5月18日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
画鬼!河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)と弟子
1831年5月18日~1889年4月26日 職業:絵師
出身:日本(茨城県)
江戸時代末期の混乱期に、河鍋家の次男として生まれました。
暁斎の幼少期の名前は周三郎、絵が描くことが好きで、6歳のころには浮世絵師の歌川国芳に入門するために上京します。
そこで師匠から「形態を注意深く観察する」という指導を受け、実践するために、町を歩き、気になったものを写生するという方法で、絵を描く習慣をつけていたようです。
師匠の歌川国芳の素行が、息子に悪影響を与えるのではないかと心配した父親に勧められ、9歳ころに狩野派の絵師に再入門します。師匠は周三郎の画才を高く評価し、「画鬼」と呼んだそうです。しかし、師匠が病で倒れ、師匠の恩師である狩野家の当主に預けられます。
浮世絵に始まり、狩野派、土佐派、琳派など、日本古来の画風を学び、26歳のときに絵師として独立します。錦絵から、戯画、風刺画まで幅広く描けたので、すぐに人気の作家になります。
大政奉還で江戸時代が終結し、明治元年になると母親と甥(亡くなった兄の息子)とともに、静岡に渡ります。
明治3年ころに上野で開催された書画会で、政府の役人を批判する風刺画を描いたことで捕まってしまいます。絵師特有の反骨精神というよりも、描きたいものを欲求に従っている純粋なタイプだと思います。翌年には放免されます。
このころから「暁斎」と名乗るようになったと言われています。
また、幕末期から絵日記を描き始め、亡くなるまでのおよそ20年、日常のささいな出来ごと、お天気のこと、お金のやりくり、画材のことなど記録として書き残したそうです。特にお天気については、明治14年くらいから記録として残っていますが、それより以前の記録についてはレアで、貴重な資料の一つでもあります。
https://pin.it/sqw3b6i36muyah
暁斎の弟子には、建築家のジョサイア・コンドルがいたことは一般的に知られていますが、それ以外にも、実子の暁雲(息子)や暁翠(娘)他、十数人の弟子がいました。
特に暁翠の画力は優れており、17歳で絵画展に出品するほどの実力がありました。現在の女子美術大学の創設期に教師を務めたほか、本の挿絵などを幅広い活動をしていましたが、結婚・出産を機にその活動は徐々に少なくなっていき、絵を趣味とする人に個人レッスンをすることが活動の主体だったようです。
http://kyosai-museum.jp/hp/top_page.htm
同時代の人 参考
- 思想家 吉田松陰 1830-1859
- 絵師 河鍋暁斎 1831-1889
- 旅行家 イザベラ・バード 1831-1904
- 画家 エドゥアール・マネ 1832-1883 仏
- 作家 ルイス・キャロル 1832-1898 英
- 小説家 ルイーザ・メイ・オルコット 1832-1888 米
- 技師 ギュスターヴ・エッフェル 1832-1923 仏
鬼才!南方熊楠はコレクター?記録と収集の達人
授業で習ったことがある、聞いた記憶はあるのに思い出せない…もうちょっとで出てきそうなのに…よくありますよね?
ドイツの心理学者、ヘルマン・エビングハウスが発表した「忘却曲線」は、記憶したものがどのくらい頭に残っているのか?再び思い出すまでに必要な時間の割合をグラフにしました。忘却曲線という名前から、〇分後には〇%忘れると思いがちですが、そうではないようです。
例. 教科書1ページを覚えるのに10分かかった
20分後に再び教科書を読んで思い出すのに4分かかった、6分節約することができた
→6分÷10分=0.6=60%
1時間後に再び教科書を読んで思い出すのに6分かかった、4分節約することができた
→4分÷10分=0.4=40%
- 20分後には58%の節約率であった ※60%で計算
- 1時間後には44%の節約率であった ※40%で計算
- 9時間後には36%
- 1日後には33%
- 2日後には28%
- 6日後には25%
- 31日後には21%
20分後には58%忘れるというデータだと思っていたほうが、気が楽ですが…節約率が高いほど時間がかからないということです。
その日中に復習するのは理にかなった方法で、テストの前日に一夜漬けで一気にやろうとすると、時間が経っているので、思い出すまでにより時間がかかるというわけです。
南方熊楠の学歴は中学卒業、高校・大学中退、職歴なしという異色な経歴の持ち主ですが、日本の学者のなかでも、天才と名高い人です。
14年間に渡り、アメリカとイギリスに留学、語学の才にも恵まれ、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語他、10以上の言語に通じていたと言われています。
天才の語学の習得方法は、単語や文法は本を読みインプット、留学した際に日常生活で聞く言葉を真似して、実際に話してみるというアウトプット、意外とシンプルでした。
天才であっても、エビングハウスの忘却曲線と同じで、覚えてすぐに実践する(復習する)ことは、習得のヒントのようです。
脳の特異性や得意・不得意の個人差は多少あるとは思いますが、復習する=学習すると考えるよりも、すぐに行動すると考えれば、自分なりの復習ができるのかもしれません。
南方熊楠(みなかた くまぐす)はどんな人?
