10月22日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
ピアノの魔術師リストはイケメンだったのでモテた!?
リストは19世紀に活躍した作曲家です。
同時代の音楽家で年齢が近いのは、1つ年上のショパン(ポーランド)、シューマン(独)、2つ年下のワーグナー(独)です。
フランツ・リストはどんな人?
1811年10月22日~1886年7月31日 職業:ピアニスト・作曲家
出身:(オーストリア帝国領)ハンガリー→没ドイツ
代表曲:
- 『愛の夢』
- 『ラ・カンパネラ』
- 『超絶技巧練習曲 S.139 第4番 ニ短調 「マゼッパ」』
- 『ハンガリー狂詩曲』
- 『コンソレーション [慰め] 第3番 変ニ長調』
幼少の頃から音楽の才能が開花し、10歳になる前には公開講演会を行っていました。パリ音楽院に入学しようとしますが、フランス国民ではないため、入学を拒否されたため、個人指導の先生に師事します。
父親が早くに亡くなり、15歳からピアノの教師として家計を支えました。
指が6本あるのではないか?と言われるほど超絶技巧の持ち主で、どんな曲でも所見で弾きこなすことができたので「ピアノの魔術師」と呼ばれていました。指6本はなかったようですが、幼少の頃から指を伸ばす練習をしていたようです。伸ばそうとすれば伸びるもんなんですね。
若い頃は端正なお顔立ちだったため、失神するくらい熱狂的な女性ファンがいたというエピソードがあります。
過激な演奏スタイルで知られ、途中でピアノの弦が切れてしまったり、演奏を聴いているリストのファンのなかには感激のあまりに失神、ご本人も頑張りすぎて、演奏中に失神してしまうこともありました。
多数の公演会を行っていたため、高額な報酬を得ていましたが、生活費以外は、寄付していました。お金の執着を感じさせないエピソードとして、指導者としては弟子に自分の真似をすることよりも、個性を重要視し探求することを勧める自由形式、無償で指導を行っていたようです。
きっかけ:
得意なことで人に教えたいことは何ですか?
「鐘」という言葉からイメージするものは何ですか?
カンパネラはイタリア語で、「鐘 かね」ベルを意味します。
フジコ・ヘミングさんは十八番である『ラ・カンパネラ』を弾く際は「壊れた鐘があってもいい」と話されていました。
私が「カンパネラ」でイメージするのはお花です。「カンパニュラメジューム」は、南ヨーロッパ原産のキキョウ科で、小さなベルのカタチをした青紫やピンクの花が鈴なりに咲きます。
同時代のハンガリー出身者参考
- ジャーナリスト ジョゼフ・ピューリツァー 1847-1911
同時代のオーストリア出身者参考
- 作曲家 ヨハン・シュトラウス一世 1804-1849
- 作曲家 リスト 1811-1886
- 菓子職人 フランツ・ザッハー 1816-1907
- 作曲家 フランツ・フォン・スッペ 1819-1985
- 作曲家 アントン・ブルックナー 1824-1896
- 作曲家 ヨハン・シュトラウス二世 1825-1899
- 皇后 エリーザベト 1837-1898 (生まれはドイツ)
- 医学者 カール・ランドシュタイナー 1868-1943
- 自動車工学者 フェルディナント・ポルシェ 1875-1951
- 詩人 ライナー・マリア・リルケ 1875-1926
- 画家 エゴン・シーレ 1890-1918
- 動物学者 コンラート・ローレンツ 1903-1989
- 映画監督 ビリー・ワイルダー 1906-2002
- 経済学者 ピーター・ドラッカー 1909-2005
同時代のドイツ出身者 参考
- 作曲家 ヨハン・ブルグミューラー 1806-1874
- 作曲家 メンデルスゾーン 1809-1847
- 作曲家 シューマン 1810-1856
- 作曲家 ワーグナー 1813-1883
- 経済学者 カール・マルクス 1818-1883
- 作曲家 ジャック・オッフェンバック 1819-1880
- 作曲家 ブラームス 1833-1897
同年の1811年生まれの人 参考
- 作曲家 フランツ・リスト 1811-1832 ハンガリー
- 発明家 アイザック・メリット・シンガー 1811-1875 米
神秘的な挿絵画家 エドマンド・デュラック
エドマンド・デュラックはどんな人?
1882年10月22日~1953年5月25日 職業:挿絵画家
出身:フランス
もともとは画家志望ではなく、大学で法律を学びますが、性に合わなかったためか、国立の高等美術学校の美術のクラスで学ぶようになります。奨学金をとりパリの美術学校でさらに学ぼうとしますが、学校が合わず3週間でやめてしまい、故郷に戻りました。
挿絵の仕事のためにロンドンに渡り、生涯ロンドンで過ごしたようです。戦前と戦後では仕事が異なり、戦前は豪華な挿絵本の絵を描いていますが、戦後は肖像画、新聞の風刺漫画などのイラスト、舞台衣装やセットなどの舞台芸術、チョコレートのパッケージや蔵書票などのデザインなど、多岐にわたり、活動しました。
エドマンド・デュラックの神秘的な絵は、透明水彩を使っているようです。原画を見てみたいです。
[amazon asin=”4837304400″ kw=”神秘なる挿絵画家 エドマンド・デュラック”]
きっかけ:
透明水彩で絵を描いてみませんか?
