の長男として生まれ、家計を助けるために14歳の頃から働いていました。弟2人が音楽家になったので、デュフィも音楽家になっていた可能性もあったと思います。

18歳の頃に美術学校の夜間の講座に通い始め、生まれ故郷の港町の絵を描き始めました。21歳のときに兵役で戦地に行くことがあったようですが、除隊後は、奨学金を得て、パリの美術学校に入学しました。

Wikipediaに記載されていたことですが、34歳で結婚、生活のために木版画をしていた時期もあります。これは何となくのイメージですが、1点ものの絵画は、絵具やキャンバス代などコストがかかるわりにはお金にならず、木版画であればプリントなので、版木を作ってしまえば、間をそこまでかけずに刷ることが出来るという、イラストレーターがポストカードを販売するような感覚だと思います。

画家として売れない、生活が苦しかったときに、当時ファッション王と呼ばれていたファッションデザイナーとポール・ポワレと知り合い、木版刷りのテキスタイルデザイン工房を立ち上げます。木版画をやっていたことが無駄にはならなかったということですね。

デュフィは知り合いが興味深いです。学校の同窓生がジョルジュ・ブラックで、近所に住んでいました。マリー・ローランサンの元カレで詩人のギヨーム・アポリネールが友達で、アポリネールが本を出版する際に挿絵を担当しています。ジャン・コクトーの舞台美術を手掛けたこともあります。

 

6月3日ラウル・デュフィ

 

きっかけ:

利き手でない手で描いてみませんか?

テクニックで絵を描かないようにするために、利き手でない左手で描いたそうです。左手で描いている写真も多く残っています。ずっと描いていたら、両利きになるのでは?というのは個人的な感想です。

 

同年の1877年生まれの人 参考

 

アラン・レネ監督のヒロシマ・モナムール

1922年6月3日~2014年3月1日 職業:映画監督
出身:フランス

代表作:

  • 『二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)』
  • 『夜と霧』
  • 『風にそよぐ草』
  • 『愛して飲んで歌って』

 

初期の頃に『ゴッホ』『ゲルニカ』『ゴーギャン』など画家の短編映画を制作しています。

幼少の頃は体が弱く、学校にあまり通うことが出来ず、自宅で過ごすことが多かったことから、読書家でした。10歳の頃から映画に興味があり、12歳のときに両親から8mmカメラを買ってもらったことがきっかけで、さらに映画の世界に魅了されたようです。俳優を志し、演劇の勉強をしていた時期もありました。

そのあと、映画監督になろうと思ったきっかけは何だったかは分かりかねますが、映像編集を学ぶために学校に入学して、戦後は、編集者として働き始め、キャリアを積み、映画監督になりました。

『愛して飲んで、歌って』が公開された2014年2月にベルリン国際映画祭に出品され、アルフレッド・バウアー賞(若手の監督が受賞することが多い賞)を受賞し、翌月の3月に91歳でこの世を去りました。幼少期が病弱だったにもかかわらず、91歳まで現役で活動が出来たという元気の秘訣を知りたかったですね。

 

同年の1922年生まれの人 参考

 

草間彌生の影響!?箱を作り続けたドナルド・ジャッド

1928年6月3日~1994年2月12日 職業:画家・彫刻家・美術家
出身:アメリカ

ミニマル・アートを代表する美術家で、棚のような箱が並んでいる作品を作り続けました。

水玉の作品で知られている草間彌生さんがアメリカで活動していた際に、個展に来廊して作品を気に入って購入してくれた人、感想を美術評論に的確に寄稿してくれた人がジャッド氏です。

当時ジャッドはコロンビア大学の学生で、絵を描きながら、雑誌に美術評論を寄稿し、生活費を稼いでいたようです。

どちらも経済的に厳しかったときに、草間さんの作品を購入したことは、お互いに助かったと思います。ジャッドが購入した作品はのちにオークションで数億円の価値になりました。

ジャッドは画家として活動を始めたときも、草間さんと同じビルでした。同じモチーフ(草間さんは水玉、ジャッド氏は四角)を永遠に続ける作風は、草間さんの影響かな…と個人的に思いました。

https://pin.it/j2jhu2kpbrtm4v

 

同年の1928年生まれの人 参考

 

村上もとか『JIN-仁-』は日韓でドラマ化

1951年6月3日 職業:漫画家
出身:日本(東京都)

代表作:

  • 『六三四の剣』
  • 『龍-RON-』
  • 『JIN-仁-』

 

『JIN-仁-』は現代の外科医が江戸時代にワープするという話でドラマ化されました。コミック、ドラマ(日本→韓流)の順で見ると興味深いです。

 

きっかけ:

江戸時代のいつでも構いませんが、ワープしたら何をしますか?
何を持って帰りますか?

 

同年の1951年生まれの人 参考

 

6月3日 今日は何の日?365日のきっかけ

測量の日

1949年に測量法が制定されたことを記念して建設省(現国土交通省)が制定した。

測量について知りたい方は、下記サイトご参照ください。

http://www.jsurvey.jp/

ウェストン記念日

イギリス人宣教師で日本アルプスを初めて踏破した日本近代登山の祖、ウェルター・ウェストンをしのんで、長野県上高地の梓川河畔にあるウェストン碑の前で献花、記念講演、合唱等が行われている日です。

雲仙普賢岳祈りの日

1991年6月3日、雲仙普賢岳で大火砕流が発生し43人が犠牲者となりました。この犠牲者を追悼するために、1998年から長崎県島原市が、大火砕流が発生した午後4時8分にサイレンを鳴らし、市民に黙祷を呼びかけています。

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、6月3日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵一日でありますように!

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