1867年5月18日~1941年12月29日 職業:博物学者・生物学者・民俗学者
出身:日本(和歌山県)
和歌山で金物商を営む家の次男坊として生まれました。少年時代から、一度目にしたものは、写真のように記憶することができたため、友人宅にあった百科事典を見て覚えて、自宅で書き写したという話があります。
16歳 大学予備門に受験するために東京の学校に入学、上京しました。この時期に、植物学者のバークレイが菌類を6000種集めたことを知り、それ以上の記録を作ろうと闘志を燃やし、菌類採集のために色々なところに足を運びました。
熊楠が菌類採集に夢中になっていたころ、父親は酒造会社を創業しました。
アメリカに渡った!
18歳 学業はそっちのけだったので、中間試験で落第し、和歌山の実家に戻ります。再受験することもできたと思いますが、アメリカに渡り、ミシガン州立大学に入学します。しかし、飲酒が禁止されていた寄宿舎で規則に反して飲酒したことにより、退学します。
お酒と甘いものが大好きで、特に好きなのはアンパンだったそうです。飲酒禁止なんてありえなかったんでしょうね…
学校を退学してもマイペースで、植物の観察をしたり、読書をしたりして、時間をつぶしていたようですが、生活することができないので、フロリダに移り、食品店に住み込みで働きながら、採集を続け、科学雑誌「ネイチャー」に発表しました。採集はアメリカにとどまらず、採集のためにキューバ旅行にでています。26歳のときにイギリスに渡ります。
イギリスに渡り、大英博物館にて事件
知人の紹介で大英博物館の図書館の出入りが自由にできたので、「ネイチャー」に論文を寄稿しました。時代的に東洋人が同じ空間にいることをよく思わない人が、熊楠を罵ったり、悪態をついたそうです。
自分に対する罵りは無視することが出来ても、日本に対する侮辱は聞き流すことが出来ず、男性の顔面を頭突き、鼻血がでて流血騒動、2か月、大英博物館入館禁止処分を受けます。
一年後、同じような事件を起こし、再び大英博物館入館禁止処分を受けてしまいます。研究する場を失った熊楠は、イギリスの大学で新たに開設される日本学科の先生になるという方法もありましたが、時期が悪く、予算が縮小されてしまった関係で開設さなかったので、帰国します。
帰国後の暮らし
19歳でアメリカに渡ることを決意し、20歳でアメリカに渡ってから14年、34歳になった熊楠の両親はすでに他界しており、弟が経営する南方酒造に身を寄せながら、採集を続けます。
集めた標本のなかで、粘菌類の標本を昭和天皇に献上する際に、キャラメルの空き箱に入れたという話が有名です。それを見た人たちはギョッとして、ざわついたようですが、昭和天皇はあまり気になさらず、すごく印象に残ったそうです。(献上されるものは、大抵、立派な箱に入っているので)
39歳で結婚し、二児の父親でしたが、生涯定職に就くことなく、収集と環境保護の重要性を説き、エコロジストとして生きました。
身内が酒造を経営しており、頼れる人が身近にいたことも影響していると思いますが、家計のやりくりには無関心でした。高い本を購入するときには、さすがに気が引けたのか、ニラの味噌汁だけでいいと家計を気遣うこともあったようですが、好物でもありました。
熊楠の奇人・天才ぶりはよく知られていますが、近年は、研究者というよりも、コレクターとか記録マニア、情報提供者として評価されています。
きっかけ:
その日中に復習してみませんか?
