6月8日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
シューマン妻クララと大恋愛の末の格差結婚!?
シューマンは19世紀前半にドイツで活躍したロマン派の作曲家です。シューマンは、ベートーヴェンやシューベルトの後継者として位置づけられていました。
同時代の音楽家 参考
- ヨハン・ブルグミューラー 1806-1874 ドイツ
- メンデルスゾーン(1809-1847)ドイツ
- シューマン(1810-1856)ドイツ
- ショパン 1810-1849 ポーランド
- リスト 1811-1886 オーストリア領ハンガリー
ロベルト・シューマンはどんな人?
1810年6月8日〜1856年7月29日 職業:作曲家
出身:ドイツ
代表曲:
- 『ピアノ協奏曲 イ短調』
- 『交響曲第4番 ニ短調 Op.120』→クララの22歳の誕生日にプレゼントした曲
- 『子供の情景』~トロイメライ~
- 『謝肉祭』
父親は出版業を仕事にしており、比較的裕福な家の5人兄弟の末っ子として生まれました。母親がピアノ好きだったことから、幼少の頃から音楽に触れる機会が多く、7,8歳のときには、ピアノで小曲を作曲していたと言われています。
息子の音楽的才能を認め、父親は惜しみない協力をしました。シューマンは一方で父親と同じく文学にも興味があり、父親の編集の手伝いをしながら、古典文学に親しみ、詩や戯曲を書いていたようです。
母親のススメもあって、大学は音楽大学ではなく法学科に進みましたが、自分の希望ではなく、法学への興味もなかったので、講義に出席はしていなかったようです。
大学には行っていなかったようですが、音楽好きの学生と一緒に、室内楽に熱中します。また、ピアノの練習にも熱心で、高名なピアニスト教師から個人レッスンを受けます。
演奏家として食べていけるか分からない音楽家への道に進んでほしくないという母親は、シューマンが演奏家としてやっていけるかどうかを見極めてほしいという手紙を先生に送ります。
先生は音楽家になれるかどうかは分からないが、無理やり法律家にするのは難しいのでは?という回答をし、とりあえず弟子として受け入れ、シューマンは先生宅に住み込み、レッスンを受けることになります。この頃から先生の娘でシューマンより9つ年下のクララとは、兄妹のように親しくなります。
個人レッスンはとても厳しく、もとから指に問題があったこともあり、指が上手く動かない違和感に、ピアニストの道を断念します。絶望したシューマンは、聖職者になろうと考えた時期もあったようですが、22歳の頃には作曲家としてやっていく決意したようです。
翌年、兄と兄嫁が相次いで亡くなり、精神的に不安定な状態が始まったと言われています。
恩師の娘、クララと恋愛
24歳になったシューマンは、ピアノの恩師のところに習いにきた女性と恋愛関係になり、すぐに婚約しますが、女性が家庭の事情が複雑だったために、打ち明けられず、数週間後には婚約を解消します。シューマンを励ましていたクララと恋愛関係になります。
そのことを知ったクララの父親(シューマンにとってはピアノの恩師)は、2人を引き離そうと、クララを別の場所に移り住まわせましたが、シューマンの恋心は一層燃え上がり、クララに会いに行くようになります。
クララの父親は激怒し、シューマンを罵り、クララに近づかないように警告をだし、2人が会えないように妨害をしました。反対する理由として、クララを一流のピアニストとして育てたので、音楽家として食べていけるか分からない、シューマンのもとに嫁がせるのは不安だった、クララとお付き合いする前に、自分の弟子と婚約していたなど、心情は色々あるのでしょう…
クララの方が1枚上手で、シューマンと別れると見せかけて、ピアニストとして演奏旅行が多かったため、父親の監視をかいくぐり、連絡を取り続けました。
シューマンも、クララの父親が反対するのは、大学を出ていないからかもしれないと考え、大学で哲学の学位を取得しています。2人の関係は許してもらえず、クララは家を追い出されてしまいます。クララの父親が名誉棄損でシューマンを訴え、また反対にシューマンはクララの父親を別件で訴え、この戦いがしばらく続き泥沼劇です。
30歳 クララの父親は折れませんでしたが、法的にクララとの婚姻が認められ、2人は結婚しました。2人は8人の子どもに恵まれましたが、シューマンの収入だけでは足りず、クララは家事と子育てをしながら、ピアニストとして演奏旅行に行かなければならなかったようです。
シューマンが子育てと家事に積極的だったかどうかは分かりませんが、ピアニストとして名声があったクララに対し、シューマンの知名度は低く、卑屈に感じていた可能性はあり、シューマンは精神的に不安定な状態が続き、耳鳴りなどに悩まされていたようです。
そんなときに、シューマン家に当時、20歳のブラームスが訪ねてきました。この出会いは、若き日のブラームスにとっても、シューマン家にとっても、お互いに救われた部分があったようです。
精神不安定な夫シューマンの世話、子育て、家事、演奏旅行で忙しかったクララにとって、ブラームスの存在は心強く、2人は親密な関係だったのではないかと言われています。
44歳 シューマンの精神状態はピークに達し、ライン川で投身自殺を図ります。救助され、そのまま精神病院に入院、2年後の46歳でこの世を去りました。
夫亡き後、クララはピアニストとして、子どもたちを養い、シューマンの作品を弾き、人々に知ってもらえるよう尽力しました。
8人の子どもたちのうち、1人は早死にしていますが、長女は音楽教師、次女、三女は結婚、次男は商店で働き、三男は銀行員をしながら趣味で作曲、四女は音楽教師の道を進みました。次女、三女以外は独身で、次女三女のところにも子どもがいたかどうかは分からないので、シューマンの末裔はいないかもしれません。
きっかけ:
今日から日記を始めてみませんか?
