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誕生日

3月4日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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3月4日片岡愛之助

3月4日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

アントニオ・ヴィヴァルディ代表曲『四季』

1678年3月4日~1741年7月28日 職業:作曲家
出身:イタリア

バロック後期の作曲家として知られています。

同時代の音楽家は、

音楽家

 

代表曲:

  • ヴァイオリン協奏『四季』
  • ヴァイオリン協奏曲 『イ短調 第1楽章』
  • マンドリン協奏曲RV.425 『ハ長調第1楽章
  • フルート協奏曲RV.428『ニ長調 ~ごしきひわ~」
  • 協奏曲集『調和の霊感』

 

ヴィヴァルディの父親は理髪師、当時の理髪師は外科医も兼ねていました。趣味のヴァイオリン演奏はプロレベルで、ヴァイオリニストとしても活躍していました。10人(5男5女)兄妹の長男として生を受け、父親の音楽の才能を受け継いだのは、アントニオ以外はいなかったようです。

幼少期から父親からヴァイオリンを習い、父親の音楽仲間から作曲を学びます。一般家庭に生まれたアントニオが、音楽で食べていくには、階級として聖職者になることがもっとも確実な方法だったため、10歳のときに教会付属の学校に入学し、キャリアを積み25歳で司祭になります。髪の毛が赤かったので「赤毛の司祭」と呼ばれていたようです。

司祭になってからは、キリスト教の慈善活動の一環として設立された(孤児たちのための)音楽学校で、ヴァイオリンの講師として教鞭をとり、ヴァイオリンを始め、他の楽器演奏のための作品を作曲しました。ヴィヴァルディと言うと、ヴァイオリンのイメージは強いですが、フルートやオーボエ、オルガン、マンドリン、トランペット、クラリネットなどの楽器の協奏曲も作曲しています。

 

敏腕プロデューサー!?

ヴィヴァルディはこの音楽学校で、女の子ばかりを集めてのオーケストラをつくります。現在の女性アイドルグループのようなことをしていたので、プロデューサーのような人物だったのかもしれません。その結果、ヨーロッパ各地で演奏会ツアーが行われました。演奏会で収入が得られるので、音楽院はヴィヴァルディの要望には応えていました。

音楽院での仕事をしながら、副業として作曲した作品を出版しました。出版のおかげで、作曲したオペラが公演される機会が増えたので、ヨーロッパ中で知られるようになります。

その頃から音楽院の仕事を少しずつ減らしていき、宮廷楽長として奉職しながら、旅をしていました。作曲した楽譜は郵送でのやり取りで、指示していたようです。

しかし、もともと身体が丈夫ではなかったので、旅先で劇場が用意した宿舎で亡くなりました。旅先だったことから、簡素な葬礼は行われましたが、貧民墓地に埋葬され遺体は不明、後に墓は撤去され、跡地はウィーン工科大学になっています。急死したため、死後には忘れられてしまいました。(音楽学院で貢献したのに…)

 

再評価されたのは20世紀に入ってから

200年以上経った20世紀半ばに再評価されました。レコード会社がヴィヴァルディの『四季』を発売したことがきっかけだったようですが、クラシック愛好家も知らない曲だったことで、200年前の作曲家、名前はヴィヴァルディ、なかなかいいねという具合に、知られるようになりました。クラシックの定番ですが、そうなったのはここ50~60年のことです。

 

きっかけ:

プロデュースしてみたい人物や団体、ものはありますか?

 

同時代の人 参考

 

手品の音楽だけじゃない!ポール・モーリアの代表曲

1925年3月4日~2006年11月3日
職業:作曲家・編曲家・指揮者・ピアニスト・チェンバロ奏者
出身:フランス

代表曲:

  • 『Memory』
  • 『El Bimbo』=『オリーブの首飾り』
  • 『Nocturne』=『蒼いノクターン』
  • 『Toccata』=『涙のトッカータ』
  • 『Penelope “L’eternel Retour”』=『エーゲ海の真珠』
  • 『I Will Follow Him “Chariot”』=『恋のシャリオ』

 