和歌山市に本社を置く酒造会社 世界一統の前身の会社の創業者は熊楠の父親です。
http://www.sekaiitto.co.jp/index.html
集めたという点で類似している5歳年上の牧野富太郎(1862-1957)も面白いです。
同年の1867年生まれの人 参考
- 作家 ローラ・インガルス・ワイルダー 1867-1957 米
- 小説家 夏目漱石 1867-1916
- ライト兄弟の兄 ウィルパー・ライト 1867-1912
- 博物学者 南方熊楠 1867-1941
- 建築家 フランク・ロイド・ライト 1867-1959
- 小説家 幸田露伴 1867-1947
- 画家 ピエール・ボナール 1867-1947 仏
- 俳人 正岡子規 1867-1902
- 物理学者 マリ・キュリー 1867-1934 ポーランド
バウハウスの創立者 ヴァルター・グロピウス
1883年5月18日~1969年7月5日 職業:建築家
出身:ドイツ
バウハウスは1919年にヴァルター・グロピウスによって創設されたドイツの美術学校です。
建築家であったグロピウスは「形式は機能に従う=機能性に優れたものはカタチも美しい」という理念を掲げ、初代校長を務めた人物です。
グロピウス自身が学校を立ち上げたかったわけではなく、知人の建築家でベルギー人のアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデが、アーツ・クラフト運動に影響を受けて、工芸学校を作ろうとしました。
しかし、第一次世界大戦が勃発し、それが叶わなくなってしまったので、グロピウスに託しました。ですので、バウハウスの起源は、ヴェルデが始めた工芸ゼミが始まりです。
アーツ・クラフト運動
産業革命により大量の粗悪な工業製品が溢れかえったイギリスで、自然の美しさや、装飾的なものを追い求めたウィリアム・モリスほかが始めた、美術運動です。
社会全体に浸透していたかというと、一部の意識高い系の富裕層だけが楽しんでいたようなものかもしれませんが、この運動はのちのアートやデザインに影響しています。
バウハウスで指導した指導陣のなかに、下記の人たちがいました。指導者も生徒も、近代のアートやデザインの礎を築き、その後のデザイナーに大きな影響を与えました。
バウハウス関係者
- ワシリー・カンディンスキー 1866-1944 露
- パウル・クレー 1879-1940
- ヴァルター・グロピウス 1883-1969 独
- オスカー・シュレンマー 1888-1943 独
- ヨハネス・イッテン 1888-1967 スイス
- マルセル・ブロイヤー 1902-1981 ハンガリー
同年の1883年生まれの人 参考
- 小説家 アレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイ 1883-1945
- 小説家 志賀直哉 1883-1971
- 彫刻家 高村光太郎 1883-1956
- 美術家 北大路魯山人 1883-1959
- バウハウス創始者 グロピウス 1883-1969
- 漢学者 諸橋轍次 1883-1982
- 政治家 ベニート・ムッソリーニ 1883-1945
- ファッションデザイナー ココ・シャネル 1883-1971
- 画家 マリー・ローランサン 1883-1956
- 画家 モーリス・ユトリロ 1883-1955
第2の熊楠? 熊楠賞の加藤九祚(かとうきゅうぞう)の生涯
1922年5月18日~2016年9月11日 職業:人文学者
出身:日本(山口県)
22歳のときに満州に出征し、満州で敗戦を迎えますが、捕虜としてシベリアにおよそ5年、抑留されてしまいます。
その長い期間、捕虜となった日本兵は絶望的な毎日を過ごすなか、加藤さんはせっかくだから、「ロシア語を勉強しよう!」と1年という短い間に、独学でマスターします。流暢だったので、「スパイでは?」と疑われるほどだったそうです。
1950年に帰国後、31歳で大学を卒業し、出版社で働きながら、ロシア語の翻訳をはじめ、ユーラシア大陸の考古学の研究をしました。
ユーラシア大陸から、シルクロードに興味を持ち、定年を迎えた60歳からは、本格的に遺跡の調査を行い、65歳で発掘デビューを果たします。
ウズベキスタンの発掘調査中に倒れ、94歳で亡くなりました。
人生100年時代、第2の人生として、「発掘をしながら、ぱったりと死にたい」という希望を叶えた加藤さんの好奇心や生き方が興味深いです。
1999年に南方熊楠賞受賞しています。
同じくシベリアに抑留されていた画家の香月泰男さん
同年の1922年生まれの人 参考
- 漫画家 水木しげる 1922-2015
- 画家 山下清 1922-1971
- 人文学者 加藤九ぞう 1922-2016
- ジャズ演奏家 チャールズ・ミンガス 1922-1979
- 映画監督 アラン・レネ 1922-2014
- 漫画家 チャールズ・M・シュルツ 1922-2000
- 画家 ルシアン・フロイド 1922-2011
東洋言語学者 ニコライ・ネフスキー
1892年3月1日~1937年11月24日 職業:東洋言語学者・民俗学者
出身:ロシア
加藤さんが、ロシア語を学んでいるときに興味をもったのが、東洋学者のニコライ・ネフスキーでした。
ネフスキーは1915年に日本に留学し、日本の大学で教鞭をとっていました。
滞在している間、民俗学者の柳田國男や国文学者の折口信夫と親交があったそうです。(柳田國男は南方熊楠とも交友がありました)
来日してから10年後、日本女性と結婚し、1929年に祖国に帰国しましたが、スパイ容疑をかけられ、反逆罪に問われ、夫婦ともに逮捕、銃殺されました。
同年の1892年生まれの人 参考
- 詩人 堀口大学 1892-1981
- 小説家 芥川龍之介 1892-1927
- 言語学者 ニコライ・ネフスキー 1892-1937 露
- 100歳の双子の姉妹 きんさん・ぎんさん 1892-2000・1892-2001
- 画家 オットー・ネーベル 1892-1973 独
- 作家 J・R・R・トールキン 1892-1973 英
チョウ・ユンファ出演の映画作品
1955年5月18日 職業:俳優
出身:香港
代表作:
- 『グリーン・デスティニー』
- 『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』
- 『誰かがあなたを愛してる』
- 『アンナと王様』
5月18日 今日は何の日?365日のきっかけ
国際博物館の日
国際博物館会議(ICOM)が1977年に制定しました。
18リットル缶の日
全国18リットル缶工業組合連合会が制定しました。「18リットル缶」とはかつて一斗缶と呼ばれていた物のことで、戦後の一時期は「5ガロン缶」と呼ばれ、後に「18リットル缶」が正式名称となったことから、5月18日を記念日としています。
ファイバーの日
語呂合わせ、5(ファ)1(イ)8(バー)、食物繊維に関する情報提供を行う学術団体「ファイバーアカデミア」が制定しました。
ことばの日
語呂合わせで、5(こ)1(と)8(ば)の日です。
ことば=「言葉」という漢字が使われているのは何故?
