12月26日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
今日はどのように過ごしますか?
お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?
そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。
アルコール依存から絵を描いた モーリス・ユトリロ
9月23日はユトリロの母、シュザンヌ・ヴァラドンを紹介しました。
ヴァラドンは、モンマルトルの画家のモデルとして活躍していましたが、同棲していた、ロートレックに絵を褒められたことをきっかけに画家を目指しました。
沢山の人と交友があり、そのうちの一人との間に息子を授かります。それがユトリロです。
モーリス・ユトリロはどんな人?
1883年12月26日~1955年11月5日 職業:画家
出身:フランス
美術史では、エコール・ド・パリに分類されている画家です。
同時代の画家で年齢が近いのは、
- 同じ年のマリー・ローランサン(1883-1956) 仏 エコール・ド・パリ
- 1歳年上のジョルジュ・ブラック(1882-1963) 仏 キュビスム
10代
シュザンヌは女手一つで子供を育てなければならなかったので、お針子をしながら、画家として活動をしました。仕事をしながら一人で息子を育てるのは難しく、シュザンヌの母親のマドレーヌに預けます。
祖母のマドレーヌはお酒が好きだったので、赤ちゃんのユトリロに酒を飲ませていたようです。それが原因かは分かりかねますが、2歳のときにてんかんの発作の見舞われ、後遺症が残ります。
母親は画家としての活動、さらに恋にも熱心で、我が子に向き合うことはありませんでした。
7歳のときに、スペイン人のジャーナリストミゲル・ユトリロ・イ・モルリウスがモーリスを息子として認知したので、「モーリス・ユトリロ」という名前に変ります。個人主義のフランスでも、名前は重要だったんでしょうかね…
父親がミゲルであったかというのは、微妙なところで、ルノワールやピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌという説もあります。
ユトリロは学校に馴染めず、8歳のときに精神病のため病院にかかります。シュザンヌの新しい恋人は財力があったので、この時期は、安定した生活が送れたため、私立の寄宿学校に入学します。(いい学校だったかもしれませんが、多分、家にいると恋人とゆっくり過ごすことが出来ないので寄宿学校に入れられた?)
ユトリロは優秀な成績で初等教育は修了しますが、中学校で問題をおこし退学します。
シュザンヌの恋人のツテで、職を得たり、アルバイトをしますが、気難しい性格のためどれも数か月で辞めてしまいます。10代のユトリロの寂しさを埋めていたのがお酒でした。
アルコール依存症の影響により暴力をふるうようになり、治療の一環として水彩画を描く練習を始めます。アルコール以外に興味を持たせるためだったので、真剣に取り組むことはなかったようです。
そのうち、風景画を描きはじめますが、アルコール依存症はどんどん悪くなり、17歳で精神病院に入院することになります。こういったことも影響して、母シュザンヌと恋人は破局します。
https://pin.it/ptcpzdtoh7ya5h
20代
病院の治療で症状が改善されたユトリロは病院をでて、自分の意志で画家になることを決めます。母シュザンヌが助言することもあったかもしれませんが、基本的には独学で、自身の画風を確立していきます。
この時期に2歳年下のアンドレ・ユッテルと交流し、モンマルトルの丘に絵を描きに行ったり、飲みに行ったりするようになります。
しかし、自分とほぼ同じ年のユッテルと母、シュザンヌが恋愛関係に発展し、25歳くらいからアルコール依存症を再発させます。酔いつぶれた息子をヴァラドンは部屋に閉じ込めるようになり、居場所がなくなったユトリロは、モンマルトルの安宿を転々とします。
精神病院に入退院を繰り返し、アルコールを飲むたびに、警察に連行され、荒んだ時期に画商と知り合い、絵の価値が急上昇し、絵を売ることで経済的に安定していきます。
画商との交渉においてシュザンヌが入ると、交渉は決裂し、契約が破棄されてしまったので、また収入がなくなり不安定になります。
母シュザンヌと友人ユッテルが結婚し、ユトリロはまたアルコール依存に陥り、絵を描くことで、気を紛らわそうとします。
アルコール依存で入退院、絵を描くの繰り返しのパターンなので、あとは省略します。
ユトリトの絵は、白い、暗い、静寂という印象が強いですが、10年間描きつづけた「白の時代」から、色彩への時代へと移行します。そのきっかけになったのは、年上の女性と結婚し、心のよりどころを見つけたことにより、精神不安定から解放されたことが影響していると言われています。
きっかけ:
あなたのストレス解消法は何ですか?