すでに日記をつけている人は昨年の今日の日記を見直してみませんか?
シューマンとクララは幼い頃から日記をつけていました。結婚をしたのを機に、日記を一冊にし、お互いに日々の出来事を報告し、読み合ったり、2人で反省たりコメントをつけ合ったりしていました。当の本人たちの気持ちは分かりませんが、周りからは理想的なカップルと言われていたそうです。
同時代の人 参考
- 16代大統領 エイブラハム・リンカーン 1809-1865 米
- 生物学者 チャールズ・ダーウィン 1809-1882 英
- 小説家 ニコライ・ゴーゴリ 1809-1852 露
- 11代薩摩藩主 島津斉彬 1809-1858
- 作曲家 ショパン 1810-1849 ポーランド
- 作曲家 シューマン 1810-1856 独
ジョン・エヴァレット・ミレイ代表作品『オフィーリア』
作曲家、シューマンと生きた時代が被ります。年齢はミレイの方が19歳年下です。
ミレイは19世紀のイギリスで活躍した画家です。
美術史のカテゴライズは、象徴主義(ラファエル前派)です。
同時代の画家 参考
- ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ 1824-1898 仏
- ジャン・レオン・ジェローム 1824-1904 仏
- ミレイ 1829-1896 英
- コールドロン 1833-1898 仏→英
- モリス 1834-1896 英
ジョン・エヴァレット・ミレイはどんな人?
1829年6月8日~1896年8月13日 職業:画家
出身:イングランド
代表作:
- 『オフィーリア』 →ミレイ22歳の頃の作品
- 『盲目の少女』
- 『マリアナ』
- 『花嫁の付き添い』
- 『最初のお説教』
https://pin.it/5m7ojns4kphvry
ラファエル前派を代表する画家で創設者であることは変わりないのですが、影響を受けたのも、ラファエル前派から離れるきっかけになったのも、ある人物が深くかかわっています。
美術評論家で思想家であったジョン・ラスキンです。ラファエル前派を支持し、スポンサーでもありました。同時代の美術運動「アーツアンドクラフツ運動」を推進したウィリアム・モリスが影響を受けたのもラスキンです。
ラスキンについてはここでは触れませんが、ラスキンの妻、エフィー・グレイは9歳年上のラスキンとは不仲で、1歳年下のミレイと恋仲になり、ラスキンと離婚しミレイと再婚しました。この三角関係は、当時大スキャンダルで、芝居やオペラやドラマの題材にもなっています。
「エフィー・グレイ」を題材にした本もあります。
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離婚後もラスキンはミレイを支持していましたが、ミレイを寵愛していたヴィクトリア王女は、この事件を機にミレイに肖像画を依頼しなくなったのと、作品がアカデミーで不評だったのを機に、ラスキンは世間と同じようにミレイを批判しました。
27歳 エフィー・グレイと結婚、第一子が誕生。
その後も2人の間には毎年1人の割合で、7人生まれたので、世間の評価で収入が左右してしまうのはかなり痛手でした。そこで厳格な理論をともなうラファエル前派からは離脱し、大衆に好まれる絵を模索し、出版物の挿絵などを描くようになったので、ラファエル前派にいたのは、そんなに長くはありませんでした。
振り出しに戻り…
ミレイの父親は地方の馬具製造販売業者でしたが、幼少の頃から絵の才能があったミレイに、ちゃんとした教育を受けさせるために、ロンドンに移住し、王室の美術学校に通わせました。誰でも入れるわけではなく、11歳のときに、史上最年少の記録をもって入学を許可されているので、ミレイは美術界で期待されていた人物だったはずです。
そこでの美術教育に不満をもったミレイは、同級生たちと一緒に「ラファエル前派」を結成します。しかしマスコミが「ラファエル前派」を非難、そこで擁護する評論をだしたのがラスキンでした。ミレイは感激しラスキンに礼状をだし、2人は交流するようになりました。
そして、ラスキン夫妻とミレイはスコットランドに一緒に旅行に行きました。冒頭に戻り、エフィー・グレイとミレイが恋仲に発展してしまいました。
ミレイはその後、ラファエル前派から脱却し、万人受けする作品を描き、絵が石鹸の広告に使用されたのを機に肖像画の仕事が増えました。世間からの評価が高くなり、準男爵の地位まで出世し、王室アカデミーの会長に選出されますが、その翌年に他界、翌年エフィー・グレイも亡くなっています。とても仲のいい夫婦だったんでしょうね。
きっかけ:
夫婦円満の秘訣は何だと思いますか?