日本最古の和歌集である『万葉集』では、ことばを表す語として、言葉、言羽、辞の三種類がありました。ことばの内容によって使い分けていたのであれば、「ば」は、「馬?破?波?場?歯?…」という可能性もありましたよね?
『万葉集』以前は、言語を表す語は、「言」が一般的で、「ことば」という語は存在していなかったようですが、出来事の事と言が同じ音であるため、区別をつけるため、口先だけの軽い意味を持たす、言+端で「言端」が定着しつつあった時代もあり、「葉」という漢字があてられるようになったのは、当時の人からみたら、意外なことなのかもしれません。
複数あるなかで「言葉」が残った理由は、万葉集のあとの時代に登場する古今和歌集の冒頭に紀貫之が書いたとされるうたの一説から、言葉という漢字が親しまれるようになったとも言われています。
やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける
「人の心を種」なんて、ポエマー紀貫之にキュンときませんか? 私は恋に落ちました。
語源の由来は複数あり、どれが正しいということは正確には言えないようです。複数ある説の一つくらいに思ってください。もう一つ面白いと思ったものを紹介します。漢字の成り立ちが関係しているので、成り立ちの話をさきにします。
「葉」は、クサ冠と枼で構成されており、「世」の部分は、新芽がでてくる木の形を表した象形文字、その上にクサ冠をつけて、葉全体では形成文字です。
葉と類似する「笹」の字を見ても分かるように、竹冠に「世」で、タケの葉がでている様子を表しています。枼の字は、一枚のはっぱ(薄っぺらい)様子を表し、魚辺をつけると鰈(カレイ)、虫辺をつけて蝶(チョウ)、口辺をつけて喋(しゃべる)、という会意文字になります。
また「世」一文字を見ると、十が3つ重なっているように見えることから、長いときの流れ(10×3=30年)を表し、親が子に引き継ぐ世代を表しています。人の一生を30年とカウントしていた時代から考えると、人類の平均寿命が、半世紀以上に延びていることがよく分かります。
紀貫之は古今和歌集を編纂した一人ですが、それは『万葉集』で選ばれなかったものなどを含む編纂なので、『万葉集』の名前の由来のほうが、影響しているとも考えられています。
紙が貴重な時代、紙の代わりに葉を使っていたために沢山の(万)の葉を集めたという説、『古事記』の序文に書かれた「後葉に流へむと欲ふ」の葉は「世」を指し、後世に伝えられる=「万世にまで伝えられる歌集」という意味の「万葉集」と名付けられた説、これも複数あります。
漢字、間違えちゃったの?または葉と世の区別がほぼなかった時代があったというわけです。面白いですよね?
これで閃いたのは、英語の言葉にあたるwordと世界(世)にあたるworldの綴りが似ていることです。worldから、word抜いたらl(エル)しか残りません。
これは偶然で、日本語においては象形文字なので、まったく関連はありませんが、言葉が世界を構成するための大きな要素で、どんな方法でも言葉が話せるのはすごいことです。
その言葉がどこからくるのか?紀貫之の言葉を借りると、「人の心が種」となり、根がでて、双葉がでて、(生まれてすぐの産声が双葉ですかね)枝が出て葉が出る、何かしらの植物が体のなかに存在するというわけです。
どんな植物なのか?それは個性でもあります。どんな植物であってもいいけれど、心ない「ことば」は「言葉」なのか、それはもしかしたら瞬時に「言刃」や「言罵」に変わってしまっているのかもしれません。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、5月18日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!