3月5日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
ポーランドの女性革命家 ローザ・ルクセンブルク
1871年3月5日~1919年1月15日 職業:政治理論家・哲学者・革命家
出身:ポーランド→ドイツ
ドイツ革命や1月蜂起を指導した女性の革命家です。
木材の商いをしていた父親のもと、5番目の子どもとしてポーランドで生を受けました。
ローザは優秀な成績で中学校を卒業し、その頃にポーランドの左翼政党のメンバーになっています。ポーランドは長らくロシアの支配下(実質的には)にありました。
この組織は地下活動を続けていましたが、当局に見つかり、命の危険を感じたローザはスイスに亡命します。そこで大学の哲学科に入学し、哲学をはじめ政治学、経済学などを学び、中世史や証券恐慌論などを研究し始めました。
ローザが目指したのは、ポーランドの独立で、それはドイツ、オーストリア及びロシアで革命が起こることのみで可能だと考えていました。活動の主要メンバーが次々と逮捕され、活動が出来なくなったときでも、ローザはポーランドの社会民主主義者でマルクス主義者を代表する理論家であり、新聞を発行し配布したりしながら、活動を続けていました。
博士号を取得し、27歳のときにドイツ人男性と偽装結婚をして、ドイツの市民権を取得しベルリンに移住します。活動拠点をドイツに移し、理論的な論舌で、党内外の社会主義運動において知られる存在になります。
ローザがずっと願っていたポーランド独立は、1917年にニコライ2世が退位した後、王座は一時、空席になっていましたが、第一次世界大戦中にドイツで投獄されていたユゼフ・ピウスツキ(ポーランドの軍の創始者で初代首相)が解放され、1918年11月にポーランド共和国が誕生します。
その2か月後、ローザはベルリンで活動メンバーとともに逮捕され殺害されました。48歳でした。
食の革命!?チキンラーメンの生みの親 安藤百福
2018年後期(10月から)のNHK朝の連続ドラマ『まんぷく』は、チキンラーメンやカップヌードルを開発した日清食品の創業者 安藤百福の妻の半生をモデルにした話でした。
安藤百福はどんな人?
1910年3月5日~2007年1月5日 職業:実業家・発明家
出身:台湾
日本の統治下にあった台湾で産声をあげました。両親が幼い頃に亡くなり、呉服店(繊維問屋)を営む祖父母の家に預けられ、商いが身近だったことも影響し、事業意欲や独立心は、このときに目覚めたといえそうです。
誰もやっていないことにチャレンジしたいと考え、22歳のときに父親が残してくれた遺産をもとに、繊維を扱う商社を設立します。当時は、伸縮性のあるメリヤスを扱う商社が少なかったため、大成功をおさめます。
翌年には大阪市に日東商会を設立します。メリヤス業以外にも、幻灯機の製造、炭焼き事業、バラック住宅の製造事業などを手掛け、時代の流れをいち早くキャッチした需要と供給で、事業を拡大していきました。働くかたわら大学で経済学を学びます。
一杯のラーメンを求める行列から着想!
