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3月13日生まれの有名人と今日は何の日?*365日きっかけ誕生日プレゼント*

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3月13日ジェームス・カーティス・ヘボン

3月13日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。

今日はどのように過ごしますか?

お誕生日の方、そうでない方も、ワクワクとした日を過ごしたいですよね?

そんなあなたに小さな小さなきっかけをプレゼントします。

 

酸素などの発見者!?ジョゼフ・プリーストリー

18世紀に活躍した学者で、酸素の発見者と言われていますが、そう言われている人は複数人いるので、誰が最初かは分かりません。

ジョゼフ・プリーストリーがお初だと言われていることがもう一つあります。ゴムで鉛筆の字を消せるという発見です。それまではパンを消しゴムのように使っていました。本格的に絵を描く人のなかには、パンを使われている方もいらっしゃるかもしれません。

イギリスでは1770年代には一般的に販売されており、発売日とされている4月15日が消しゴムの日です。日本で製造が始まったのは明治初期、1880年代です。

 

ジョゼフ・プリーストリーはどんな人?

1733年3月13日~1804年2月6日
職業:自然哲学者・教育者・神学者・非国教徒の聖職者・政治哲学者
出身:イギリス

 

父親は職人、6人兄弟の長子として生まれますが、母親が早くに亡くなり、裕福な叔父夫婦の家に引き取られます。4歳のときに、100以上の宗教上の問答を暗唱していたので、伯母は聖職者に向いているのではないかと思ったようです。

16歳のときに重病にかかり、後遺症として言語障害が残り、一度は聖職者になることを諦めますが、貿易商を営む親戚の家で、フランス語、イタリア語、ドイツ語などの様々な言語や、牧師から高等教育の個人指導を受け、聖職者になることを決意します。

最初の赴任地が田舎で、よそ者のプリーストリーが話す神学的討論に、興味を示さず、住人が寄り付かなくなってしまい、寄付も集まらないため、収入を得るために学校を開設し、教育の場を作りました。当時、教科書は入手が難しく、さらに質も悪かったため、教科書を出版します。

聖職者、教育者、いくつも肩書きをもっていますが、プリーストリーが科学に興味をもったのは、イギリスを訪れていたベンジャミン・フランクリンに影響を受け、電気の実験を行うように勧められたからだと言われています。

実験などにはまり、次に興味をもったのが化学で、酸素やアンモニア、亜鉛化窒素などの数種類の期待を発見し、水に炭酸ガスを溶かして、炭酸水を発明します。

 

きっかけ:

消しゴムのカスで練けしを作ろうとしたことありますか?

 

同時代の人 参考

 

ヘプバーン式ローマ字!? ジェームス・カーティス・ヘボン

1815年3月13日~1911年9月21日 職業:医師・宣教師・教育者
出身:アメリカ

日本人にとっては馴染深い、ヘボン式ローマ字の考案者です。また明治学院大学の創始者としても知られています。

 

ヘプバーン式もありえた

俳優のキャサリン・ヘブパーンとヘボンは同じ一族ですが、何故ヘボンと伝わったのか?一説によると、自分で「ヘボンです」名乗ったからと言われています。そう名乗らなかったら、ヘプバーン式ローマ字だったんですね。

 

ヘボン博士は、信仰心のあつい両親に影響を受け、教職者養成のために設立されてプリンストン大学に進学します。卒業後に、医学の道を志し、他大学に進学します。卒業後、医療に関わりながらも、伝道に使命感を感じていた博士は同じ興味を持っていた女性、クララと結婚し、2人で宣教師としてシンガポールに渡ります。

現地でクララが男児を出産しますが、産後の肥立ちも悪く、夫婦でマラリアにかかってしまい、伝道を途中であきらめ、ニューヨークに戻ります。

 

ニューヨークで開業した博士は、コレラに感染した患者に対して適切な治療を施せると評判で、眼科医としても精通していたため、病院は常に混雑していました。仕事とは反対に、私生活では帰国後に生まれた子ども3人を相次いで失うという悲しい出来ごとが続きます。

日本が開国し日米通商条約を締結したという情報を入手した博士は、海外伝道局で日本への派遣を申請します。博士は病院を閉鎖し、一人息子を知人に託し、妻クララとともに日本へ渡ることを決意します。

 

何で日本?