ちょっとピンぼけが特徴 ロバート・キャパの写真
1913年10月22日~1954年5月25日 職業:写真家
出身:(オーストリア帝国領)ハンガリー→アメリカ
本名はフリードマン・エンドレ・エルネーです。
戦場カメラマン、報道カメラマンとして活躍し、スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦(ノルマンディ上陸作戦)、第一次中東戦争、および第一次インドシナ戦争の5つの戦争を取材しています。
写真家として売れなかった時代に、語学堪能で知的な女性ゲルダ・タローと2人でブランディングをし「ロバート・キャパ」として、発表しました。簡単に言うと、架空の人物「ロバート・キャパ」を2人でプロモーションしながら、活動していた時期がありました。
名前が一躍知られるようになったのは、グラフ誌に掲載された『崩れ落ちる兵士』と呼ばれる写真です。
キャパの初期の写真には、ゲルダが撮ったものも含まれていて、『崩れ落ちる兵士』はゲルダが撮った写真である可能性が高く、実際に起きた出来事を撮ったのではなく、仕込みだったのではないかと言われています。
掲載について恋人だったゲルダに内緒にしていたことが、ゲルダが自分の名前で独立し活躍するきっかけだったようです。これに転じて、エルネーは一人でロバート・キャパの名前で活躍するようになりました。
きっかけ:
架空の人物をプロモーションしてみませんか?
小説家や画家、映画俳優や俳優と交友があり、イングリット・バーグマンと交際していたこともあります。バーグマンからプロポーズされて断ったというエピソード、キャパがプロポーズしたのはおそらくゲルダのみで、ゲルダが亡くなったあと、ホテルを転々とする仮住まいで、生涯独身を貫いています。
また、イングリット・バーグマンが出演した映画『誰がために鐘は鳴る』は、アーネスト・ヘミングウェイの同タイトルの長編小説を映画化したものです。スペインの内戦を舞台とした作品にキャパは自身が取材した体験を重ねたようです。バーグマンと映画との縁もあり、ヘミングウェイとの交友は生涯続いたようです。
[amazon asin=”4102100067″ kw=”誰がために鐘は鳴る〈上〉 (新潮文庫)”]
同時代のハンガリー出身者 参考
- 作曲家 バルトーク・ベーラ 1881-1945
- デザイナー マルセル・ブロイヤー 1902-1981
- 写真家 ロバート・キャパ 1913-1954
- 心理学者 ミハイ・チクセントミハイ 1934-
同年の1913年生まれの人 参考
- 挿絵画家 中原淳一 1913-1983
- 俳優 森繫久彌 1913-2009
- ファッションデザイナー 小篠綾子 1913-2006
- 児童文学作家 新実南吉 1913-1943
- 建築家 丹下健三 1913-2005
- 写真家 ロバート・キャパ ハンガリー 1913-1954
- 俳優 ヴィヴィアン・リー イギリス 1913-1967
- 小説家 アルベール・カミュ フランス 1913-1960
カトリーヌ・ドヌーヴ出演の映画作品
1943年10月22日 職業:俳優
出身:フランス
代表作:
- 『シェルブールの雨傘』
- 『ロシュフォールの恋人たち』
- 『ロバと王女』
- 『8人の女たち』
- 『しあわせの雨傘』
- 『神様メール』
スパイク・ジョーンズ監督の映画
1969年10月22日 職業:映画監督・脚本家・プロデューサー・俳優
出身:アメリカ
代表作:
- 『her/世界でひとつの彼女 her 』
- 『かいじゅうたちのいるところ』
- 『マルコヴィッチの穴』
俳優としても映画に出演されていますが、ミュージックビデオや企業のCM等々を数多く手掛けてらっしゃいます。
10月22日 今日は何の日?365日のきっかけ
平安遷都の日
「泣くよウグイス平安京」日本史の定番の語呂合わせです。
794年11月18日(延暦13年10月22日)桓武天皇が長岡京から山背国葛城郡宇太村の新京に移ったことに由来します。(同年11月8日に平安京と命名)平安遷都から1100年目を記念した明治28年から毎年、京都市では時代祭(10月22日~24日の3日間わたり)が行われています。
https://www.kyokanko.or.jp/jidai/index.html
パラシュートの日
1797年10月22日にフランスのアンドレ・ジャック・ガルヌランが、高度約2,400メートルから布製の傘のようなもので飛び降りたことに由来します。
パラシュートのアイデアが生まれたのは、ナポレオン戦争の際にイギリス軍に捕まり、オーストリア軍に引き渡され、3年間捕虜生活を送っていたときに、脱走する方法として妄想していたのがきっかけでした。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、10月22日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!