戦後、GHQに目をつけられ、脱税容疑で逮捕され収容所に収監されます。処分の取り消しを求め、2年間法廷で争います。
戦後の日本で食糧難になり栄養失調で道端に倒れている人が街に溢れている悲惨な光景を目にし、衣食住のなかでも食がなければ何もできないと痛感します。
冬の寒いある日、大阪駅近くの闇市で1杯のラーメンを食べるために待っている大行列を見た百福は、「日本人は麺好きなんだぁ…」としみじみ感じながら、この行列のなかに需要が隠れているのではないかと確信します。
当時、アメリカの小麦を使った食事を奨励しており、パンの製造は始まっていましたが、使うのが小麦粉であればパンよりも、日本人が好きな麺類にした方がいいのに…という疑問を感じていました。
無一文からの再出発
1957年 47歳のときに勤めていた信用金庫が経営破たんしたため、全財産を失い、残ったのは借家だけでした。百福さんの名言にこんなものがあります。
失ったのは財産だけ。その分の経験が血や肉となって身についた
一から再出発することになり思い出したのが、寒空の下で1杯のラーメンのために待つ人たちの光景でした。お湯があれば、自宅でもすぐに食べられるラーメンを作ろうと閃きます。
借家の裏庭に小屋を建て開発を始めました。一日も休まず、睡眠時間を削って丸一年、死にもの狂いで研究を続けます。百福が開発するにあたり、目指していたのは、下記の5つで、それがすべて兼ね備えたものを作ることを理想としていました。
- 美味しさ
- 常備できる保存食
- 手間がかからない
- 値段が安い
- 安全で衛生的
しかし、食のプロでも経験も知識もない、全くの素人であった百福の挑戦は、気の遠くなる作業の繰り返しでした。食品の開発に重要なのは、一番いいバランスがとれたものを発見することにあると気付きます。
天ぷらから着想!
即席麺開発において難関であった麺の長期保存で、どのくらい乾燥させれば、お湯を注いだ後、すぐに食べられるのか?という疑問がなかなか解けずにいたある日、百福の妻が台所で天ぷらを揚げていました。
熱い油の中に入れられた小麦粉の衣は、水分をはじきだし、油のなかで泡をたてているところを見て、閃きます。天ぷらを麺に応用すればいいんだ!と早速、麺を油で揚げてみると、麺の水分が油ではじきだされ、ほぼ乾燥した状態になり、半年間の変質したり腐ったりもしないことが、実験から実証されました。さらに、お湯を注ぐと元の状態に戻るという利点もありました。
全財産を失ってから1年後
1958年47歳 世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」が販売されました。お湯を注ぐと3分で食べられるラーメンは、魔法のラーメンと呼ばれました。
しかし販売当初、うどん一玉が6円の時代に、チキンラーメンは35円、およそ6倍の値段に、仕入れても誰も買わないという理由で問屋の経営者には不人気でしたが、食べた人の「美味しかった」という声が多く聞かれるようになり、注文が殺到するようになりました。
アメリカにはどんぶりも箸もない!がカップラーメンの原点
1966年 55歳 チキンラーメンを世界中に広めようと考えた百福が、欧米視察に訪れた際に、あることに気づきます。アメリカにはどんぶりもお箸もありません。日本とは異なる食習慣に、麺をカップに入れ、フォークで食べる、カップラーメンのアイデアを閃きます。
カップに麺を入れるだけと思うところですが、開発するための片手で持てる陽気の開発、輸送中に麺が崩れてしまうのを防ぐために、ピッタリした麺の大きさをカップに収めるには?という問題がでてきます。
ある晩、布団に横たわっているときに、天井が突然ぐるりと回ったような錯覚に陥り閃きます。カップに麺を入れるのではなく、麺を下にカップをかぶせるという方法で工場での大量生産が可能になり、「カップヌードル」という名がつけられ、1971年に販売が開始されました。
数々のアイデアを生み出した百福さんの名言にこんなものがあります。
明確な目標が決まったあとは執念だ。ひらめきは執念から生まれる。
素人の発想が正しいこともある。素人だから常識を超えた発想ができる
百福は晩年、宇宙食の開発を宣言し。プロジェクトチームを結成させ、自らが指揮をとりました。スペース・ディカバリー号で宇宙に旅立った宇宙飛行士の野口総一郎さんが人類史上初、宇宙でインスタントラーメンが食べられたのが、2005年のことです。
95歳でなくなった百福がよく口にしていた言葉で、こんなものがあります。
人生に遅すぎることはない
8月25日はチキンラーメンの誕生の日で、即席ラーメンの記念日です。偶然だと思いますが、8月25日生まれのエルヴィス・コステロは、安藤百福に敬意を表し、自身のアルバムに「momofuku」と名付けています。
きっかけ:
お気に入りの即席麺(インスタントラーメン)は何ですか?
