きっかけ作家

こと

きっかけ作家って何?もりちはどんな人?

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プロフィール

はじめまして。きっかけ作家のもりちです。

普段は経理と事務の仕事をしています。

あいている時間を使って、どこからでもアクセスできるネット上に遊びの場を作りたい、それで見たことも、聞いたこともないヘンテコな名前の職業を自分で作れたらいいなと思い、その手掛かりに、初期費用が少ないWebサイト始めてみようと閃いたのが始まりです。

Web上で遊ぶ・活動すると言っても、日常的にWebサイトや動画を見ることもあまりない、SNSが超苦手、文章を書くのも得意でもない、絵も描けない、動画を制作したいとも思わない、目的は決まっているのに、何をすれば実現できるのか?ぼんやりしたものも見えない、サイト名をつけるのに困って、自分が最も苦手な「絵を描く」が出来ない人で、「絵が描けない人」がこのサイトの当初の名前です。

初期の頃は、他サイトを真似して、絵が描けない人が何故描けないのか?説明してみたり、反対に世の中は便利で役に立つもので溢れているので、全く何の役に立たないもの、意味のないものを追求してみようと、自分が撮った画像を適当に選び、文章で説明するというものをやってみたり、自画像をズラーと並べてみたり、色々やってみましたが、今一つピンとくるものは見つかりませんでした。

あるきっかけがあって、「365日のきっかけ」を作り、毎日取り組んでみようと決めてから、ほとんどのものは、何かをするきっかけではないか?と考えるようになりました。

テレビや新聞雑誌などの紙媒体、Webサイトなどのメディアや広告は知るため、興味をもつきっかけ、本は新たな世界を知るきっかけ、商品やサービスは便利または快適になるきっかけ、パッケージは手に取りたくなるきっかけ、講座や学校は学ぶきっかけetc…

そう考えると、誰かのための知ったり、興味もつきっかけや、気づきのきっかけが世の中に溢れている?すべてのものやことがきっかけかも!?

なんて優しい世界なんだろうと思いました。(たまに悪用している場合もありますけどね…)

何かを始めるときも、突発的にやろうと思うこともありますが、きっかけがあることがほとんどです。

例えば、全く興味もない世界を知るとき、「知る」ためには何かしらのきっかけがあります。「知った状態から」→「行動に移す」ときも何かしらのきっかけが存在することもあります。0→1、A→A’の矢印がきっかけです。

私が「365日のきっかけ」というWebコンテンツを始めたきっかけは、こちらをお読みください。

365日記事を書き、絵を描きましたが、その日中に間に合わなくなった日もあって、投稿することは出来ませんでしたが、方向性が見えてきて、「絵が描けない人」を卒業し、「きっかけ作家」として活動することにしました。

 

これまでに制作したもの・活動記録

 

創作する際の癖やコンセプト

考えるときの癖みたいなものですが、創作する際に根底となっているものです。

遊びの追及

幼少の頃から一人遊びが大好きでした。

一人遊びの代名詞でもあるテレビゲームをすれば、動くのは体で、手が動かず、マリオがすぐに穴に落ちて「ププププ♪↓」1面もクリアできない、ゲームは向いていないと諦め、何かを作ったり、人がいないときにこっそり兄が持っていた玩具を分解していじり壊して叱られるような子どもでした。

このWebサイトも一人遊びの延長線にあり、やろうとしていることは誰かのためのきっかけを作る遊びであったり、従来の伝え方とは異なる方法で伝えることであったり、実験Webコンテンツ?ナンセンスコンテンツ?Webコンテンツアート?明確にコレとは言えませんが、個人的な試みです。

自分が作ったヘンテナな職業「きっかけ作家」ごっこをして楽しんでいます。

 

見えない繋がりや入れ子を想像する

幼少の頃からマトリョーシカが大好きです。ロシアのお土産の定番で、上半身と下半身を両手で引っ張ると、お腹で二分割され、なかから一回り小さな人形がでてくる、繰り返すと、どんどん小さくなっていく入れ子の人形です。考えてみると、お腹がぱかっと真っ二つ、シュールな遊びですよね…?

