1月14日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
マネのモデルを務めた女流画家ベルト・モリゾ
女性の社会進出が当たり前になったのは、歴史上わりと最近のことで、職業についていた女性が少ない、画家のなかでもそう多くはなかった19世紀に、画家として活躍していたのが、本日誕生日のベルト・モリゾです。
参考までに、よく知られている女流画家の人たちを、誕生日順に並べてみると、ベルト・モリゾは19世紀のなかでも前半の生まれであることが分かります。
この時代に活躍した女性画家 参考
- ベルト・モリゾ 1841-1895 印象派
- メアリー・カサット 1844-1926 印象派
- 山下りん 1857-1939
- アンナ・メアリー ロバートソン・モーゼス 1860-1961 米 絵を始めたのは晩年
- シュザンヌ・ヴァラドン 1865-1938 エコール・ド・パリ代表ユトリロの母
- マリー・ローランサン 1883-1956 エコール・ド・パリ
- ジョージア・オキーフ 1887-1986 米
- タマラ・ド・レンピッカ 1898-1980 アール・デコ
同時代の画家で、同じ年に生まれているのは、印象派のルノワール 1841-1919 です。
ベルト・モリゾは画家でもありましたが、エドゥアール・マネ(1832-1883)のモデルをしていました。
マネの代表作『オランピア』は、ティツアーノ「ウルビーノのヴィーナス」のオマージュ?パロディ?作品です。ヴィーナスのモデルになったのは娼婦だったので、神話の女神が娼婦おかしくない?という感じでいかがわしいもののように扱われました。
150年以上経った今は、それの何が問題なのか分からないくらいですが、マネやモリゾが活躍した19世紀前半は、写実主義や印象派が主流で、見たものをそのまま美しく描くことには変わりないのですが、そのなかでも絵画においてこれはいけないみたいなタブーがありました。
ベルト・モリゾはどんな人?
1841年1月14日~1895年3月2日 職業:画家
出身:フランス
父親は官僚で、モリゾ家は裕福な家柄でした。そのため、習い事にも熱心で3姉妹は絵を習い始めます。特に興味を示したのが、ベルトと1歳年上の姉のエドマで、2人は画家を目指し、20歳の頃から画家に師事し励みます。
ベルトは23歳のときにサロンで初入選を果たし、27歳のときにマネに出会います。絵を学びながらモデルを務めていため、マネとの関係を噂されることもあったようですが、師匠と弟子であったようです。
https://pin.it/3cyuvcalvzqkam
姉エドマが結婚を機に、画家になることを諦めますが、姉妹は非常に仲が良く、手紙のやり取りをずっと続けていたようです。
33歳 マネの弟ウージェーヌと結婚します。
37歳 娘を出産し、子どもやウージェーヌを題材にした作品を多く残しています。ウージェーヌは、マネ家の財産があったことから、特に働かなくても食べていくことが出来たので、ベルトが出産後も画家を続けることが出来たのは、ウージェーヌの手助けがあったからと言われています。
モリゾは54歳で亡くなり、詩人のステファヌ・マラルメや画家のルノワールやドガに、10代の子ども一人を残して逝くことを心配し、後見人を頼みます。一人娘のジュリーもまた、印象派の画家になりました。
画家ベルト・モリゾの没後120年を記念して、映画『画家モリゾ、マネの描いた美女〜名画に隠された秘密』が2015年に公開されました。
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同時代のフランス出身者 参考
- 画家 ドガ 1834-1917 印象派
- 作曲家 サン・サーンス 1835-1921
- 作曲家 ビゼー 1838-1875
- 画家 アルフレッド・シスレー 1839-1899 印象派
- 画家 セザンヌ 1839-1906 ポスト印象派
- 彫刻家 ロダン 1840-1917
- 画家 ベルト・モリゾ 1841-1895 →ココ!
- 画家 ルノワール 1841-1919 印象派
同年の1841年生まれの人 参考
- 画家 ベルト・モリゾ 1841-1895 フランス
- パズル作家 サム・ロイド 1841-1911 アメリカ
- 画家 ルノワール 1841-1919 フランス
- 作曲家 ドヴォルザーク 1841-1904 チェコ
- 初代総理大臣 伊藤博文 1841-1909
映画『新ドクター・ドリトル』を演じるのは誰?