同時代のフランス出身者 参考
- 画家 ロートレック 1864-1901
- 作曲家 ポール・デュカス 1865-1935
- 作曲家 サティ 1866-1925
- 小説家 マルセル・プルースト 1871-1922
- 作曲家 ラヴェル 1872-1944
- ファッションデザイナー ココ・シャネル 1883-1971
- 画家 マリー・ローランサン 1883-1956
- 画家 モーリス・ユトリロ 1883-1955
- 芸術家 ジャン・コクトー 1889-1963
- 物理学者 イレーヌ・ジョリオ・キュリー 1897-1956
同年の1883年生まれの人 参考
- 小説家 アレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイ 1883-1945 おおきなかぶ
- 小説家 志賀直哉 1883-1971
- 彫刻家 高村光太郎 1883-1956
- 美術家 北大路魯山人 1883-1959
- 漢学者 諸橋轍次 1883-1982
- 政治家 ベニート・ムッソリーニ 1883-1945
- ファッションデザイナー ココ・シャネル 1883-1971
- 画家 マリー・ローランサン 1883-1956
- 画家 モーリス・ユトリロ 1883-1955
勝負ごとが好きギャンブラー依存 文芸春秋創設者 菊池寛
菊池寛(きくちひろし)はどんな人?
1888年12月26日~1948年3月6日 職業:小説家・劇作家・ジャーナリスト・実業家
出身:日本(香川県)
文藝春秋社の創業者であり、芥川賞や直樹賞を設立した人です。
京都大学を卒業後、新聞記者を経て、小説家になります。私費で雑誌「文芸春秋」を創刊します。
代表作:
- 『父帰る』
- 『忠直卿行状記』
- 『恩讐の彼方に』
- 『真珠夫人』
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/kikuti/kantop.html
同年の1888年生まれの人 参考
- 画家 安井曾太郎 1888-1955
- 画家 ジョルジョ・デ・キリコ 1888-1978 伊
- 芸術家 オスカー・シュレンマー 1888-1943 独
- 崎陽軒創業者 野並茂吉 1888-1965
- 劇作家 ユージン・オニール 1888-1953 米
- 芸術家 ヨハネス・イッテン 1888-1967 スイス
- 執筆家 デール・ブレッケンリッジ・カーネギー 1888-1955 米
- 作家 菊池寛 1888-1948
数々の女性遍歴がヘンリー・ミラーに影響を与えた
1891年12月26日~1980年6月7日 職業:小説家・画家
出身:アメリカ
代表作:
『北回帰線』
『南回帰線』
『わが生涯の書物』
同年の1891年生まれの人たち 参考
- 画家 モイズ・キスリング 1891-1953 ポーランド→仏
- 画家 マックス・エルンスト 1891-1976 独
- レゴ創業者 オーレ・キアク・クリスチャンセン デンマーク
- 作曲家 セルゲイ・プロコフィエフ 露
- 建築家 村野藤吾 1891-1984
- 画家 岸田劉生 1891-1929
- 版画家 恩地孝四郎 1891-1955
- 版画家 長谷川潔 1891-1980
- 日本画 堂本印象 1891-1975
- 小説家 ヘンリー・ミラー 1891-1980 米
藤沢周平の小説が原作のドラマや映画作品
藤沢周平はどんな人?