https://www.cupnoodles-museum.jp/ja/
http://www.momofukucenter.jp/
同年の1910年生まれの人 参考
- 随筆家 白洲正子 1910-1998
- 日清食品創業者 安藤百福 1910-2007
- 映画監督 黒澤明 1910-1998
- 漢文学者 白川静 1910-2006
- 絵本作家 赤羽末吉 1910-1990
- 児童文学作家 レオ・レオニ 1910-1999 オランダ
- アニメーター ウィリアム・ハンナ 1910-2001 米
- 修道女 マザー・テレサ 1910-1997 北マケドニア
- 外交官 エドウィン・O・ライシャワー 1910-1990
- 小説家 ジャン・ジュネ 1910-1986 仏
ハーバード白熱教室 マイケル・サンデル
1953年3月5日 職業:哲学者・政治哲学者・倫理学者
出身:アメリカ
「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という倫理学の思考実験とした問題で、トロッコ問題はよく知られています。
きっかけ:
もしもブレーキのきかない車を運転していて、5人か1人か一方を犠牲にするしかないとしたら、あなたはどちらを選びますか?
同年の1953年生まれの人たち 参考
- マイクロソフト創業者 ポール・アレン 1953-2018
- 哲学者 マイケル・サンデル 1953
- 小説家 高村薫 1953
- 俳優 ピアース・ブロスナン 1953-
- 俳優 ジョン・マルコヴィッチ 1953-
- 歌手 シンディ・ローパー 1953-
- 映画監督 ジャン・ピエール・ジュネ 1953-
「美しさを追求する自分を好きになる」熊川哲也
1972年3月5日 職業:バレエダンサー・振付家・演出家
出身:日本(北海道)
16歳のときにローザンヌ国際バレエコンクールに出場し、日本初のゴールドメダルを受賞し、東洋人として初、ロイヤル・バレエ団に入団した人で知られています。
10歳の頃に従弟に影響されバレエを習い始めたのがきっかけのようです。始めて6年で、トップのバレエダンサーになったということですよね?
現在は日本のバレエ教育や人材育成に力を入れたバレエスクールを主催されています。
近年、全くの初心者がバレエを始められるスタジオが増えています。熊川さんが慣習しているバレエゲートは、10代から80代までの会員が3000人いらっしゃるそうです。バレエは何歳になっても始められる、大人の習い事の一つにバレエを始める人が増えています。
年の1972年生まれの人 参考
- お笑い芸人
- 濱口優&有野晋哉(よゐこ)
- ヒロシ、椿鬼奴、ケンドー・コバヤシ、はるな愛
- 宮川大輔
- 俳優
- 大森南朋、谷原章介、藤木直人
- 木村拓哉(SMAP)、長野博(V6)
- ウェントワース・ミラー、ペ・ヨンジュン、ジュード・ロウ
- 歌舞伎俳優 中村獅童、片岡愛之助
- 俳優
- 稲森いずみ、常盤貴子、松雪泰子、寺島しのぶ
- キャメロン・ディアス、グウィネス・パルトロー
- バレエダンサー 熊谷哲也
- 小説家 有川浩
- グラフィックデザイナー 佐野研二郎
- シンガーソングライター 平井堅
- ロック歌手 リアム・ギャラガー
- ミュージシャン
- エミネム
- JIRO、HISASHI (GLAY)
- 写真家 蜷川実花
- コラムニスト マツコ・デラックス
- 実業家 堀江貴文
3月5日 今日は何の日?365日のきっかけ
ミス・コンテストの日
シカゴ・トリビューンの依頼により時事新報が「世界美人コンクール」の日本予選として行った「良家の淑女」写真コンテストの入賞者を1908年3月5日に掲載したのが日本のミス・コンテストの始まりとされています。
スチュワーデスの日
東京航空輸送社が1931年2月5日に実施した日本初のスチュワーデス採用試験の結果が3月5日に発表されたことに因みます。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、3月5日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!