神奈川県沖に到着したヘボン夫妻は、寺に身を寄せながら、診療所を開設します。この当時、布教活動は禁止されていましたが、医療行為については黙認されていたので、大丈夫かと思いきや、僅か5ヶ月で診療所が閉鎖されます。

診療所をひらいて、最初の1~2ヶ月は数人だった患者も、数か月後には1日平均100以上の患者が押し寄せ、5ヶ月の間に3500人の患者に処方箋をかいたと記録が残っていることから、博士の医療活動が、その時代の日本人にとって、いかに有難いことだったのかは、幕府にとって知るよしもなかったと思われます。

 

分からないことは何度も聞いて、実践するのが良さそう

博士は船上で日本語の勉強をしていたので、来日してから、臆することなく、「コレハナンデスカ?」と聞いてまわり、単語を覚える作戦で、ちょっとした会話は話せたと言われています。

医療活動と同時に教育活動を開始させます。寺での診療が出来なくなってから、横浜の居留地に新築が完成し、住まい兼、診療所兼、塾を開設されます。ヘボン塾には、後の三井物産の創業者である増田孝などが学んでいたようです。

またアメリカの教会から派遣された宣教師がヘボン塾に着任し、2年後にヘボン塾から独立し、女子のための高等学校を開業します。それが後にフェリス女学院になります。

 

博士が日本に残したもの

聖書を日本語訳にするために辞書の必要性を感じていた博士は、日本語の研究に没頭し来日8年目に、日本で初の本格的な和英、英和辞書を編纂します。このときに、ヘボン式ローマ字表記が出来ました。

辞書が完成すると、聖書の翻訳に時間を費やすようになり、ヘボン塾は専門家に経営を任せ、診療所も閉鎖します。他の宣教師とヘボン塾の3つの教育機関の合同により、明治学院が設立されました。

博士は33年滞在しますが、妻クララが病気になったことから帰国します。33年間、会っていない息子との関係はどうだったのかは分かりませんが、帰国して数年後、クララは88歳で亡くなり、博士は5年後の96歳で生涯を閉じました。高齢者の船旅はきつかったと思うのですが、ご夫婦ともに基礎体力があったんでしょうね。

ヘボンが生涯貫いた精神は、明治学院大学の教育理念にもなっています。

“Do for others what you want them to do for you.”

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」

 

3月13日 ジェームス・カーティス・ヘボン

 

きっかけ:

好きなアルファベットは何ですか?

 

同年の1815年生まれの人 参考

 

高村光太郎

1883年3月13日~1956年4月2日  職業:詩人・歌人・彫刻家・画家
出身:日本(東京都)

 

同年の1883年生まれの人 参考

 

イラストレーター宇野亜喜良「絵を見てドッキリして欲しい」

1934年3月13日  職業:イラストレータ―・グラフィックデザイナー
出身:日本(愛知県)

父親が室内装飾の仕事を営んでいたことが影響して、幼い頃から絵を書き始め、高校卒業後は、カルビー商品に入社し、広告・宣伝に携わり、その後、日本出デザインセンターに転職します。

31歳で退職し、同世代のグラフィックデザイナーの横尾忠則氏や、イラストレーターの和田誠氏らとともに東京イラストレーターズ・クラブを設立しました。

以来50年以上、イラストレーターとして第一線でご活躍されています。

本・絵本(挿絵)代表作:

  • 『ぼんぼん』
  • 『おおきなひとみ (とぴか)』
  • 『ねすごしたサンタクロース』

アトリエや画材、描いている様子が少しだけ見られるので、資生堂の下記の動画がオススメです。

絵を見てドッキリして欲しい、微かな反抗精神があって、普通に見られるのが嫌やだったり、何か事件が起きないと気が済まなかったり、何かしかけをするところがある。

 

同年の1934年生まれの人 参考

 

3月13日 今日は何の日?365日のきっかけ

新選組の日

1863年(文久3年)旧暦3月13日、京都・壬生に詰めていた新選組の前身「壬生浪士組」に、会津藩主で京都守護職の松平容保から会津藩預りとする連絡が入り、新選組が正式に発足したことに由来します。東京都日野市観光協会が制定しました。

青函トンネル開業記念日

1988年3月13日、青函トンネルを通るJR津軽海峡線が開業しました。

サンドイッチデー

3月13日を数字だけ並べると、313→数字の3が1を挟んでいることに由来します。

 

いかがでしたか?

Wikipedia情報による、3月13日が誕生日である有名人や何かの記念日をヒントにして、きっかけをつくりました。

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見することをセレンディピティ(serendipity)というそうです。サイトをご覧になった方が素敵な偶然に出会えるかは分かりかねますが、行動したら何かが起こるかもしれません。

素敵な一日でありますように!

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