1927年12月26日~1997年1月26日 職業:小説家
出身:日本(山形県)
江戸時代を舞台にした時代小説を多く描いており、作品がドラマや映画、お芝居などに展開されています。
代表作:
- 『蝉しぐれ』
- 『たそがれ清兵衛』
- 『白き瓶』
- 『橋ものがたり』
- 『風の果て』
- 『春秋の檻 獄医立花登手控え』
山形編 農家の暮らしが作品の舞台
本名、小菅 留治(こすげ とめじ)は、農家を営む一家に生まれ、幼少期の頃から農作業を手伝っていた経験から、作品に農村を舞台にしたものが多いです。
小学生の頃から本虫で知られており、6年生の頃には小説を書いていたようです。中学卒業後、昼間は印刷会社や村役場の書記補佐として働き、夜間に高校に通います。
高校卒業後に、現在の山形大学の前身である師範学校に入学し、卒業後、山形県内の中学校に赴任し、国語と社会の先生として活躍しました。教え子に慕われ、指導者としても優秀だったようですが、2年後に結核が見つかり、療養のため休職します。
東京編
現在の東京東村山市の病院に入院して、右肺上葉を切除する手術を受け、予後は順調で、院内の句会などに参加して、この時期に沢山の小説を読み、作家生活の礎を築いたようです。
30歳で退院しますが、就職先が決まらず、故郷での教員生活に戻ることも断念し、知り合いの勧めで、練馬区の下宿を紹介され、新聞社に勤務します。しかし、新聞社が倒産し職を転々としていたようです。
32歳 同郷の8歳年下の女性と結婚し、翌年に日本食品経済社に入社し、食品に特化した新聞の記者になります。同誌の編集長にまで昇進し、コラムを書いたりと、非常に合っていたようです。
妻の死が作品に影響している
勤務のかたわらに小説を書きはじめ、長女が誕生した機に、清瀬市に引っ越し生活を始めるも、妻が癌を患い急死します。
生まれたばかりの長女の世話をしながら、仕事を続けるのは困難で、山形に住んでいる母親を呼び、3人で生活しますが、目の悪い母親に育児は難しかったため、結局、育児と母親の看病と、編集長の3つをこなさなければならず、そんな生活を5年続けます。
また、急死した妻への思いから、やるせない気持ちを小説に書くことで、気持ちを奮い立たせていたようです。またこの頃から、ペンネーム「藤沢周平」を使い始めました。「藤沢」は亡き妻の実家がある山形県鶴岡市藤沢に由来し、「周」も妻の親族の名前からとられているそうです。
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42歳のときに再婚し、ようやく家事や育児を一人でやらなければならない生活から解放され、週末に執筆活動に専念できるようになります。
43歳 東久留米市に引っ越します。
44歳「溟い海」で新人賞を受賞します。
46歳「暗殺の年輪」直木賞を受賞します。編集長のかたわらに小説を書き続けたようやく認められ、翌年に会社を退社し、本格的な作家活動に入りました。
娘さんのお話によると、藤沢さんの口癖は下記だったそうです。
- 普通が一番。
- 挨拶は基本。
- いつも謙虚に、感謝の気持ちを忘れない。
- 謝るときは、素直に非を認めて潔く謝る。
- 派手なことは嫌い、目立つことはしない。
- 自慢はしない。
引用:サライ
きっかけ:
身近な人の口癖を見つけてみませんか?
http://www.city.tsuruoka.lg.jp/fujisawa_shuhei_memorial_museum/
同年の1927年生まれの人 参考
- ファッションデザイナー ユベール・ド・ジバンシィ 1927-2018
- テキスタイルデザイナー マイヤ・イソラ 1927-2001
- 作家 北杜夫 1927-2011
- 映画監督 ボブ・フォッシー 1927-1987
- 劇作家 ニール・サイモン 1927-
- 絵本作家 ディック・ブルーナ 1927-2017
- 政治学者 緒方貞子 1927-2019
- 画家 加山又造 1927-2004
- 絵本作家 長新太 1927-2005
- 俳優 ロジャー・ムーア 1927-2017
- 絵本作家 馬場のぼる 1927-2001
- ギタリスト ナルシソ・イエペス 1927-1997
- インテルの創業者 ロバート・ノイス 1927-1990
- 児童文学作家 古田足日 1927-2014
- 作家 藤沢周平 1927-1997
12月26日 今日は何の日?365日のきっかけ
ボクシング・デー Boxing day
イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、スイスの公休です。なお、ドイツでは、25日・26日の両日がクリスマスの休日になっています。
クリスマスの翌日、教会に寄付されたプレゼントボックスを開ける日に因み、ボクシングデー説
クリスマスにも仕事をしなければならない、使用人のための休日で、主人が使用人のために箱に入った贈り物を配ったことに因み、ボクシングデー説
クリスマスにプレゼントを届けてくれる郵便配達員の労いの意味を込めて、箱入りのプレゼントするに因み、ボクシングデー説
などいつくか説がありますが、箱に入っている贈り物だけは共通しています。
いかがでしたか?
Wikipedia情報による、12月26日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。
素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。
素敵な一日でありますように!