ポール・モーリアですぐに曲が浮かぶのは、手品のときに使われるお馴染みの曲かと思いますが、この曲聴いたことあるなぁ、この曲もそうなのか~と思うくらい数多く手掛けています。ラブ・サウンドの王様と呼ばれ、イージーリスニング界(くつろいで楽しめる軽音楽)の第一人者として知られています。

郵便局員の父親は趣味でアマチュア音楽家として活躍しており、幼少期から父親からピアノを習い、10歳で音楽学校に入学し、16歳で卒業し、アマチュアのジャズバンドの経験を経て、ダンスホール専属のオーケストラで、ピアニスト兼編曲者としてデビューしました。

1960年代から、映画音楽を中心に音楽活動を続け、日本でのリサイタルはおよそ870回開催されました。

 

同年の1925年生まれの人 参考

 

資生堂などの広告写真 写真家 十文字美信

1947年3月4日  職業:写真家
出身:日本(神奈川県)

20歳のときに、職場で「暗室」という文字を見たことをきっかけに、写真家になろうと決意し、写真専門学校に入学しますが、2ヶ月で辞め、スタジオで働きながら、ライティング技術を学びます。

22歳で篠山紀信のアシスタントになり、2年後にフリーの写真家に転身します。アシスタント時代の人脈から、ファッション誌や週刊誌の仕事を中心に広告写真、CMクリエイターとして第一線で活躍しました。現在は作品発表を中心に、自身がオーナーを務めるギャラリーとカフェを運営していらっしゃいます。

 

 

https://jumonjibishin.com/

 

同年の1947年生まれの人 参考

 

仮面ライダー経験ありの歌舞伎俳優 6代目 片岡愛之助

1972年3月4日 職業:歌舞伎役者・俳優
出身:日本(大阪府)

スクリュー製造工場を営む一家に生まれ、習い事の一環で受けた松竹芸能の子役のオーディションに合格し、子役から芸能界に入ります。子役としての演技力の高さから13代目片岡仁左衛門に見出され、歌舞伎役者に転身しました。

 

歌舞伎の誕生は400年以上前の1600年頃です。出雲の巫女さん(出雲の阿国(おくに)が、男性の恰好をして踊ったことが始まります。この踊りがかぶき踊りで、かぶくは、傾く(かぶく)が派生した言葉です。

阿国が始めた「かぶき踊り」が人気になると、その真似をした女性たちが増え、グループになって上演する一座ができます。しかし、女歌舞伎は風俗を乱すという理由で禁止され、そのかわりに登場したのが、若い男性(少年)が演じる若衆歌舞伎です。

それも風俗をみだすという理由で禁止され、今度は成人男性が演じる野郎歌舞伎ができました。野郎歌舞伎が発展し現代まで伝えられています。ヴィヴァルディが生まれた頃くらいです。

今は歌舞伎役者というと男性のイメージが強いですが、もともとは女性から始まったエンターテイメントです。

 

 

片岡愛之助

 

 

きっかけ:

歌舞伎の魅力を体感してみませんか?

 

 

歌舞伎揚げですか?ぼんち揚げですか?またはそれ以外?

甘辛味の揚げせんべい「歌舞伎揚げ」以外の言い方を知らなかったのですが、地域によって異なるようです。歌舞伎揚げは、餅に刻印していた歌舞伎役者の家門で、カタチが四角=市川家、丸=片岡家の家紋が刻印されていたことに由来します。今、販売されているものは、刻印はないように思いますが、気になる方は次回食べるときに確認してみてください。

 

同年の1972年生まれの人 参考

 

3月4日 今日は何の日?365日のきっかけ

バウムクーヘンの日

1919年3月4日に広島県物産陳列館(現在の原爆ドーム)で行われた「ドイツ作品展示会」で、カール・ユーハイムが日本で初めてドイツの伝統菓子のバウムクーヘンの製造販売をしたことに由来します。製菓会社ユーハイムが2010年に制定しました。

ミシンの日

語呂合わせ、3(ミ)4(シ)(ン)日本家庭用ミシン工業会が1990年に制定しました。

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、3月4日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!

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