エディー・マーフィー主演の映画『ドクター・ドリトル』は、1998年に公開され、続編が2001年に公開されました。
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新しいドクター・ドリトルに選ばれたのは、映画『アイアンマン』で主役を演じた、ロバート・ダウニー・Jrです。
ヒュー・ロフティングはどんな人?
1886年1月14日~1947年9月26日 職業:児童文学作家
出身:イギリス
動物と会話が出来るドリトル先生のお話を書いた人です。
時計職人を営む一家の6人兄弟の1人として生まれ、幼少の頃から動物や昆虫が好きで、登山や釣りなどの趣味は生涯続きます。
世界中を渡航したいという夢から、土木技師を目指し、渡米しマサチューセッツ工科大学に入学しますが、中退しイギリスの大学に編入し、卒業後は、アメリカやカナダの鉱山の測量の仕事、ナイジェリア(イギリスの保護領)で鉄道建設に従事しますが、仕事への悩みはつきなかったようです。
26歳 アメリカ人女性と結婚し、ニューヨークに移り住み、イギリス情報省の駐在員として働き、新聞や雑誌に短編小説やコラムを投稿しました。
第一次世界大戦で志願兵となり戦地行った際に、負傷した馬は治療が受けられないまま、銃殺されている光景に心を痛めます。それをきっかけに2人の子どもに動物の言葉が分かる医者のドリトル先生の物語を手紙に書いて送ったのが、作品の原型となります。
31歳 戦地で負傷しアイルランドに送還されますが、2年後に勃発したアイルランド独立戦争から逃れるため、アメリカに移住することを決意します。このときに、アメリカ行きの船内で、小説家と出会い、ドリトル先生の原稿を見せたところ、物語を出版するように勧めてくれたので、34歳のときに処女作『ドリトル先生アフリカに行く』が刊行されました。
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児童文学作家として本格的に活動がスタートし、シリーズ2作目も刊行できましたが、妻が亡くなり、再婚した女性もインフルエンザに感染してわずか1年で亡くなり、不幸が相次いで起きたことは、執筆活動を頑張ることで、自分を支えていたようです。
しかし、8作目でマンネリを感じて、シリーズを終了しますが、ファンから再会を求める要望が殺到したため、引き続き、執筆活動を行いました。大半の書籍は、ロフティングが挿絵を手掛けており、文章もイラストもできるクリエイターでした。
きっかけ:
「書く」or「描く」どっちが好きですか?
同時代のイギリス出身者 参考
- 作曲家 エドワード・エルガー 1857-1934
- 小説家 ラドヤード・キップリング 1865-1936 生まれはインド
- 絵本作家 ビアトリクス・ポター 1866-1943
- 作曲家 ホルスト 1874-1934
- 童話作家 A・A・ミルン 1882-1956
- 童話作家 ヒュー・ロフティング 1886-1947 →ココ!
- 俳優 チャールズ・チャップリン 1889-1977
- 小説家 アガサ・クリスティ 1890-1976
- 小説家 J・R・R・トールキン 1892-1973
- 小説家 C・S・ルイス 1898-1963
同年の1886年生まれの人 参考
- 児童文学作家 ヒュー・ロフティング 1886-1962 英
- 婦人運動家 平塚らいてう 1886-1971
- 詩人 石川啄木 1886-1912
- 建築家 ミース・ファン・デル・ローエ 1886-1969 独
- 美術家 ワルワーラ・ブブノワ 1886-1983
- 画家 高村智恵子 1886-1938
- 航空機開発者 アンリ・コアンダ 1886-1972 ルーマニア
- 作曲家 山田耕筰 1886-1965
- 漫画家 岡本一平 1886-1948
- 小説家 谷崎潤一郎 1886-1965
- 詩人 萩原朔太郎 1886-1942
- 画家 藤田嗣治 1886-1968
- 画家 ディエコ・リベラ 1886-1957 メキシコ
- 菓子職人 カール・ユーハイム 1886-1945 独
実はビビりだった!? 三島由紀夫の作品
1925年1月14日~1970年11月25日 職業:作家・劇作家
出身:日本(東京都)
代表作:
- 『金閣寺』
- 『潮騒』
- 『仮面の告白』
- 『鹿鳴館』
- 『午後の曳航』
- 『春の雪』
戦後を代表する小説家でノーベル文学賞候補にもなり、作家としては順調に歩んでいましたが、晩年、政治への思いが強くなり、防衛相で総監を監禁、クーデターを促す演説をし、最後は自決しました。
三島由紀夫をもう少し身近に感じられるようなエピソードだけ紹介します。
イケメン風な容貌
若い頃の三島由紀夫は、ソン・スンホンに似ており、さらに筋肉隆々なので、アクションスターのようです。
同性愛を題材にした小説を書くにあたって、ギリシャ彫刻のような美青年がモデルだったので、ギリシャに行きたいと願い、戦後GHQの占領下で海外旅行が禁止されていたため、朝日新聞の特別通信員として半年間、ハワイ、アメリカ、南米、欧州と巡る旅をします。
憧れのギリシャで彫刻を見て、肉体美に目覚め、週刊誌で取り上げられていた男性の筋肉に魅せられて、週3回ボディビルの練習を始めたのが、30歳の頃です。
もともとは痩身で虚弱体質でしたが、鍛練するうちにムキムキになり、生涯、ボディビルは、継続していたようです。
本当はビビりだった!?
