9月8日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
アメリカに渡ったドヴォルザークの『新世界』
ドヴォルザークの曲で日本人にとって馴染み深いメロディーは、童謡『家路』または『遠き山に日は落ちて』です。16:30か17:00になると、帰宅を促す曲として使われていることが多いです。
この童謡のもとの曲が、ドヴォルザーク作曲の交響曲第9番『新世界』です。ドヴォルザークの弟子で、作曲家のウィリアム・アームス・フィッシャーが、『新世界』の第二楽章ラルゴに作詞をつけ、『Goin’ Home』と名付けました。
それが日本語に訳され『家路』や『遠き山に日は落ちて』という童謡で親しまれています。ドヴォルザークは、アメリカの音楽院に招かれ、チェコからアメリカに渡り、3年の在米中に故郷のチェコを思いながら、作られた曲と言われています。
代表曲:
- 交響曲第6番 ニ長調 Op.60
- 交響曲第7番 ニ短調 Op.70
- 交響曲第8番 ト長調 Op.88
- 交響曲第9番 ホ短調 Op.95 「新世界」
- ユーモレスク7番 変ト長調
- 「スラヴ舞曲」 第2集 Op.72
ユーモレスクは軽やか、活発、気紛れな曲想が特徴的な楽曲を指します。
アントニン・ドヴォルザークはどんな人?
1841年9月8日~1904年5月1日 職業:作曲家
出身:チェコ
同時代の作曲家で年が近いのは、ロシアで活躍した1つ年上のチャイコフスキー、ノルウェーで活躍した2つ年下のグリーグです。
ドヴォルザークの父親は肉屋と宿屋を営んでおり、ツィター演奏を趣味にしており、トランペットの名手であった伯父とともに、村で知られているような人物でした。アントニンも9歳のときにアマチュア楽団のヴァイオリン奏者になるほど、幼少期から音楽に親しんでいました。
しかし経済的に余裕がなかったため、肉屋を継いでほしかった父親に対し、伯父は音楽を続けさせたいという願いから、経済支援をするという約束で弟夫婦を説得し、音楽学校に入学させます。
卒業後、楽団にヴィオラ奏者として入団し定期演奏会での演奏、合間に音楽教師などをして生計をたてました。楽団の指揮者としてベドルジハ・スメタナが着任し、直接指導をもらえる環境だったことは大きな影響と言えそうです。
最初に作曲をしたのは、コンクール用の応募作品だったようですが、本格的に作曲をするために12年在籍していた楽団を辞め、個人レッスンの先生、オーストリア政府の奨学金を得たりして、作曲を始めました。
その奨学金の審査員であったブラームスは、ドヴォルザークの作品を絶賛し、以来、親交があったそうです。
ドヴォルザークは鉄道好きで知られ、毎朝散歩するとき駅に行く、曲作りで息詰まると散歩に出かけて汽車を眺めてから帰ったそうです。それくらいだったら誰でもしそうですが、列車の番号や時刻表、運転手の名前も記憶していました。また鳩愛好家でもあり、別荘で鳩の飼育もしていたそうです。
きっかけ:
帰りたい故郷はどこですか?
同時代のチェコ出身者
同年の1841年生まれの人 参考
- 画家 ベルト・モリゾ 1841-1895 フランス
- パズル作家 サム・ロイド 1841-1911 アメリカ
- 画家 ルノワール 1841-1919 フランス
- 作曲家 ドヴォルザーク 1841-1904 チェコ
- 初代総理大臣 伊藤博文 1841-1909
堀江謙一ヨットマンとして現在も活躍海洋冒険の目標は100歳
堀江謙一さんはどんな人?