大きさ順に一列に並べて眺め、満足したらしまう、それを何度も繰り返しているうちに、マトリョーシカのなかに違うものが入っていたら、面白いのに…となかに入りそうなものをこっそり隠しながら入れて、家族を驚かせたくて、はい。開けてみて?とお願いをする、大抵、やろうとすることはばれていて、何を入れたの?と聞き返されるのですが、こりずにやるわけです。

いれるものと言ったら、消しゴムとか、何かの部品とか、そんなものですが、想像しているものと違うものが入っている、それを考えることが楽しかったです。

そういう遊びを今はしませんが、見た目はマトリョーシカには見えないのに、世界のほとんどのものは見えないつながり(連続性)や、永遠に続く入れ子でつながっており、想像するとワクワクします。

 

物々交換・等価交換

子どもの頃の遊びのなかに、自分が持っているものと友達の持っているものを交換するということをよくやっていたと思います。シールだったり些細なものです。男性はビックリマンシールやトレーディングカードと言ったら分かりますかね。

自分の持っているもののなかで、手放していいもの(=相手が欲しいもの)相手の手放していいもの(=自分が欲しいもの)を相談して成立する物々交換です。子どもの頃に当たり前に遊びの延長でやっていたと思うと感慨深くて、大人になってこれに近いことが何かで出来たらいいなと考えています。価値をお金にかえずに、交換するだけで、想像もしない素敵なきっかけに出会えたら、面白そうです。

 

少しずついろいろな種類のものを食べたい

私は食べることがとても好きです。嫌いなものがないのと、好奇心が強いので、初めての味に出会えないかいつもアンテナをはっています。

丼ぶりものをガッツリ食べる、お気に入りのアイスのフレーバーをシングルカップで食べる、そういう食べ方も嫌いではないけれど、小鉢に少量が盛り付けられている、ワンプレートのなかにちょっとずつ沢山の種類のお惣菜が入っている、いろいろな種類のものを少しずつ食べるのが好きです。

食べ方の好みですが、組み合わせて食べると味が変わって異なる美味しさがあります。これも創作する際の癖の一つでもあります。

 

動作を疑い、違う動作に置き換える

私は生まれたときから、身内に筋ジストロフィー症という難病患者が複数人おり、自分が成長して色々なことが出来るようになっていくのとは反対に、徐々に動けなくなり、今まで出来ていたことが出来なくなっていくという過程を見てきました。

普段の生活で、特に意識はしていないけれど、手や足、身体を使って何かをしています。病気で体を動かすことが出来ないだけでなく、誰もが美味しいご飯を絶対に作れることが当たり前でないように、〇〇をするは誰かにとっては当たり前でなかったりします。

お気に入りの散歩コースを歩く、走る、日記を書く、絵を描く、本を読む、会社で働く、休みに旅行に行く、当たり前に使われている動作は何故そうなのかを疑い、それ以外にできる動作はないのか、違う動作に置き換えることで、いつ?どこで?誰が?何を?どのように?という時間や場所や人、目的、方法が変わります。

楽しみ方が変われば伝え方も変わる、媒体も変わる、何かをするための方法は沢山あっていい、そんなふうに考えています。

 

言葉から出来ている

動作を表す動詞、場所を指す名詞もそうですが、基本的に本などの紙媒体が着想になっていることが多いので、誰かの言葉、名言、問い、(日本語・英語などの)語源、起源、成り立ちなどひっかかる「言葉」を手繰り寄せて、分かる言葉に置き換えたり、分解して、消化しようとします。

 

 偶然と必然

新しいことや知らないことに出会うことで、自分の経験や知識とつながり、化学反応が起きてミクロのレベルの何かが変わる、気づきは偶然からしか起きないのか?偶然を必然にする出会いはないのか?

日常生活で、小さな違和感に「面白そう!」「どういう意味?」「何故?」「えっ何?」などの反応に対し、行動してみる(ex.ネットで調べる)、そういう行動が出来るときと、出来ないときの違いは何?取捨選択の決め手は何?そんなことを考えています。

出会ったら、それだけで人生が変わってしまうかもしれない些細で素敵な偶然(セレンディピティ)は、偶然からしか起きないなんて、運とか、神頼みのスピリチュアルなものに思えてきます。

もし行動や習慣一つで、その出会いが増えたり、変わったら、自分をとりまく世界は劇的に変化しそうです。

 

あまのじゃく

行動するの第一段階、調べる=「ググる」が手軽にできる時代になりましたが、介して得た情報は、調べたいものありきでしか出会えず、タイトル(コピー)だけで記事を読まなくても、およそのことが想像出来てしまいます。

また検索エンジンGoogle、Bing(Microsoft)やsafari(Apple)などが考えたアルゴリズムによって表示され、それに依存した順に読み、情報を得るのが当たり前になりました。

AI(人口知能)が何かと話題になりますが、出会いの取捨選択もロボットがすでに行っているというわけです。手間が省けていいなと思う反面、あまのじゃくな性格もあり、逆行してみたくなります。

Webを通して問題がわりと簡単に解決できる、それはとてもいいことですが、自分が探している答えや自分に合っているきっかけが見つかるとは限りません。

それは全く関係のない、興味もない、調べもしない事柄から見つけられる可能性もあります。調べていないことに出会えてワクワクできるもの、普段の変わらない日常のなかで、非日常を味わえるそういう遊びを求めています。

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