勇ましい感じのイメージは強いですが、お化けや霊には弱く、元旦に三島邸で新年会が行われた際に、三輪明宏さんが三島由紀夫に霊が憑りついている言ったところ、青ざめ、コックリさんで遊んでいるときも、その霊が邪魔をしていると大真面目に呟いたというエピソードから、本当はビビりだった!?かもしれません。
ビビり説はもう一つあり、カニのむき身は好きなのに、見た目がとにかく嫌い、缶詰に貼られているラベルや、漢字の蟹という字を見ただけで、イメージが想像されて卒倒しそうになるというほど、怖いものだったようです。
お父さんだった!
死後も、子どもたちに毎年、クリスマスプレゼントが届くよう百貨店で手配、雑誌の長期購読料を先払いして毎月届くようにしていたことから、家族思いのお父さんだったのではないかと思われます。
猫派
犬派か猫派かの2択の場合、猫派だったようです。猫とじゃれている写真があります。
きっかけ:
絶対に触りたくない怖いものは何ですか?
同年の1925年生まれの人 参考
- 小説家 三島由紀夫 1925-1970
- 絵本作家 エドワード・ゴーリー 1925-2000 アメリカ
- 作曲家 ポール・モーリア 1925-2006 フランス
- 指導者 マルコムX 1925-1965 アメリカ
- デザイナー ローラ・アシュレイ 1925-1985 イギリス
- ブルースギタリスト B・B・キング 1925-2015 アメリカ
- 元英国首相 マーガレット・サッチャー 1925-2013 イギリス
スティーブン・ソダーバーグ監督の映画作品
1963年1月14日 職業:映画監督・脚本家・プロデューサー
出身:アメリカ
代表作:
- 『オーシャンズ』シリーズ
- 『エリン・ブロコビッチ』
- 『チェ』シリーズ
- 『マジック・マイク』
- 『恋するリベラーチェ』
同年の1963年生まれの人 参考
- 映画監督
- スティーブン・ソダーバーグ 米
- 岩井俊二
- ミシェル・ゴンドリー 仏
- アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ メキシコ
- 俳優
- 片桐はいり
- ヘレン・ハント
- 麻生祐未
- 腹話術師 いっこく堂
- 俳優
- 歌手
- ホイットニー・ヒューストン 1963-2012
- 小林千絵
- アニメ監督 今敏 1963-2010
エミリー・ワトソン出演の映画作品
1967年1月14日 職業:俳優
出身:イングランド
代表作:
- 『奇跡の海』
- 『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』
- 『アンジェラの灰』
- 『パンチドランク・ラブ』
- 『レッド・ドラゴン』
- 『ウォーター・ホース』
- 『脳内ニューヨーク』
- 『博士と彼女のセオリー』
1月14日 今日は何の日?365日のきっかけ
どんと祭
仙台で有名なお祭りの1つです。「どんとまつり」だと思っていましが、「どんどさい」なんですね。
神社の境内に、お正月で使った飾りや角松が持ち込まれ、燃やし、炊き上げる火にあたることで。無病息災、家内安全などを願う日で、正月の送り行事です。
愛と希望と勇気の日
1959年1月14日、南極大陸で1年間置き去りにされたカラフト犬タロとジロの生存が確認されたことを記念した日です。
尖閣諸島開拓の日
1895年1月14日、尖閣諸島を日本領に編入する閣議決定を行ったことに因み、沖縄県石垣市が2010年12月に尖閣諸島開拓の日として制定しました。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、1月14日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!