1938年9月8日 職業:ヨットマン
出身:日本(大阪府)
1962年に太平洋単独横断した冒険家、ヨットマンとして知られています。
きっかけは大学でヨット部に入り、ヨットの魅力にはまったことから始まります。堀江謙一さんのインタビュー記事はこちらがオススメです。
西宮から出発し、太平洋を横断してサンフランシスコに到着しますが、パスポートを持っていなかったため、密入国で身柄を拘束され強制送還される寸前のところ、当時の市長のユーモアが素晴らしいです。「コロンブスもパスポートは省略した」と言って名誉市民として受け入れて下さったそうです。
到着した翌日に、地元の新聞に堀江さんのことが掲載されましたが、そのときに書いてあったのが、下記です。
23歳の日本の青年が19フィートのヨットで94日間を要してサンフランシスコへ日曜の午後到着した。青年はサンフランシスコに到着した時に3つのものを持っていなかった。ノーパスポート、ノーイングリッシュ、ノーマネー。
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2017年8月、76歳の男性が単独でヨットで世界一周をしたという記事がありました。男性は40代からヨットを始めたそうです。堀江謙一さんと同世代なので影響があったのかなと思われます。
8月30日が冒険の日でもあり、1989年に堀江謙一さんが世界最小(全長2.8m)のヨットで太平洋横断を達成した日でもあります。その日を目指して帰ってきたのかなというのは勝手な想像です。
食料が足りなくなり、インド洋のマグロを釣って食べていたそうですが、新鮮で美味しいのではないでしょうか。
堀江さんもインタビューのなかでお話していましたが、「ヨットは見方によっては、おじんスポーツ」というように、リタイヤしてからヨットを始めて、太平洋横断や世界一周の挑戦をしている方がいらっしゃるようです。
きっかけ:
ヨットの魅力を体感してみませんか?
セーリングが体験できる場所をお探しの方はこちら。
http://www.asoview.com/act/yacht/kantou/
体感する方法も色々あると思います。映画を見て疑似体験も出来ます。
ヨットに関する映画
- 『メイデントリップ:世界を旅した14才』
- 『オール・イズ・ロスト ~最後の手紙~』
- 『ターニング・タイド 希望の海』
アマゾンでポチれば、ヨットも購入できるのがすごいです。下のボタンのクリックしても、買い物カゴには入らないので、ご安心ください。
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同年の1938年生まれの人たち 参考
- 映画監督 大林信彦 1938-
- プロレスラー ジャイアント馬場 1938-1999
- 漫画家 石ノ森章太郎 1938-1998
- 漫画家 松本零士 1938-
- ファッションデザイナー 三宅一生 1938-
- 漫画家 ジャン・ジロー 1938-2012
- デザイナー 石岡瑛子 1938-2012
- 化学者 野依良治 1938-
- ヨット冒険家 堀江謙一 1938-
- 写真家 森山大道 1938-
9月8日今日は何の日?365日のきっかけ
国際識字デー(International Literacy Day)
1965年の9月8日、イランで開催された世界文相会議でイランの当時の国王、パーレビ国王が軍事費の一部を識字教育に回すことを提案したことを記念してユネスコが制定した国際デーの一つです。
識字は「文字の読み書きができる」という意味ですが、世界には読み書きできない人が、およそ8億人、5人1人が該当し、そのうちの2/3は女性です。
日本人が英語を勉強をしても話せないのと違い、母国語の読み書きを習えない人の割合が日本の人口のおそよ8倍です。
今、ユネスコでは寺子屋運動を推進しています。何故「寺子屋運動」なのか?寺子屋は江戸時代に普及した、読み書きが習えるところです。江戸時代の日本の識字率は50%を越えており、世界規模で見ても高かったのではないかと言われています。
寺子屋の先生は、何かしらの本職をもちボランティアで寺子屋に来る子供たちに教えていた、学費は各家庭の経済状況に応じ払っていたようですが、現物(野菜など)を支給ということもあったのではないかと思われます。
識字の問題は発展途上国における教育問題とは言えず、日本においても不登校や格差問題にもつながります。得意なことを誰かに教える人がどんどん増えれば、解決できることも多いのではないでしょうか。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、9月8日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!