同時代の人 参考
- 小説家 ジュール・ヴェルヌ 1828-1905 フランス
- 劇作家 ヘンリック・イプセン 1828-1906 ノルウェー
- 小説家 レフ・トルストイ 1828-1910 ロシア
- リーヴァイス創業者 リーヴァイ・ストラウス 1829-1902 独
- 画家 ミレイ 1829-1896 英
- 思想家 吉田松陰 1830-1859
井上涼さんのアニメーション『びじゅチューン』シリーズの「オフィーリア、まだまだ」はミレイの『オフィーリア』を題材にしています。シリーズのなかで、ベスト3に入るくらい好きなアニメーションです。
イワン・クラムスコイ
1837年6月8日~1887年3月24日 職業:画家・美術評論家
出身:ロシア
寄生虫研究者 宮入慶之助発見!ミヤイリガイ
1865年6月8日~1946年4月6日 職業:寄生虫学者・衛生学者
出身:日本(長野県)
日本住血吸虫という寄生虫の中間宿主である巻貝、ミヤイリガイを発見した人物です。
小惑星宮入は(14902 Miyairi)、宮入慶之助に因み、孫で天文学者である村山定男によってつけられました。
きっかけ:
くっついて機能したり、動いたりするものを見つけみませんか?
一般的には寄生とは言わない、イヤホンやヘッドホンなどの付属品、アプリなどPCやスマホの本体がないと使えないものは沢山あります。
寄生虫と言うと気持ち悪いもののように思えたり、恐ろしいものですが、寄生するのは虫だけではありません。植物や菌もあります。
よく映画のワンシーンででてくる、クリスマスにヤドリギの下でキスをすると永遠に結ばれる?ホニョララのヤドリギは、寄生植物です。ヤドリギは解毒剤の薬草として使われたりするため、幸運の象徴であったりします。
また漢方薬や薬膳料理、中華料理の素材に使われる冬虫夏草は、幼虫に寄生するキノコです。
http://miyairikinenkan.com/
http://www.kiseichu.org/
同年の1865年生まれの人 参考
- 作曲家 カール・ニールセン 1865-1931 デンマーク
- 劇作家 ウィリアム・バトラー・イェイツ 1865-1939 アイルランド
- 画家 シュザンヌ・ヴァラドン 1865-1938 仏
- 作曲家 ポール・デゥカス 1865-1935 仏
- 作曲家 ジャン・シベリウス 1865-1957 フィンランド
- 作家 ラドヤード・キップリング 1865-1936 英
フランク・ロイド・ライトの建築 代表作品「落水荘」
1867年6月8日〜1959年4月9日 職業:建築家
出身:アメリカ
ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれる建築家です。
代表する建物:
- カウフマン邸=落水荘
- グッゲンハイム美術館
- 現 ヨドコウ迎賓館(1924年 兵庫県)
- 自由学園明日館(1926年 東京)
- 帝国ホテル(1967年 博物館明治村に移築)
同年の1867年生まれの人 参考
- 作家 ローラ・インガルス・ワイルダー 1867-1957 米
- 小説家 夏目漱石 1867-1916
- ライト兄弟の兄 ウィルパー・ライト 1867-1912
- 博物学者 南方熊楠 1867-1941
- 建築家 フランク・ロイド・ライト 1867-1959
- 小説家 幸田露伴 1867-1947
- 画家 ピエール・ボナール 1867-1947 仏
- 俳人 正岡子規 1867-1902
- 物理学者 マリ・キュリー 1867-1934 ポーランド
SF作家ロバート・F・ヤングの小説
1915年6月8日~1986年6月22日 職業:小説家・SF作家
出身:アメリカ
代表作:
- 『たんぽぽ娘』
- 『ジョナサンと宇宙クジラ』
- 『時をとめた少女』
- 『時が新しかったころ』
- 『宰相の二番目の娘』
ボズ・スキャッグスの代表曲
1944年6月8日 職業:ミュージシャン
出身:アメリカ
代表曲:
- 『JoJo』ジョジョ
- 『Breakdown Dead Ahead』
- 『You Can Have Me Anytime』
- 『Lowdown』ロウダウン
- 『We’re all alone』
カニエ・ウェスト
1977年6月8日 職業:ミュージシャン・ヒップホップMC
出身:アメリカ
6月8日 今日は何の日?365日のきっかけ
世界海洋デー
国際デーの一つです。1992年6月8日にリオデジャネイロで開かれた地球サミットでカナダが提案され、2009年に国連の国際デーとされました。
http://www.worldoceansday.jp/
世界脳腫瘍啓発デー
学校の安全確保・安全管理の日
2001年の附属池田小学校事件を受けて、大阪府教育委員会が2002年に制定しました。
大鳴門橋開通記念日
1985年のこの日に大鳴門橋が開通したことを記念した日です。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、6月8日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!